湯西川日記

fbやツイッターで一年サボりましたが、やっぱりブログです。2016年から復活します。ツイッターの長い版みたいな感じです。

たいしたことではないが

2012-07-09 22:37:19 | 学習

前代未聞らしい。実は会社に頼んで、給料を下げてもらった。去年、少々トラブルがあったので、責任をとったのである。別に下げられたわけではないのだが、自分で納得がゆかなかったから、人事と話をして下げてもらうことにした。

自分で申告して給料を下げてもらうことなど、ワシだってやったことはない。ふつうはしないと思う。ふつうはしないから、やってみたかったというのもある。長く悩んで、相談に行ったら、人事の担当はいいやつで、ワシの話を聞くと、うんうんと納得して、ひとこと。「悪い判断じゃないと思う。」といってくれた。

責任を取るのなら、他にもとるべき人間はいるのだ。実際はワシだけだった。彼らに対して優越感もある。そんなことはどうでもよいのだ。何だか、会社を自分の意のままにしたような気分がある。今後、この先、自分で自分お給料を下げるなんてことは一生ないと思う。ただ、何だか、サラリーマンの勲章をとったみたいな気分である。

もちろん、下がったまま、にたついているとしたら、タダの変態である。うんとこ、がんばって前以上の水準に早急に回復させるつもりである。そこの自信はある。


ひとにやさしく

2012-07-08 21:59:24 | 学習

歳をとったからか、いっとき、隣り合わせた見知らぬ方に腹が立ちがちなことが多くあった。ワシだけかと思ったら、最近五十路になった先輩もそうらしい。

さんざん、今まで会社の上の方からマナーや行儀について口うるさく言われて、その結果、今に至って景気も良くないし、たいしていい思いをしなかった反動なのかもしれないし、単なる更年期障害なのかもしれない。いずれにしてもいいことではない。

何も攻撃されているわけでもないのに、攻撃されているかのような被害妄想に近いものだ。精神状態がいいはずがない。そんな暗い状態より、みんなお友達でハッピーなほうがよいに決まっている。自分も他人も。では、どうすればよいか。

ひとつは、職場ではないのだから、少々のことは許してあげる習慣をつけることだろう。あれやこれや、職場と同じように他人を評価していたら、病気である。もうひとつは、積極的におともだちになることだろう。知らない人でもやさしくしてあげる。何かの見返りを求めるのではなく。

情けは人のためならず。である。


帰京

2012-07-05 23:24:24 | 学習

北海道3日間行って、旭川から飛行機で帰ってきた。

旭川で氷点のゆかりの場所を訪れてみた。遠隔地に来たら、こういう楽しみがあってよい。金沢でも室生犀星ゆかりの地を訪ねて感慨にふけったものだ。

そういう意味では行ってみたいのが鹿児島。高知も。

なかなか行きづらいのだが。


函館

2012-07-03 15:47:27 | 学習
小学校5年の夏、電車で北海道に行った。青森駅から青函連絡船に乗り、函館で函館駅に乗りかえて札幌まで行った。そのとき以来の函館。

青函連絡船は昭和63年に廃止になってしまったが、記念館として残っていた。父親との思い出を無意識に探していたようだ。

かすかな記憶で気になっていた、船から駅までの通路を聞いたが、すでに形骸も残っていなかった。

やりなおし

2012-07-02 21:52:17 | 学習

いろいろあって、今月からいったんリセットしてやり直しすることになっている。率直に言えば、背伸びするのをやめてしまった。

等身大でやり直すということなのだが、ちょっとワクワクしている。やりたいようにやるほうが楽しい。そういうつもりで今の会社に来たのに、いつのまにか、また前の会社にいたときのような気分で仕事していた。

職場で人と仲良く仕事をすること。努力を重ねつつ、工夫に工夫をこらして、会社に貢献すること。会社に貢献して、その会社が会社として社会貢献していると認識できること。それが生きがいなのだ。

そういうふうになるよう、月初に誓いを立てた。職場がいい会社かそうでないか。すべて自分の心の在り方しだいである。


富浦

2012-07-01 22:14:27 | 学習

学生のときは、ちょうど今頃、毎年、千葉の富浦で合宿があった。合宿は夏は2回あって、最初の合宿が富浦。2回目が信州で、本番は2回目のほうである。

富浦の合宿は、不思議な話だが、遊びの合宿で、いい歳の大学生が30人近く、昼間は酒を飲んでボーっとして、海水浴やマージャンに興じ、夜は夜で、マージャンや花火大会が行われる。しかも全員男である。むちゃくちゃな合宿だった。

ワシは当時から享楽的な生活が嫌いで、この合宿のときは群れを離れて、ひたすら、読書しながら海を眺め、波の音を聞いたものである。

長いこと会っていないから、先輩や同期や後輩の名前は少しずつ記憶から抜け落ちつつあるのだが、あのとき富浦で聞いた波の音や海の表情は不思議と鮮明に覚えている。懐かしい。