モネの「散歩、日傘をさす女性」は1875年に書かれたもので、
妻カミーユと息子ジャンを美しい光と風に包まれるように描いた作品である。
心地良い風や足元に咲く黄色い花々、そして流れる雲も一瞬の静止を感じさせることはない、何か温かい印象を感じさせる。
モネは写真でも撮るように見上げた角度でその様子を見事に描写している。
この作品はモネが幸せの絶頂期に描かれたものだ。
それまでのモネは長い貧乏生活が続き、その貧困がゆえに自殺までも試みるほどであった。
父親からの援助も打切られ、1867年には家族に認められぬまま息子ジャンが生まれている。
そんなモネを心から支えたのがカミーユであったが、生活苦から三人目の子供を堕胎。
彼女の身体は日に日に衰弱し、「散歩、日傘をさす女性」が書かれた4年後(1879年)に亡くなってしまう。
ようやく手に入れた幸せは長くは続かなかったのだ。
そして、カミーユの死をきっかけに、モネの絵から人の姿は消えた…。
「散歩、日傘をさす女性」を改めて見るとカミーユの表情がとても微妙に感じられる。
柔らかいヴェールが顔を隠す形になっているためか、彼女が不思議と悲しげに見える。
カミーユはこの幸せが長く続かないことを予期していたのではないか。
そして、それをモネは知らずのうちに感じとっていたのではないか。私はこう思えてならない。
1886年、再婚者の娘であるジュザンヌをモデルに、決して書こうとはしなかった人物画を再び手がけることになる。
この「戸外の人物―習作」はかつて描いた「散歩、日傘をさす女性」と同じ構図であるが、決定的に違う点がある。
モデルの顔が描かれていないのだ。
様々な見解があるが、私はカミーユへの想いがそれほど深く、愛が永遠に続いているからだと感じている。
この絵を最後にモネは人物画を封印したのもそんな理由ではないか。
この楽曲は「散歩、日傘をさす女性」をテーマに、11年後の「戸外の人物―習作」を書いたモネの心情を、
学問としての見解ではなく、私の感じた率直な気持ちで観察し音にしたものである。
最後に現れるコラールは別のモデルで絵を書きながらも、モネがカミーユと精神的な再会を果たす場面を想定している。
フレーズの途切れないコラールには、会いたくても会えない、話したくても話せない、8年間の伝えたい絶間のない気持ちを反映させている。
八木澤先生の『散歩、日傘をさす女』の曲の解説です。
最後のコラールの部分は、「話したくても話せない、会いたくも会えない」その気持ちを反映させていると書かれています。
私も長く教員をやっていて、若くして命をなくしたかつての教え子を思い出してしまします。確かに、夢の中で出てくる彼らは、私が話しかけても笑顔で立っているだけです。車に乗っている亡くなった卒業生が夢に出てきて、夢の中で声をかけても、確かに彼は、笑顔だけで、話しかけて話せなく寂しい思いをして目を覚ますことがあります。
いろいろな思いをいれてしまう素晴らしい作品です。