千葉県立市川昴吹奏楽部顧問だったの個人ブログ

元千葉県立高等学校吹奏楽顧問

ステージドリル

2008-03-24 07:11:43 | インポート

 ドリルの練習は、自分が目立つのではなく、相手のために動く、演奏するという視点を忘れないでいかないといけない。

 あと、三日。細かく、計算されたドリルの演奏と動き。完璧なものに仕上げたい。


散歩、日傘をさす女性

2008-03-21 22:37:42 | インポート

モネの「散歩、日傘をさす女性」は1875年に書かれたもので、
妻カミーユと息子ジャンを美しい光と風に包まれるように描いた作品である。
心地良い風や足元に咲く黄色い花々、そして流れる雲も一瞬の静止を感じさせることはない、何か温かい印象を感じさせる。
モネは写真でも撮るように見上げた角度でその様子を見事に描写している。

 この作品はモネが幸せの絶頂期に描かれたものだ。
それまでのモネは長い貧乏生活が続き、その貧困がゆえに自殺までも試みるほどであった。
父親からの援助も打切られ、1867年には家族に認められぬまま息子ジャンが生まれている。
そんなモネを心から支えたのがカミーユであったが、生活苦から三人目の子供を堕胎。
彼女の身体は日に日に衰弱し、「散歩、日傘をさす女性」が書かれた4年後(1879年)に亡くなってしまう。
ようやく手に入れた幸せは長くは続かなかったのだ。

そして、カミーユの死をきっかけに、モネの絵から人の姿は消えた…。

 「散歩、日傘をさす女性」を改めて見るとカミーユの表情がとても微妙に感じられる。
柔らかいヴェールが顔を隠す形になっているためか、彼女が不思議と悲しげに見える。
カミーユはこの幸せが長く続かないことを予期していたのではないか。
そして、それをモネは知らずのうちに感じとっていたのではないか。私はこう思えてならない。

 1886年、再婚者の娘であるジュザンヌをモデルに、決して書こうとはしなかった人物画を再び手がけることになる。
この「戸外の人物―習作」はかつて描いた「散歩、日傘をさす女性」と同じ構図であるが、決定的に違う点がある。

モデルの顔が描かれていないのだ。

 様々な見解があるが、私はカミーユへの想いがそれほど深く、愛が永遠に続いているからだと感じている。
この絵を最後にモネは人物画を封印したのもそんな理由ではないか。

 この楽曲は「散歩、日傘をさす女性」をテーマに、11年後の「戸外の人物―習作」を書いたモネの心情を、
学問としての見解ではなく、私の感じた率直な気持ちで観察し音にしたものである。

 最後に現れるコラールは別のモデルで絵を書きながらも、モネがカミーユと精神的な再会を果たす場面を想定している。
フレーズの途切れないコラールには、会いたくても会えない、話したくても話せない、8年間の伝えたい絶間のない気持ちを反映させている。

 八木澤先生の『散歩、日傘をさす女』の曲の解説です。

最後のコラールの部分は、「話したくても話せない、会いたくも会えない」その気持ちを反映させていると書かれています。

 私も長く教員をやっていて、若くして命をなくしたかつての教え子を思い出してしまします。確かに、夢の中で出てくる彼らは、私が話しかけても笑顔で立っているだけです。車に乗っている亡くなった卒業生が夢に出てきて、夢の中で声をかけても、確かに彼は、笑顔だけで、話しかけて話せなく寂しい思いをして目を覚ますことがあります。

 いろいろな思いをいれてしまう素晴らしい作品です。


合宿が終わった!

2008-03-17 21:54:33 | インポート

 校内合宿が終わった。実り多い合宿だった。貴重な時間があっという間に過ぎてしまった。最終日の事は記録に残したい。

 この日は、朝早く部員達は、起き、登校時間まで片づけ。三年生は、もう卒業しているので授業がない。1,2,年が授業を受けている間、部員の使った蒲団を4Fから1Fまで降ろし、午後新入生説明会の会場でパイプ椅子を300余り並べる。そして、各椅子に受験番号を付け、清掃。いやな顔せず(N部員の一人芝居は見物でした)合宿最終日なのに黙々とこなしていた。予定より早く終わり、LL教室に移動した3年生からは、1,2年が戻ってくるまで、笑い声が絶え間なく続いていた。厳しい練習をあとわずかでやり通す彼らは、すばらしい。合宿でも全くゆとりを持って、課題を見つけこなしていた。27日の定期演奏会での彼らの意気込みがよくわかると思う。

 午後は、この四月に入部する吹奏楽部の保護者会がありました。期待に胸ふるえる新入生達を、1,2年の部員が受け入れ、大きく成長していくことだろう。

 合宿が終わり、午後7時頃から、先生部屋というところで、眠ってしまった。『イーストコーストの風景』のNew Yorkの笛の音色が、電話の音色になっていたのでサイレンのように鳴らせと注意しても電話のベルの音がしつこく鳴り響き、教頭先生の電話で目が覚める。20時半だった。

 椅子で寝ていたので、体が痛く、廊下を見ると部員はみんな帰っていた・・・。

  明日から練習だ。3年生ともあと10日。