みなさん こんにちは
京都国立博物館で開かれていた「親鸞聖人生誕850年特別展 親鸞障害と名宝」を叔母夫婦を誘い5月12日に、妻も一緒に見てきました。
浄土真宗本願寺派明専寺の総代を務めていて、先日も親鸞聖人御誕生850年立教開宗800年慶讃法要に参列。特別展も見ておかないとと、京都まで出かけました。京都まで出かけるなら、叔母夫婦の御機嫌伺も兼ねよう、なら誘ってみようと、声がけすると、連れてってとなり。4人で行くことに。
もう92歳の叔父と88歳の叔母ですが、2時間みっちりと展示を見学しました。とてもお元気。そしてそれほど充実した展示でした。親鸞さん自筆のお経、一番似ているとされる親鸞さんの肖像画、阿弥陀如来の仏像に名号本尊(言葉で阿弥陀如来を表した書き物)などで、親鸞さんの生涯を明かしています。
展覧会を見た後、一旦叔母宅によってしばし休憩した後、食事に。京・洛北にたたずむしょうざんリゾート京都の中華料理楼蘭さん。風光明媚、恵まれた自然美、それらが閑静に楽しめます。なんでしょう。食事だけでなく、その景色さえもおいしい。

いろんな話を聞きました。
叔母
焼夷弾と爆弾が引っ付いて焼夷爆弾もあった。
小学生になる前から、家業の造花の内職をしていた。小学生になったら毎日夜中の12時まで手伝っていた。一所懸命働いた。
配給で配られるパンがどうしてもまずくて、家の前で売ったら、飛ぶように売れた。
昭和30年ごろに、37人乗りの飛行機を借り切って叔母らを喜ばすために岩国まで日帰り旅行をした。毎日新聞に大きく載った。
焼夷弾は燃えながら落ちてきた。だから綺麗だった。
岡田の子供(叔父叔母)らの体が頑丈なのは、子どものころからポンスを押したり力仕事をしていたから。
戦後物のない時分は、干し大根を麦飯の中に入れて食べたが、嫌いだった。
戦後まもなく、クリスマス装飾用の紙製のハウスや、星、紙製のイチゴのへたにつまようじのようなのをつけたのを作ってアメリカに送っていた。それらが忙しくて毎晩遅くまで働いた。イチゴのへたは多分、キャンディに使われていたんだろう。
叔父
西成に住んでいて、昭和20年3月の空襲にあった。濡らした布団を背に担いで逃げた。幸い家族はみな無事だったが、回りは焼けた人でいっぱい。真っ黒こげに焼けて、こんな格好(ボクサーポーズ)をしていた。あんまり焼けて両手がない人もいた。
焼け出されて、京都に嫁いでいた姉を頼って京都に住むようになった。
京都の鞍馬の奥にスキー場があって、昭和30年ごろにすべりに行った。
岡田家族はもちろん、当時はみんなよく働いた。
その飛行機の記事、42、3年前、私が毎日新聞時代に見つけ出し、コピーを父に渡したのですが、どこへ行ったか?
鸞聖人御誕生850年立教開宗800年慶讃法要についてはこちらをご覧ください。
ある筋の方からお聞きしたお話ですが、この展覧会、東西の本願寺で行われる慶讃法要に全国から集まる門徒を当て込んでの開催です。
展覧会はもう終わりましたので、次にこんな大規模な展覧会を見ようと思うと、あと50年は生きないといけませんね。あしからず。
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