梅の公園からバスですぐのところにある吉川英治記念館を訪れた。
昭和19年に東京赤坂から記念館のあるここに家族とともに疎開され
約10年間記念館のあるここで生活されたそうだ。
この書斎は当時のまま残されていてこの書斎で
新・平家物語や新書太閤記を執筆されたそうだ。
記念館には原稿や挿絵などが展示されていた。
少年期お父さんの事業の失敗で小学校を中退し、
幾つもの職業を転々とする苦難の少年期だったそうだ。
お母さんの写真を文化勲章の受章式に胸に入れて
受賞式に臨まれたことなども説明されていた。
梅林をよく散策されて多くの句を詠んで
おられたらしく、直筆の句もたくさん展示されていた。
この地を愛されていた様子がよくわかった。
この椎の木の下でお茶を立てて楽しんでおられたらしい。
かたくりの花も咲いていた。