6月16日、奥山高原の次は細江神社を見学しました。今から約500年前、明応の大地震(1498年)により、は万個の河口、(現在の新居町)に祀られていた角避比古神社(つのさくひこじんじゃ)が、大津波により埋没するも、ご神体は奇跡的に難を免れて、気賀の赤池の地に着御され、以来気賀の総氏神として祀られてきたそうです。近年、地震や津波による大災害が相次いで発生している中、細江神社に地震災難除け、復興の参詣に訪れる人々が多いとパンフレットに記載されていました。淡水湖であった浜名湖が塩水の混じった汽水湖になった理由もよくわかりました。
ご神木の夫婦楠 樹齢500年以上だそうです。境内には多数の楠が群生していました。
藺草神社 大地震の津波の塩害でお米が収穫できなくなったため、畳表の原材料であるイグサの栽培がすすめられ、遠州畳表の名を全国に知らしめることになったそうです。
いぐさ 断面は三角形をしていました。
細江神社の近くにあった犬くぐりの道 地元住民が関所を通るのに不便であったので、抜け道として作られた裏道だそうです。
ご神木の夫婦楠 樹齢500年以上だそうです。境内には多数の楠が群生していました。
藺草神社 大地震の津波の塩害でお米が収穫できなくなったため、畳表の原材料であるイグサの栽培がすすめられ、遠州畳表の名を全国に知らしめることになったそうです。
いぐさ 断面は三角形をしていました。
細江神社の近くにあった犬くぐりの道 地元住民が関所を通るのに不便であったので、抜け道として作られた裏道だそうです。