一昨日、駅でびらをもらいました。そのびらは高校生と大学生主催の地震の救援のためのチャリティコンサートのびらでした。駅では大学生やいろいろな団体による東北関東大地震の募金が毎日呼びかけられていました。募金詐欺も増加しているらしいので信用できるところに募金するのがいいと思いました。阪神大震災時のときは郵便局に行って振込みましたが、今回は少額ですが日本赤十字社のウエブページから振り込むことにしました。地震による福島の原発問題も深刻になってきています。大分前に職場の青年部の組合の勉強会のときに読んだ本『東京に原発』を思い出しました。そんなに安全なものなら東京に原子力発電所をなぜ造らないのかという内容だったと思います。原発の問題と電気のエネルギーの問題はひとりひとりが考えないといけない問題だと痛切に思います。
上野動物園にやってきたパンダの名前も決まって公開日も決まっていたらしいですが、地震と計画停電の影響で延期になったそうです。関東地方の動物園などはしばらく休園するそうです。日本にまだパンダを見ることができる動物園が上野動物園だけだった頃にわざわざ東京までパンダを見に行ったことがあります。あの頃はパンダを一目見るのが大変でした。立ち止まらないでくださいと係りの人にせかされながら一瞬だけパンダを見ることができたように思います。今は関西周辺では白浜に8頭、神戸の王子動物園に1頭のパンダがいるので、せかされることなく、じっくり、ゆっくりと見ることができます。パンダを見ているとなぜか悲しいことも忘れて心が和みます。早くパンダや動物を見て穏やかになれる人々が増えることを望みます。平和で安全な世の中のためにも・・・。
3月14日、午後からお休みを取って北野天満宮の梅を初めて見に行ってきました。京阪の出町柳駅からバスで20分くらいで北野天満宮前に着きました。もう少し近いと思っていたのに結構時間がかかり、バスに乗っている間反対方向のバスに乗ってしまったのか心配しました。
牛がたくさんいました。境内にはたくさんの梅が咲いていました。これ以上地震が起きませんように天神様に祈りました。次に梅苑に入ってみました。梅苑は有料でお茶とおせんべいつきで600円でした。
鶯橋を渡ってみました。
対岸から御土居を眺めました。
梅苑の梅は丁度見頃でした。梅苑を後にしてどこも寄らず帰路に着きました。1年前に出町柳駅まで来たときに連れて行ってもらったお店でお饅頭を買って帰ろうと思ったのですが、橋を渡ったのは覚えていたのですが、はっきりと道を覚えていなかったのであきらめて何も買わずに帰りました。
牛がたくさんいました。境内にはたくさんの梅が咲いていました。これ以上地震が起きませんように天神様に祈りました。次に梅苑に入ってみました。梅苑は有料でお茶とおせんべいつきで600円でした。
鶯橋を渡ってみました。
対岸から御土居を眺めました。
梅苑の梅は丁度見頃でした。梅苑を後にしてどこも寄らず帰路に着きました。1年前に出町柳駅まで来たときに連れて行ってもらったお店でお饅頭を買って帰ろうと思ったのですが、橋を渡ったのは覚えていたのですが、はっきりと道を覚えていなかったのであきらめて何も買わずに帰りました。
おしまいのデート 瀬尾まいこ 著 集英社
瀬尾まいこさんのいつものタッチのやさしさに包まれた短編小説でした。瀬尾さんの小説ではあっさりと人が亡くなってしまう小説がやけに多いのが気になりますが・・・。デートと言っても恋愛をしているカップルの男女のデートのお話と思ってはいけません。祖父と孫、教師と教え子、男子高校生たち、捨て犬と通りすがりの女性と大学生、保育園の女性の先生とその子どもと父親などデートという単語からは想像できない人と人が出会うこと、あるいは自然な出会いがこの本の中ではデートとして描かれていました。この本の中ではランクアップ丼が人情染みていて一番良かったように思います。
瀬尾まいこさんのいつものタッチのやさしさに包まれた短編小説でした。瀬尾さんの小説ではあっさりと人が亡くなってしまう小説がやけに多いのが気になりますが・・・。デートと言っても恋愛をしているカップルの男女のデートのお話と思ってはいけません。祖父と孫、教師と教え子、男子高校生たち、捨て犬と通りすがりの女性と大学生、保育園の女性の先生とその子どもと父親などデートという単語からは想像できない人と人が出会うこと、あるいは自然な出会いがこの本の中ではデートとして描かれていました。この本の中ではランクアップ丼が人情染みていて一番良かったように思います。
近くの区民センターまで夜回り先生こと水谷修さんの講演を聴きに行きました。600人ほど入る大ホール内は満員でした。最初から早口で語られる巧みな話術は一瞬で聴衆を引き寄せて行きました。1時間半の話もあっという間の時間のようにしか感じさせないほどでした。夜回り先生の奥様のご実家が宮城県の栗原だそうでご両親や弟さんが住んでおられるとのことも冒頭で話されていました。家は全壊だったそうですが、ご家族はご無事だったとのことでした。奥様が養護教諭として宮城県で最後に勤務されていた女川町は壊滅状態だということでした。黙祷のあと、講演は始まりました。この講演で一番印象に残ったのは毎朝美しいと思えるものを毎日何か見ること、昼間の世界は美しいと訴えられていたことでした。それと携帯電話ほど今の子どもたちをダメにしているものはないと言われたことでした。水谷先生が今まで会われた子どもたちとの実体験から感じ取られて実践されてきたことのすべては、あっさりと語られる口調とは全く正反対の長い年月と根気が必要な実践ばかりでした。本当に並大抵の方ではできないすごいことばかりであることがこの講演を聴いて実感できました。水谷先生の本は何冊か読みましたが、実際生のお話を聞いてみたら水谷先生があんなに子どもたちから認められ、信頼される先生だということはやっぱり先生の優しくて頼れるお人柄によるものだとわかった気がしました。この講演を聴いてひとりひとりができることからまず実践していくことの大切さを痛感しました。誰でも自分のためだけでなく誰かの手助けになれるような人になりたいものです。人は繋がって生きていくということを改めて深く心に刻み込んだ講演になりました。
昨日は朝から夕方までずっと会議だらけの1日でした。会議中、何か頭が、身体がやけにくるくる揺れているなあ、何か悪い病気にでもなったのかあと思っていたら、地震の横揺れでした。島根県西部地震のときも仕事中にやけに横揺れしたのを覚えていますが、今回はあのとき以上のやけに長い横揺れでした。地震による各地の様子がテレビで映し出されるのを見ると甚大な被害になってしまっています。一人でも多くの方々が救出されるよう祈るしかありません。被害がこれ以上広がらないようにと祈ります。阪神大震災後から用意していてしばらくほったらかしにしていた防災グッズを再点検しておかないといけないなと思いました。職場にも食料や水や防災用の備えをやっぱり用意しておかないといけないとしみじみ思いました。
ベニスが舞台の映画ツーリストを見て思い出したことがありました。ベニスでは見かけなかったのですが、ミラノやローマでは看板やシャッターなどに落書きがあちこちに書かれていました。イタリアを訪れたのは1990年代の前半頃でした。あの頃はまだ日本ではあんな落書きを見たとがありませんでした。でもその落書きの風景もそれから4、5年経ってからは日本でも頻繁に見かけることが多くなりました。最初はこの落書きを見る度に不快になっていましたが、最近では慣れてしまっていました。この落書きひとつを取ってみても日本人のマナーがどんどんと悪くなってきているんだと思いました。先日、最近は日本の童謡を歌えない子どもや若者が増えてきているというニュースを見ました。そんな日本に危機感を持っている方々が日本の童謡を歌い継がれるように広めて行こうとされている活動が紹介されていました。日本人の精神を継承していくことはやはり今の日本では今後益々必要になってきていると思いました。
映画ツーリストを鑑賞しました。ベニスがこの映画の舞台だと知ったことと、ベニスが舞台の映画を見てみたいと思ったのがきっかけだけでこの映画を見てきました。最近のジョニー・デップさんやアンジェリー・ジョイナーさんが出演している映画を見たことがなかったのでこの俳優さんがこのお二人なのだなあという感覚でした。一度だけ訪れたベニスをもう1回映画で見たいなと思っていたのでサンマルコ広場や運河、サンタルチア駅などが映ったときは懐かしかったです。あの臭い匂いがした運河での船でのアクションシーンも圧巻でした。あの匂いは今ではどうなったのかなあと思いながら見ていました。もう少しベニスの風景がたくさん映し出されるのかなあと思っていたけど、思っていたよりは少なくて残念でした。日曜日に見たテレビ番組、片平なぎささんがベニスを旅する番組では冬のベニスが水かさが増して市民生活を脅かしていることや100年後はこのベニスの街がすべて沈んでしまうという内容が放送されていました。この映画では水かさが増している場面があまり出てこなかったのでいつ撮影したのかなあと思って見ていました。アンジェリー・ジョイナーさんは船の操縦が上手だなということもよくわかりました。最後の終わり方は少々ものたりないような終わり方でしたがこんな終わり方もいいのかもしれません。ベニスが舞台の映画は旅情しか見たことがなかったのでこれで2作品になりました。