今日の読売新聞の夕刊に井形慶子という人のコラムがのっていて
その中に「うまくいっている人の家は、
とてもスッキリ片づいている」という一文がありました。
自分の部屋も今でこそだいぶ片付いてますけど
一時期はひどいありさまでした。
その時の心理状態とか精神状態が、部屋のあり様に投影されるのかもしれません。
調子がいい時は、掃除とか片付けとかもさほど苦に感じませんけど
調子悪い時は、面倒くさくってこのままでいいや、って思っちゃいます。
でもごちゃごちゃしている部屋に帰ってくると、
余計に疲労が溜まっていくようで、悪循環にハマってしまうんですね。
昔は物を取っておく方でしたが、最近は捨てるのが楽しかったりします。
捨てた後に自覚できるほど、部屋が広々していると、快感すら覚えます。
あと服なんかは買ったら、その分古いのを捨てるようにしています。
一年に一回も着ないような「死に服」は結構あるもんです。
本当はフリマに出店すればいいんでしょうけど
面倒なのでその気はありません。
話は全然変わりますが、今日の巨人戦のバックネット裏の広告に
我が母校の城西大学の文字がおどってました。
いつ廃校になるかと思っていたのですが
あんなとこにお金を使って大丈夫なのでしょうか・・・
その中に「うまくいっている人の家は、
とてもスッキリ片づいている」という一文がありました。
自分の部屋も今でこそだいぶ片付いてますけど
一時期はひどいありさまでした。
その時の心理状態とか精神状態が、部屋のあり様に投影されるのかもしれません。
調子がいい時は、掃除とか片付けとかもさほど苦に感じませんけど
調子悪い時は、面倒くさくってこのままでいいや、って思っちゃいます。
でもごちゃごちゃしている部屋に帰ってくると、
余計に疲労が溜まっていくようで、悪循環にハマってしまうんですね。
昔は物を取っておく方でしたが、最近は捨てるのが楽しかったりします。
捨てた後に自覚できるほど、部屋が広々していると、快感すら覚えます。
あと服なんかは買ったら、その分古いのを捨てるようにしています。
一年に一回も着ないような「死に服」は結構あるもんです。
本当はフリマに出店すればいいんでしょうけど
面倒なのでその気はありません。
話は全然変わりますが、今日の巨人戦のバックネット裏の広告に
我が母校の城西大学の文字がおどってました。
いつ廃校になるかと思っていたのですが
あんなとこにお金を使って大丈夫なのでしょうか・・・