先日、産土(ウブスナ)について少し書いたが、
このことは、宮田登『神の民俗誌』(岩波新書、1979年発行)の
第一章「誕生の民俗」に詳しく紹介されている。
出産に際して産屋に砂を敷く古い習わしの存在を指摘しているが、
この典拠は『神道名目類従抄』である。
柳田國男が、ウブ神とウブスナ神が本来は同一のものと推察しているが、
「氏神」と「産土(うぶすな)神」の違い、共通性、歴史性を
この本は触れている。
詳細は書かないが、生命の誕生と、地域での誕生、そして神社の存在と歴史性。
これらを「ウブ」の語彙を通して、再考察する必要もあるのかもしれない。
こんな風に、産小屋習俗や、宮田登の引用する近世文献を基礎とする議論、
そして柳田國男の言説を基本踏襲する姿勢。
すっきり解決しそうで、何か引っかかるものがある。
出生に際しての「清らかな砂」。
この民俗事例を、いま一度、集積して検討してみないと、
すっきりとはいかない。そんな気がする。
このことは、宮田登『神の民俗誌』(岩波新書、1979年発行)の
第一章「誕生の民俗」に詳しく紹介されている。
出産に際して産屋に砂を敷く古い習わしの存在を指摘しているが、
この典拠は『神道名目類従抄』である。
柳田國男が、ウブ神とウブスナ神が本来は同一のものと推察しているが、
「氏神」と「産土(うぶすな)神」の違い、共通性、歴史性を
この本は触れている。
詳細は書かないが、生命の誕生と、地域での誕生、そして神社の存在と歴史性。
これらを「ウブ」の語彙を通して、再考察する必要もあるのかもしれない。
こんな風に、産小屋習俗や、宮田登の引用する近世文献を基礎とする議論、
そして柳田國男の言説を基本踏襲する姿勢。
すっきり解決しそうで、何か引っかかるものがある。
出生に際しての「清らかな砂」。
この民俗事例を、いま一度、集積して検討してみないと、
すっきりとはいかない。そんな気がする。