愛媛の伝承文化

大本敬久。民俗学・日本文化論。災害史・災害伝承。地域と文化、人間と社会。愛媛、四国を出発点に考えています。

愛媛の巨人伝説メモ②

2010年04月25日 | 口頭伝承


宇和の堂所山の「オオヒトの足跡石」は、実は西予市民はほとんど知らない。宇和の巨人伝説といえば、歯長峠の方が格段に有名である。この歯長峠の巨人伝説は、足利又太郎忠綱が源氏に追われてこの地に居住する。力は百人力で、声は十里に及び、歯の長さは1寸。この歯の長さから「歯長峠」と名前がついた、という伝説である。もとは、江戸時代編纂の『宇和旧記』に足利(田原)忠綱の記述が伊賀ノ上村の項にあり「是末代無雙勇士也、三事越人也、所謂、一、其力対百人也、二、其聲響十里、三、其歯一寸也云々」と巨人の様子が紹介されている。しかし最後の「云々」というのがひっかかる。そう、実はこの文章はある文献の「引用」なのだ。その文献とは「吾妻鏡」。治承5年閏2月25日条に同じ記述があるのだ。ということは、歯長峠その場所の伝説として巨人の様子が具体的に筆記されたのではなく、「吾妻鏡」の記述・知識がもとにあって、それを引用し、後に現地の巨人伝説として語られるようになったのである。このこともあって、某放送局の問い合わせには歯長峠の巨人伝説も興味深いが、堂所山の「オオヒトの足跡石」の方にリアリティがあると判断した次第。実際、オオヒトの足跡石からは、佐田岬半島・九州方面がよく見える。そして金山出石寺も見えるということで、足跡ができた理由とされる言い伝えに出てくる場所がすべて眺望できる位置にある。見えるからこそ、そこで語られたのだということが実感できた。さて、巨人のことを「オオヒト」と呼ぶが、漢字で表記すれば「大人」。これは東日本の巨人伝説「ダイダラボッチ」と関係があると言えなくもない。柳田国男によれば、ダイダラとは大きな太郎の意味で、ボッチは法師。つまり、大・太郎・法師というわけで、西日本のオオヒト=大・人と意味は似通っている。こんな巨人伝説は、全国各地にあるが、愛媛にもいろんなところにある。宇和でも堂所山、歯長峠、そして法華津峠にもあるらしいとの話を伝聞している。最後に、今回、某放送局の番組で放送されることになって、視聴者は現地を見たいという衝動にかられるかもしれないが、堂所山のオオヒトの足跡石は普通乗用車は避けた方がいいし、実際、放送局の車は最後、道を通ることができなかった。しかも、車を降りてから歩きが大変。これからの季節、草木が茂って、歩行困難。私が現地に行った際には、地元の方々が草刈機・鎌で道を作りながらの強行突破。お一人での現地散策は、まずお勧めできません。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

愛媛の巨人伝説メモ①

2010年04月24日 | 口頭伝承


すべては『宇和町誌』の記述が始まりだった。平成19年に愛媛県歴史文化博物館の企画展「異界・妖怪大博覧会」の開催準備の際に、私は愛媛県内各地の怪異伝説に関連する史跡を写真撮影していたわけであるが、『宇和町誌』1185頁に「大人様の足跡石」という項目があり、「山田の堂所山中に人の足形のついた岩石がある。里人はこの足跡のついた岩石をオオビトサマの足跡石と称している。この足跡は大人が谷をまたいで歩いた時、または、出石寺の仏様と山田薬師様が長い棒で荷物をかついだときについたものだという」。この記述を見て、地元である宇和町石城地区の方々にこの「足跡石」がどこにあるか聞いてみた。近年、その足跡石を見たわけではないが、昭和20年代には薪を取りに行く際に堂所山を登る途中に大きな足跡のついた岩があり、「オオヒトの足跡」と呼んでいたという。もう亡くなった老人の話では「オオヒトが九州へ飛んで行ったときにできた足跡」ともいい、「岩木の山からまたいできたときの足跡だ」ともいう。平成19年に一度、地元の方と堂所山に登って、その足跡石を探してみたが、結局、見つからなかった。そして3年が経ったつい先日のこと、「オオヒトの足跡の場所がわかった」との連絡があった。それは実際に行かねばならぬ。ということで、すぐに堂所山に登った次第。今回は、平成14年に足跡石を実際に見たという他の方も同行していただき、場所を確認。確かに「足跡石」と呼ばれる大きな岩にはたどり着いた。しかし岩の表面は草・土で覆われていてオオヒトの足跡はその大岩のどの部分にあるのか、確定できなかった。そして、運が良いのか悪いのか、時を同じくして四国内の様々な謎を解き明かすという番組を作っている某放送局から、愛媛県内の「謎」・「不思議」についての問い合わせがあり、この「足跡石」について話すと、番組で取り上げたいという。あれよ、あれよと取材を受けることになり、足跡石の表面の草・土を除く作業の際にテレビカメラが入ることに。結局、天候の都合もあり、当日、現地での作業・放送局の撮影は1時間だけであった。残念ながら、その限られた時間では足跡は確定できなかった。一応、足跡とおぼしきくぼみはあったのだが、昭和20年代に見たという方の証言では「もっとくっきりしていた」ということで、違うということになった。しかし、平成14年に見たという方の話では、そのくぼみが足跡ではないかという。結局は不確定。ただし、その大きな岩が足跡石であることは間違いなく、その場所を確認できただけでも収穫だった。テレビ的には「残念」ということになったのかもしれないが。このテレビ放映は、5月14日(金)20:00~20:43にNHK「四国なぞ解き行脚」。四国4県で流れるらしい。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする