このところ、話題になっている八幡浜市幸町の「八幡濱第一防空壕」。
本日午後、私が別件で八幡浜の弘法大師伝説を聞き取りしようと、松柏の知人宅を訪れたところ、その近所に、この防空壕の昭和16年2月に撮影された古写真を持っている方がいることを教えてもらった。早速、拝見させてもらい、写真撮影もしてみた。
この写真は、所蔵者の父が戦前からのものを丁寧にアルバムに整理されていた中の一枚だった。現在残っている防空壕跡と同じく、丸形の内部屋根になっている。電球や椅子も確認できる。現状とさほどかわりのない写真だ。やはり、この防空壕の現在の保存状態は極めて良好と改めて確認できた。
さて、その写真の脇には付箋が貼られ、「昭和十六年二月竣工、愛媛縣八幡浜市幸町、四国最初之防空壕」と記されていた。事実か否か確認していないが、四国ではじめての防空壕という記述には驚かされた。また、竣工が昭和16年2月であり、未だ太平洋戦争も始まっていない頃である。何故に防空壕を作ったのか、その理由がよくわからない。当時の新聞記事を確認したり、地元幸町の古老からの聞き取りなどで調べてみる必要がありそうだ。
情報提供 大本 2001/02/26
本日午後、私が別件で八幡浜の弘法大師伝説を聞き取りしようと、松柏の知人宅を訪れたところ、その近所に、この防空壕の昭和16年2月に撮影された古写真を持っている方がいることを教えてもらった。早速、拝見させてもらい、写真撮影もしてみた。
この写真は、所蔵者の父が戦前からのものを丁寧にアルバムに整理されていた中の一枚だった。現在残っている防空壕跡と同じく、丸形の内部屋根になっている。電球や椅子も確認できる。現状とさほどかわりのない写真だ。やはり、この防空壕の現在の保存状態は極めて良好と改めて確認できた。
さて、その写真の脇には付箋が貼られ、「昭和十六年二月竣工、愛媛縣八幡浜市幸町、四国最初之防空壕」と記されていた。事実か否か確認していないが、四国ではじめての防空壕という記述には驚かされた。また、竣工が昭和16年2月であり、未だ太平洋戦争も始まっていない頃である。何故に防空壕を作ったのか、その理由がよくわからない。当時の新聞記事を確認したり、地元幸町の古老からの聞き取りなどで調べてみる必要がありそうだ。
情報提供 大本 2001/02/26