もう一つ、大洲の食文化について。
大洲で非常に盛んなしいたけ栽培。
写真は「しいたけフェスタ2010in大洲」での、しいたけバベキュー。
肉を食べているのと変わらないほどの厚み、歯ごたえ。
大洲のしいたけは、実に美味い。
愛媛はしいたけ生産量は全国でも上位を占める。
近年の数字は手元にないが、
昭和56(1981)年には、大分、宮崎に次ぐ生産地で、
全国の9.4%を占めていた。
このしいたけ栽培は、戦前から盛んだったというわけではない。
大分、宮崎は戦前から盛んだったが、
愛媛では昭和40年代に入って急速に生産が拡大している。
県内では特に大洲市など肱川流域が盛んである。
昭和30年代のエネルギー革命で薪炭林の需要低下で、
それがしいたけ栽培へと転換し、
地元の森林組合、農協の共販体制で安定した販路を確保したことで
大洲のしいたけが発展したといえる。
大洲で非常に盛んなしいたけ栽培。
写真は「しいたけフェスタ2010in大洲」での、しいたけバベキュー。
肉を食べているのと変わらないほどの厚み、歯ごたえ。
大洲のしいたけは、実に美味い。
愛媛はしいたけ生産量は全国でも上位を占める。
近年の数字は手元にないが、
昭和56(1981)年には、大分、宮崎に次ぐ生産地で、
全国の9.4%を占めていた。
このしいたけ栽培は、戦前から盛んだったというわけではない。
大分、宮崎は戦前から盛んだったが、
愛媛では昭和40年代に入って急速に生産が拡大している。
県内では特に大洲市など肱川流域が盛んである。
昭和30年代のエネルギー革命で薪炭林の需要低下で、
それがしいたけ栽培へと転換し、
地元の森林組合、農協の共販体制で安定した販路を確保したことで
大洲のしいたけが発展したといえる。