10月8日に行われた今治市の大浜八幡神社の祭りを見物した。この祭りでは、ヤグラと呼ばれる太鼓台(布団屋根どころか、屋根自体がない。北条、菊間に見られるダンジリの系統と思われる。)、奴行列、獅子、櫂伝馬を見ることができ、今治、波方から芸予諸島にかけての祭りの典型と言える。ヤグラには化粧をした子供が4人乗り込んで、「アレワイナー、コレワイナー、アーヨーイートセ」と伊勢音頭にあわせて太鼓を叩くが、伊勢音頭の他に「チョーシャ、チョーシャ」というかけ声もある。地元の人に「チョーシャ」の意味は何かと訪ねると、単にかけ声であって特に意味はないという。この「チョーシャ」は、香川県西讃地方の布団太鼓の名称にもなっている「チョーサ(ちょうさ)」が原型だろう。大浜八幡神社のヤグラの歴史は嘉永年間以前に遡るが、このヤグラが瀬戸内海の海上交通によって伝播してきた際に、ともに伝わったかけ声なのかもしれないと、その時は考えた。
ところが、10月8日は、午後、宮窪町宮窪に移動し、尾形八幡神社の船渡御などを見物したのだが、ここでは神輿を担ぐ際に「チョウサ、チョウサ」と言っているのである。宮窪にも破風屋根のヤグラがあるが、ヤグラではなく、神輿のかけ声として「チョウサ」が使われていることに少し驚かされた。「チョウサ」は太鼓台やヤグラの伝播とともに伝わったかけ声という単純なものではないようだ。
さらに、4,5年前に、西宇和郡瀬戸町三机の八幡神社の祭りを見た際、お練りがはじまる前に子供たちが牛鬼の首を持って、家々をまわっては、首を屋敷内に突っ込んで祝儀をもらっていたが、この時のかけ声が「チョーヤサ、チョーヤサ、フーンエーイ」であったことを思い出した。これも「チョウサ」の変化型であろうか。「フーンエーイ」というのは、西宇和、八幡浜地方でよく聞くことのできるかけ声である。「チョーヤサ」については、その時、「チョウサ」と関係があるとは考えなかったが、三机は宇和島藩の参勤交代の寄港地でもあり、佐田岬半島の中では、瀬戸内海上交通の拠点でもあった場所であるため、いずれかの時代に、瀬戸内各地で聞くことのできる「チョウサ」のかけ声を導入したのかもしれない。
「チョウサ」イコール太鼓台と思いがちだが、そのかけ声の使用例は、太鼓台に限ることなく広がっていたようである。
2000年10月10日
ところが、10月8日は、午後、宮窪町宮窪に移動し、尾形八幡神社の船渡御などを見物したのだが、ここでは神輿を担ぐ際に「チョウサ、チョウサ」と言っているのである。宮窪にも破風屋根のヤグラがあるが、ヤグラではなく、神輿のかけ声として「チョウサ」が使われていることに少し驚かされた。「チョウサ」は太鼓台やヤグラの伝播とともに伝わったかけ声という単純なものではないようだ。
さらに、4,5年前に、西宇和郡瀬戸町三机の八幡神社の祭りを見た際、お練りがはじまる前に子供たちが牛鬼の首を持って、家々をまわっては、首を屋敷内に突っ込んで祝儀をもらっていたが、この時のかけ声が「チョーヤサ、チョーヤサ、フーンエーイ」であったことを思い出した。これも「チョウサ」の変化型であろうか。「フーンエーイ」というのは、西宇和、八幡浜地方でよく聞くことのできるかけ声である。「チョーヤサ」については、その時、「チョウサ」と関係があるとは考えなかったが、三机は宇和島藩の参勤交代の寄港地でもあり、佐田岬半島の中では、瀬戸内海上交通の拠点でもあった場所であるため、いずれかの時代に、瀬戸内各地で聞くことのできる「チョウサ」のかけ声を導入したのかもしれない。
「チョウサ」イコール太鼓台と思いがちだが、そのかけ声の使用例は、太鼓台に限ることなく広がっていたようである。
2000年10月10日