ホタルの光 2008年05月29日 | 日々雑記 我が家の裏は水路になっていて、例年、この時期にはホタルが出る。 今年も、そろそろかな、と思って見てみると、何と10匹以上も発見。 例年以上の多さにびっくり。 この光景を写真におさめようとしたが、難しい・・・。 一応、フラッシュをたかずに、ホタルの光だけ、撮ることができました。 これから6月にかけて、我が家はホタル鑑賞の日々が続きそう。
内子町のハゼの木4 2008年05月29日 | 生産生業 ハゼの実を、枝から落とすために、カラサオで叩いているところ。 実を落としてから、石臼やダイガラ臼で粉にして、 それを熱して、ハゼから蝋の原料をとる。
内子町のハゼの木3 2008年05月29日 | 生産生業 今日、5月29日、上芳我邸の庭に行くと、 ハゼの木周辺で、ブ~ン、ブ~ンという小さな音が聞こえる。 音の正体は、ハゼの花に群がる無数の蜂。 ハゼというと、自分の中では冬のイメージが強かったので、 この音には驚かされた。ハゼの四季を感じさせられた瞬間。
内子町のハゼの木 2008年05月29日 | 生産生業 内子は白壁の町並みだけでなく、製蝋用具でも有名。 内子の製蝋用具は愛媛県内で唯一の国指定有形民俗文化財。 この製蝋の原料はハゼ。写真は上芳我邸の庭にハゼの木。
樫木駄馬古墳2 2008年05月27日 | 地域史 この樫木駄馬古墳は、7世紀の横穴式石室。 中は暗く、前回来たときにはコウモリがいた。 今回は、コウモリはお留守でした。 横穴式石室に出入りできるので、 古墳を体感することができる。 一応、我が家から歩いて、卯之町の町並み(近世)、そこから山道。 松葉城、烏殿(中世)を通って、坂戸の樫木駄馬古墳(古代)まで約2時間半。 半日で近世→中世→古代までタイムとリップできる史跡めぐりコースでしたが、 途中の山道は危険がいっぱい。あまり欲張るものではない。
樫木駄馬古墳 2008年05月27日 | 地域史 宇和の古墳といえば、最近は笠置峠古墳など石城地区の古墳発掘で 話題が多いが、坂戸にある樫木駄馬(カタギダバ)古墳は、 近くまで車で行くことができる。山道を200メートルほど登れば、 横穴式石室が見えてくる。
松葉城6 2008年05月27日 | 地域史 余談です。 烏殿の下で、いのししにおびえながら、歩いていると、 へび発見。今季は、5月12日に初めてへびを目撃したが、 今日で2回目。おそるおそる撮影してみました。
松葉城5 2008年05月27日 | 地域史 松葉城関連の狼煙台があったという烏殿の下から、 田野中方面を撮影したもの。 烏殿の山頂からは、石城方面も一望できるし、 多田方面も見える。 ここに狼煙台があったという話に納得。
松葉城4 2008年05月27日 | 地域史 松葉城は、普通、卯之町や下松葉側から登るが、上松葉方面にも道がある。 その道を徒歩で北上すると、坂戸・平野線まで行くことができる。 途中、いのしし注意の看板が目に入って、一人では少々怖い。 約1時間半歩けば、松葉城から坂戸まで行くことができる。 その途中に、烏殿がある。標高が588メートル。 松葉城があった時代、この烏殿には狼煙台があったという。 近隣ではもっとも高い山で、宇和盆地が一望できる。 といっても、道が険しくて、烏殿の山頂には到達できず。 その下から撮影した写真。新城地区がよく見える。 写っている学校は、田之筋小学校。
明石寺のケヤキ 2008年05月27日 | 自然と文化 坪ヶ谷新四国をまわっていて、42番から43番の間に、 明石寺がある。これぞ本四国の霊場。 ここに地蔵堂があり、その後ろに、大きなケヤキがそびえたつ。 地蔵堂の地蔵は延命地蔵。地蔵を拝むと、背後の巨樹も拝むことになる。 地蔵の延命利益と巨樹の生命力が合わさったように感じる。
坪ヶ谷新四国9 2008年05月27日 | 信仰・宗教 坪ヶ谷新四国の結願の霊場は、この大師堂。 宇和養護学校付近。43番明石寺から宇和文化の里への遍路道沿いにある。 ここには木造の弘法大師像と薬師如来像、半跏の地蔵菩薩像(延命地蔵か)が 安置されている。 ちなみに、弘法大師像は、享保4年に高野山小田原正寿院の作。 薬師如来は、天保3年の作。つまり、この新四国が開創された時である。 灯篭の銘を見ると、寛政4年の寄進。天保3年以前にも大師堂が存在し、 それに乗りかかる形で新四国が形成されたことがわかる。
遍路道と「八幡浜新道」 2008年05月26日 | 地域史 宇和の下松葉の国道56号交差点。 ここに明治40年に建てられた遍路道標がある。 右側を示す指印が陽刻され、「へんろ道、八幡浜新道」と刻まれる。 左側面には、「左、八幡浜旧道、津布理道」とあり、 八幡浜旧道・新道の併記が興味深い。 実は、この道標が建立された8年前の明治32年に、 八幡浜と宇和を結ぶ県道が開通している。 この道は、双岩地区と多田地区を結ぶ鳥越峠を通るもので、 それまでの双岩地区と石城地区を結ぶ笠置峠は、歩道のみ。 新県道は、車道として、その後、八幡浜・宇和を結ぶ主要道となる。 宇和・宇和島方面から、八幡浜・西宇和方面への道の変遷を知る上で、 貴重な歴史資料といえる。
松葉城3 2008年05月26日 | 地域史 松葉城の頂上部からみた宇和の様子。 手前右が下松葉。左手が卯之町。奥が久枝。 左右に大きな道が走っているのが国道56号。 国道56号からも松葉城は岩肌むき出しで、よく見えます。