「民俗」とは、世代を越えて伝承される文化のことである。「歴史」は時代とともに変化していくものであるが、「民俗」は時代が変わったとしてもほぼ同じ形で伝えられていく。例えば昔話や伝説、例えば祭りや芸能、例えば年中行事などなど。これらは、我々の祖父・祖母の生まれた時代と比較しても、ほとんど変わることなく今に伝えられている。
さて、我々の年中行事の一つに「正月」がある。多くの人が神社に初詣に行き、神様にお賽銭を投げて、その年の無事を祈る。「正月」以外にも夏の「輪抜け」や秋の「祭り」の際に神社に行って神様を拝むことをする。また、年中行事以外にも「宮参り」や「七五三」など人生儀礼(通過儀礼)においても神社に行き、神様を拝む。我々の生活の節々には神様を拝む行為が見られるのである。
この神様とは何者なのか? 宗教としての神道の立場から見れば、神様は神聖・超越的であり、氏子を守る存在である。ただし、神様の宿る神社は日本の歴史において、特に明治時代以降、国家政策によって整備されたものということを忘れてはいけない。実は神様については、民俗の立場から見ると、多様な信仰の姿が見られるのである。「八幡」や「稲荷」、など、古くから祀られた神様もいれば、「天神(菅原道真)」、「和霊(山家清兵衛)」など、人が神に祀られる場合もある。神様は元来存在するものだけではなく、創出される場合があるのである。そして人が神に祀られる場合、その多くが「祟り」が関係している。人々は「祟り」を鎮めるために神様として崇敬し、神社に祀って「祟り」の「怖れ」を回避するのである。
「怖れ」の回避の手段には、神に祀り上げる方法の他に、共同体(村)から追放する方法がある。例えば、医療の未発達な江戸時代において、流行病が起こると、病を神様に見立て、神輿に乗せて村はずれまで送り、追放しようとしていた。今でも各地に流行病を祀った祠が村境に残っている。共同体に危険を及ぼす存在を、共同体の外に追い払い、危険を回避しようとするのである。
病による共同体からの追放といえば、歴史的にはハンセン病患者の例が多い。三瓶町鴫山にはハンセン病を患った姫が都から追放され、たどりついたと伝えられる場所がある。また、四国遍路(お遍路さん)の中にもかつて(戦前)はハンセン病患者が多数存在した。お遍路さんは四国の88ヶ所の霊場を巡ることによって願をかなえようとする信仰人であるが、かつてその中には自分の住む村を追放され、行き場・死に場を求めて四国にたどり着いた人がいたのである。そして、四国の人々はお遍路さんを弘法大師の化身と信じ、彼らに対して、金銭や食事などの接待をして、善行を行った。追放されつつも、それを受け入れる場として四国遍路は機能していたといえる。
民俗の立場から日常社会を眺めてみると、人は共同体(村)の中に生きるものの、「怖れ」を抱かせる者を祀り上げて「神様」という超越的存在としたり、村から追放しようとする行為に及ぶことがわかる。
「祓え(ハラエ)」という言葉がある。自分の身を安全にするために、自らに危険を感じるものを排除しようとする行為である。日本の民俗社会には自らを守ろうとして「祓え」を行うものの、それは自分本位の行為であって、追放されるものの立場にたって物事を考えていない。無責任なのである。排除される者の立場で複眼的に思考できる社会になれば、現代社会の様々な問題も解決するのだが・・・。
一例を挙げておこう。現代社会に残る問題の一つに、女性差別がある。民俗社会においても女人禁制といって儀礼の場から女性を排除しようとする例が多い。大相撲の土俵にも女性は上がってはいけないと大相撲協会は頑なに主張する。また、京都の祇園祭でも山鉾巡行では女性が排除される。これらは男性本位の儀礼であるため女性が排除されるのだが、その排除の理由に「ケガレ」を持ち出すことがある。ところが、それらの歴史をひもといてみると、大相撲の土俵に女性が上がってはいけないと強く主張するようになったのは明治時代からであり、相撲の伝統から言えば、つい最近のことである。また祇園祭は平安時代から続いているが、江戸時代初期以前は山鉾巡行に女性も参加していた。女性の「ケガレ」は、男性が女性を排除するために持ち出した論理にすぎないのである。男性本位社会の視点から見れば、「ケガレ」という排除の理由が正当化されているような錯覚に陥るが、男性は排除された女性の立場を考える視点を欠いているのである。
集団の中で、自分は何者なのか? そして他者(相手)は何者なのか? 無意識のうちに他者を排除し、自らの勝手な安心を得てはいないか? 複眼的な視点を持って、自分そして世の中を見つめてほしい。
*上記は7月16日に八幡浜工業高等学校において生徒・教職員を対象とした人権・同和教育講演会で講演した際に配布したレジュメの文章である。
2001年07月18日
さて、我々の年中行事の一つに「正月」がある。多くの人が神社に初詣に行き、神様にお賽銭を投げて、その年の無事を祈る。「正月」以外にも夏の「輪抜け」や秋の「祭り」の際に神社に行って神様を拝むことをする。また、年中行事以外にも「宮参り」や「七五三」など人生儀礼(通過儀礼)においても神社に行き、神様を拝む。我々の生活の節々には神様を拝む行為が見られるのである。
この神様とは何者なのか? 宗教としての神道の立場から見れば、神様は神聖・超越的であり、氏子を守る存在である。ただし、神様の宿る神社は日本の歴史において、特に明治時代以降、国家政策によって整備されたものということを忘れてはいけない。実は神様については、民俗の立場から見ると、多様な信仰の姿が見られるのである。「八幡」や「稲荷」、など、古くから祀られた神様もいれば、「天神(菅原道真)」、「和霊(山家清兵衛)」など、人が神に祀られる場合もある。神様は元来存在するものだけではなく、創出される場合があるのである。そして人が神に祀られる場合、その多くが「祟り」が関係している。人々は「祟り」を鎮めるために神様として崇敬し、神社に祀って「祟り」の「怖れ」を回避するのである。
「怖れ」の回避の手段には、神に祀り上げる方法の他に、共同体(村)から追放する方法がある。例えば、医療の未発達な江戸時代において、流行病が起こると、病を神様に見立て、神輿に乗せて村はずれまで送り、追放しようとしていた。今でも各地に流行病を祀った祠が村境に残っている。共同体に危険を及ぼす存在を、共同体の外に追い払い、危険を回避しようとするのである。
病による共同体からの追放といえば、歴史的にはハンセン病患者の例が多い。三瓶町鴫山にはハンセン病を患った姫が都から追放され、たどりついたと伝えられる場所がある。また、四国遍路(お遍路さん)の中にもかつて(戦前)はハンセン病患者が多数存在した。お遍路さんは四国の88ヶ所の霊場を巡ることによって願をかなえようとする信仰人であるが、かつてその中には自分の住む村を追放され、行き場・死に場を求めて四国にたどり着いた人がいたのである。そして、四国の人々はお遍路さんを弘法大師の化身と信じ、彼らに対して、金銭や食事などの接待をして、善行を行った。追放されつつも、それを受け入れる場として四国遍路は機能していたといえる。
民俗の立場から日常社会を眺めてみると、人は共同体(村)の中に生きるものの、「怖れ」を抱かせる者を祀り上げて「神様」という超越的存在としたり、村から追放しようとする行為に及ぶことがわかる。
「祓え(ハラエ)」という言葉がある。自分の身を安全にするために、自らに危険を感じるものを排除しようとする行為である。日本の民俗社会には自らを守ろうとして「祓え」を行うものの、それは自分本位の行為であって、追放されるものの立場にたって物事を考えていない。無責任なのである。排除される者の立場で複眼的に思考できる社会になれば、現代社会の様々な問題も解決するのだが・・・。
一例を挙げておこう。現代社会に残る問題の一つに、女性差別がある。民俗社会においても女人禁制といって儀礼の場から女性を排除しようとする例が多い。大相撲の土俵にも女性は上がってはいけないと大相撲協会は頑なに主張する。また、京都の祇園祭でも山鉾巡行では女性が排除される。これらは男性本位の儀礼であるため女性が排除されるのだが、その排除の理由に「ケガレ」を持ち出すことがある。ところが、それらの歴史をひもといてみると、大相撲の土俵に女性が上がってはいけないと強く主張するようになったのは明治時代からであり、相撲の伝統から言えば、つい最近のことである。また祇園祭は平安時代から続いているが、江戸時代初期以前は山鉾巡行に女性も参加していた。女性の「ケガレ」は、男性が女性を排除するために持ち出した論理にすぎないのである。男性本位社会の視点から見れば、「ケガレ」という排除の理由が正当化されているような錯覚に陥るが、男性は排除された女性の立場を考える視点を欠いているのである。
集団の中で、自分は何者なのか? そして他者(相手)は何者なのか? 無意識のうちに他者を排除し、自らの勝手な安心を得てはいないか? 複眼的な視点を持って、自分そして世の中を見つめてほしい。
*上記は7月16日に八幡浜工業高等学校において生徒・教職員を対象とした人権・同和教育講演会で講演した際に配布したレジュメの文章である。
2001年07月18日