五、俵津文楽(西予市明浜町)
俵津文楽は地元では「すがはら座」と呼ばれている。嘉永五(一八五二)年に地元の伊井庄吾が大坂より人形を数個買い入れて人形芝居を行ったことに始まるといわれ、明治三(一八七〇)年大阪文楽の竹本常太夫(本名近藤浅吉、周桑郡上市村・現西条市出身)が、俵津の者との縁組で永住することとなり、「すがはら座」を確立した。明治十九(一八八六)年には八幡浜の釜倉の「くぬぎ座」の人形頭や衣裳道具等を買い入れ、さらに大正十四(一九二五)年中村勗が淡路の「市村六之丞一座」一式を譲り受けて「すがはら座」は一段と充実した。この当時としては高額で、何年にもわたって資金を返済したという。他地域でも積極的に公演し、宇和島市日振島、戸島、西予市城川町、鬼北町などに出向いていた。
保存されている人形頭は、動物を含めて百点を超えている。中でも作者の銘が確認されているものが四十七点あり、人形製作師天狗久、その弟子で天狗弁、由良亀(淡路由良の藤代亀太郎)など明治時代を代表する作品が大半を占めており、衣裳もおよそ二百点、引幕、水引、ふすま、雑品にいたるまで非常に保存状態がよく、種類、量、質ともに豊かに整備されている。これら人形頭・衣裳道具一式は県の有形民俗文化財に指定されている。
現在、四月上旬に行われる「さくら祭り」に合わせて定期公演を行ったり、他地域の文楽保存会との合同公演等で活躍している。所在地は西予市明浜町俵津。保護団体は俵津文楽保存会。県の無形民俗文化財にも指定されている。
後継者であるが、旧明浜町役場に勤務する者をはじめ、俵津に住む二十歳代の若者は積極的に保存会の会員となって稽古に励む者が多い。また、女性の会員が県内の他座に比べて多く、人形遣いから衣裳の繕いまで幅広く保存・継承の役割を担っている。このように前述の朝日文楽と、この俵津文楽は後継者が多く、幅広い年齢層で保存会が運営されている。
俵津文楽は地元では「すがはら座」と呼ばれている。嘉永五(一八五二)年に地元の伊井庄吾が大坂より人形を数個買い入れて人形芝居を行ったことに始まるといわれ、明治三(一八七〇)年大阪文楽の竹本常太夫(本名近藤浅吉、周桑郡上市村・現西条市出身)が、俵津の者との縁組で永住することとなり、「すがはら座」を確立した。明治十九(一八八六)年には八幡浜の釜倉の「くぬぎ座」の人形頭や衣裳道具等を買い入れ、さらに大正十四(一九二五)年中村勗が淡路の「市村六之丞一座」一式を譲り受けて「すがはら座」は一段と充実した。この当時としては高額で、何年にもわたって資金を返済したという。他地域でも積極的に公演し、宇和島市日振島、戸島、西予市城川町、鬼北町などに出向いていた。
保存されている人形頭は、動物を含めて百点を超えている。中でも作者の銘が確認されているものが四十七点あり、人形製作師天狗久、その弟子で天狗弁、由良亀(淡路由良の藤代亀太郎)など明治時代を代表する作品が大半を占めており、衣裳もおよそ二百点、引幕、水引、ふすま、雑品にいたるまで非常に保存状態がよく、種類、量、質ともに豊かに整備されている。これら人形頭・衣裳道具一式は県の有形民俗文化財に指定されている。
現在、四月上旬に行われる「さくら祭り」に合わせて定期公演を行ったり、他地域の文楽保存会との合同公演等で活躍している。所在地は西予市明浜町俵津。保護団体は俵津文楽保存会。県の無形民俗文化財にも指定されている。
後継者であるが、旧明浜町役場に勤務する者をはじめ、俵津に住む二十歳代の若者は積極的に保存会の会員となって稽古に励む者が多い。また、女性の会員が県内の他座に比べて多く、人形遣いから衣裳の繕いまで幅広く保存・継承の役割を担っている。このように前述の朝日文楽と、この俵津文楽は後継者が多く、幅広い年齢層で保存会が運営されている。