頂が見えてきた🌄

2018年07月03日 | ドラネタ
同じアウトでも初回の3つと最終回の3つとでは、まるで意味合いが異なる。とりわけゲームの幕を引く27個目のアウトは緞帳のように重い。
クローザー、すなわち幕引き屋。

2007年11月1日、3勝1敗と中日が日本一に王手をかけて迎えた第5戦、中日の先発・山井大介は一世一代の快投を演じていた。北海道日本ハムを相手に、8回までひとりの走者も許していなかった。
得点は1対0。完全試合まで、あとアウト3つ。日本プロ野球史上、日本シリーズでの完全試合は、これまで一度もない。
落合監督がピッチャー交代を告げた。
「岩瀬!」
山井コール一色のナゴヤドームが一瞬にしてどよめきに包まれた。まばらな拍手は「エーッ!」という驚きの声にかき消された。
―背水の13球―
この日の岩瀬は〝招かれざる客〟だった。複雑な心境だったはず。
先頭の金子誠に対してはスライダーで空振り三振を奪った。続く代打の高橋信二には、これまたスライダーでレフトフライ、そして27人目の小谷野栄一はストレートでセカンドゴロに打ち取った。
背番号の数字同様、わずか13球で3つのアウトを奪った。
歓喜が訪れた。
やはり、岩瀬は凄かった。

岩瀬のボールは両サイドに滑る。右バッターには〝真っスラ〟気味のスライダー。これはインコースに食い込んでくる。そしてアウトコースには逃げていくシュート。
スライダーの特徴は、途中まで真っすぐに見える。打者の手許で食い込んでくるから、バットに当たってもヒットにならない。ほとんどが詰まった内野ゴロになる。
このスライダーをバックドアとして使うこともある。アウトサイドの遠いところからストライクゾーンぎりぎりに入れてくる。しかもコントロールがいい。“死神の鎌”と言われる所以だ。いつ見てても全く打たれる気がしなかった。

このオフ、岩瀬はベテランの悲哀を味わった。日本ハムから捕手の大野奨太がFA移籍するにあたって、中日は人的補償のためのプロテクトリストを日本ハムに提示したが、そこから岩瀬の名前が漏れていたという。
過去にも現ソフトバンク監督の工藤公康や、江藤智など、名だたる選手が人的補償で移籍したことがあるが、ドラゴンズ一筋19年の大選手がそういう形で移籍するとすれば、いかに実力の世界とは言え、切ない話だった。
結果的に岩瀬は中日で今季もプレーすることになった。彼の心中推して知るべしだが、今年、岩瀬はものすごい記録を達成しようとしている。
それは「1000試合登板」である。日本プロ野球82年の歴史でこれを達成した投手は1人もいない。

<登板数歴代5傑 実働期間と投球回数>
1 岩瀬仁紀 976登板(1999-現役)968.1回
2 米田哲也 949登板(1956-1977)5130回
3 金田正一 944登板(1950-1969)5526.2回
4 梶本隆夫 867登板(1954-1973)4208回
5 小山正明 856登板(1953-1973)4899回

6/30讀賣戦において976登板を果たした。
1000試合登板の頂まで残り『24』。
チームは7/1現在74試合を消化。岩瀬は22登板。このペースを考えると今シーズン最後の最後に集大成が見れるはず。
いよいよ前人未到の大記録、今シーズン達成がはっきりくっきり見えてきた。




2018.7/1現在・通算成績
976登板57勝51敗405セーブ
78ホールド96ホールポイント
勝率.528投球回968.1防御率2.29


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