大晦日には、今年は鐘をつきに行こうかと思っている。
去年の秋、わりと家の近くを歩いていたら、突然、鐘の音が聞こえておどろいた。
日本のゴ~ンというお寺の鐘ではなく、西洋の教会みたいな鐘の音。でも、この近くに教会はないはずなので???だった。
二年前、イタリアに行った時、30分おきくらいに鐘の音が聞こえてきて、ヨーロッパなんだなぁと感じた。
イタリア語で、カペラとキエーザはどっちも教会なのだと思うけど、どうちがうんだろう。
パレルモ駅の中にあったカペラはとても小さなお祈りの場みたいなところで、旅の無事を祈った。でも、盗難にあったのだけれど。同行者が。貴重品は盗られてないので、まぁよかったと思った。携帯(海外では使えないものだったので、ラッキーだったのか?)とカメラと髭そりとかパンとか入っていた。正露丸も入っていた。開けて、
「なんだこりゃあ? ぎゃー、臭い!!! 泥棒なんかして罰があたった! もうしない!」
と、思ってくれたことを祈る。
パレルモ駅に降りた時、半畳くらいの縦長の透明な箱の中にイエス様の誕生したときの馬小屋の様子がミニチュアで作ってあり、神父さん(の恰好をしていた)と布教活動の人々(なのかな? 3人)と、羊が一匹いた。
わたしのカメラで、羊と一緒の写真を撮ってくれたが、カメラは盗られた。もらったイエス様のポストカードは、しおり代わりに使って本にはさんだままになっている。
翌々日、パレルモを出るときには、透明の箱の中は空になっていた。
大晦日と元旦は、ペルージャ(たしかペルージャのはず)で過ごした。30分おきにくらいに鐘が聞こえたのはここ。
駅を下り、『地球の歩き方 イタリア ’98~’99』の地図を見たら2kmもないので歩くつもりだったけど、バスが来たので乗ってみたら正解だった。ものすごい登り坂だったので。
元旦は、4時間くらい散歩した。知らないところをてくてく歩くのが旅じゃないかとわたしは思っているのだけれど、同行者はたいへん機嫌が悪かった。夕方、大きな教会へ行った。ものすごい人だった。ミサだったのかな? 時間も長かった。女の人は最後に司祭様(と思うんだけど)に、うすい小さなおせんべいみたいなものを口にはさんでくれて、わたしもいただいた。
散歩をしている時、後ろから走ってきた車に教会はどこかと聞かれ、わからないと答えた。キエーザと言っていた。30代か40代の女の人が運転してひとりだった。後で『地球の歩き方』をみると、この辺、教会はいっぱいあるよね? どこの教会へ行きたかったんだろう? と思ったけど、答えられる語学力はない。
クリスチャンは、元旦はみんな教会へ行くのだろうか?
『はじめてのタロット』(鏡リュウジ 集英社)より、抜粋。
5 THE HIEROPHANT 教皇
鐘の音は、ヨーロッパでは教会の力がおよぶ範囲を定めるものといわれていました。悪魔も教会の鐘の音が聞こえる範囲には入ってこれない、というのです。そんな鐘の音は、人々を導く神様の声でもあるのです。
今では教会の鐘の音はそんな力を持ってはいません。でも、そのかわりに、人々を導く役割は多くの人が分担しています。たとえば、先生やお医者さまやカウンセラー。ときには学校の先輩だったり、部活のコーチだったりが、さまざまな指導や助言をしてくれるでしょう。この教皇のカードは、あなたを指導したり、教えたりしてくれる人との出会いをあらわしているというわけです。
人はひとりだけでは生きてはいけないもの、迷ったり悩んだりしたときには、信頼する人に打ちあけてみましょう。きっといいアドバイスが得られるはず、というのが教皇のカードがあなたに与えるメッセージです。
去年の秋、わりと家の近くを歩いていたら、突然、鐘の音が聞こえておどろいた。
日本のゴ~ンというお寺の鐘ではなく、西洋の教会みたいな鐘の音。でも、この近くに教会はないはずなので???だった。
二年前、イタリアに行った時、30分おきくらいに鐘の音が聞こえてきて、ヨーロッパなんだなぁと感じた。
イタリア語で、カペラとキエーザはどっちも教会なのだと思うけど、どうちがうんだろう。
パレルモ駅の中にあったカペラはとても小さなお祈りの場みたいなところで、旅の無事を祈った。でも、盗難にあったのだけれど。同行者が。貴重品は盗られてないので、まぁよかったと思った。携帯(海外では使えないものだったので、ラッキーだったのか?)とカメラと髭そりとかパンとか入っていた。正露丸も入っていた。開けて、
「なんだこりゃあ? ぎゃー、臭い!!! 泥棒なんかして罰があたった! もうしない!」
と、思ってくれたことを祈る。
パレルモ駅に降りた時、半畳くらいの縦長の透明な箱の中にイエス様の誕生したときの馬小屋の様子がミニチュアで作ってあり、神父さん(の恰好をしていた)と布教活動の人々(なのかな? 3人)と、羊が一匹いた。
わたしのカメラで、羊と一緒の写真を撮ってくれたが、カメラは盗られた。もらったイエス様のポストカードは、しおり代わりに使って本にはさんだままになっている。
翌々日、パレルモを出るときには、透明の箱の中は空になっていた。
大晦日と元旦は、ペルージャ(たしかペルージャのはず)で過ごした。30分おきにくらいに鐘が聞こえたのはここ。
駅を下り、『地球の歩き方 イタリア ’98~’99』の地図を見たら2kmもないので歩くつもりだったけど、バスが来たので乗ってみたら正解だった。ものすごい登り坂だったので。
元旦は、4時間くらい散歩した。知らないところをてくてく歩くのが旅じゃないかとわたしは思っているのだけれど、同行者はたいへん機嫌が悪かった。夕方、大きな教会へ行った。ものすごい人だった。ミサだったのかな? 時間も長かった。女の人は最後に司祭様(と思うんだけど)に、うすい小さなおせんべいみたいなものを口にはさんでくれて、わたしもいただいた。
散歩をしている時、後ろから走ってきた車に教会はどこかと聞かれ、わからないと答えた。キエーザと言っていた。30代か40代の女の人が運転してひとりだった。後で『地球の歩き方』をみると、この辺、教会はいっぱいあるよね? どこの教会へ行きたかったんだろう? と思ったけど、答えられる語学力はない。
クリスチャンは、元旦はみんな教会へ行くのだろうか?
『はじめてのタロット』(鏡リュウジ 集英社)より、抜粋。
5 THE HIEROPHANT 教皇
鐘の音は、ヨーロッパでは教会の力がおよぶ範囲を定めるものといわれていました。悪魔も教会の鐘の音が聞こえる範囲には入ってこれない、というのです。そんな鐘の音は、人々を導く神様の声でもあるのです。
今では教会の鐘の音はそんな力を持ってはいません。でも、そのかわりに、人々を導く役割は多くの人が分担しています。たとえば、先生やお医者さまやカウンセラー。ときには学校の先輩だったり、部活のコーチだったりが、さまざまな指導や助言をしてくれるでしょう。この教皇のカードは、あなたを指導したり、教えたりしてくれる人との出会いをあらわしているというわけです。
人はひとりだけでは生きてはいけないもの、迷ったり悩んだりしたときには、信頼する人に打ちあけてみましょう。きっといいアドバイスが得られるはず、というのが教皇のカードがあなたに与えるメッセージです。