詩人、彫刻家の高村光太郎が、戦後昭和20年から昭和27年まで7年間、一人暮らした山荘(いわゆる掘っ立て小屋です)。
疎開と、自省(戦争賛の詩を多く発表していた)のためとも言われている。
その後東京で、十和田湖畔に建つ「乙女の像」を制作。
それにしても、厳重な保存だ。
本体をガラスケースで囲んで、さらに覆屋で保護してる。
平泉の金色堂と同じ方法で、「歴史に接する」ライブ感がいまいち沸いてこないような。
世界中の「世界遺産」でさえ、どこも、どれも、ガラスケースに収まっていないと思いますけど・・・。
余談ですが、このやや近くを馬面電車(うまづら電車)と言われた花巻電鉄(宮沢賢治も大沢温泉行き等に利用していたらしい)が通っていた(1972年廃止)。
私も、この電車に乗って(その時は馬面ではなかったと思う)スキーに行った記憶がある。