友人の実家がある街。
その実家の100m手前まで津波が押し寄せたらしい(おかげで家族は全員無事だった)。
それにしても海のそばの低地(今回さらに73cm沈下)が街一番の繁華街になってしまっていた不思議、もしもあの日の地震と津波が日の暮れた夜だったら・・・危険と隣り合わせとは夢にも思っていなかったその地域は見るも無残な状態になっていました。
結局大船渡市街の約半分が被災、あのブランドお菓子「かもめの玉子」の製造会社も被災していました。
国道45号線を境に明暗を分けたその山脇にある神社の鳥居の前を、小学生が元気に集団下校していましたが、その道の脇にはいまだに撤去されていないガレキの山々が残っていました。
子供たちは生まれる場所と親をも選べない訳で、その子が自我を確立する前にこんな大災害を目の当たりにして、トラウマに陥ったケースを聞くと、育てる教育環境、生活環境は、親の利便性よりも、子供の安全性を最優先に構築しなければならないでしょう。
最新の画像[もっと見る]
- 「若冲が来てくれました」展・岩手県立美術館 12年前
- このところ写経とか 12年前
- 脳ドック 13年前
- 脳ドック 13年前
- 東北六魂祭 13年前
- 上海雑技 14年前
- 上海雑技 14年前
- 烏鎮古鎮 14年前
- 杭州・河坊街 14年前
- 三陸海岸被災地⑥大船渡市 14年前