日々の思い

日常の出来事、思いを書き続けて、自分を見つめて行きたいと思っています。

秋の彩を探しに

2017-11-25 08:39:47 | 日記
「彼らは互に言った、『道々お話しになったとき、また聖書を説き明してくださったとき、お互の心が内に燃えたではないか』。」ルカ24:32



今日はインフルエンザ予防接種の予約の日。高熱が出てあのシンドイのはつらいですからね。しかし今年は製造が遅れいつもより遅いです。やっと診療所から電話で来て下さいと言われホッ。



紅葉で錦絵の今。昨日は宇治川べりへ見に行きましたが、やはり宇治は遅いです。青々した葉が多いです。でも早ての木を撮りましたが、まだ整理出来てないです。



志津川へも見に行きましたが、もみじの種類が黄色なので諦めました。



庭の菊も寒そう。さぁ、診療所に向かいましょう。



写真はすべて京都の永観堂です。

上の言葉
エマオへ行く道すがら、よみがえった主が二人の弟子達と一緒に歩いて行きました。その道中、主はふたりに聖書のことばから語ってくださいました。そのとき、彼らの心が燃えるように感じたのです。まさにこれが聖霊、すなわち御霊の働きです。今も、みことばを読みますと、心に力を感じ、喜びを味わい、柔らかな温かい心に変ります。まさに御霊が働いているのです。(KE)

2017-11-24 08:40:24 | 日記
「神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神である。人はみな神に生きるものだからである。」ルカ20:38



 
寒いと言いながら何とか生きています。昨夜のTVで、東欧州のチェコ。ヨーロッパは隣国と陸続きですから、小国で弱体ではすぐに攻められ、他国の支配ですね。チェコは長年オーストリア、ドイツ、ロシアにずっと支配され今はやっと安泰でしょうか。そんな国が世界で多い訳で、島国の日本や英国は恵まれています。これからはハイテクですから解らないですが。



どこまで行っても人間の罪の世の中。欲と支配、挙句に抹殺でしょう。悲しいですね。何故和解が出来ないのでしょう。和解出来ないのが罪だ、と言われたらそうであります。悲しいですが。



今日は快晴。京都の町は錦絵の様でしょう。私も近場でも行きましょうかね。

上の言葉
今生きているあなたが信じる神様が「神」であって、過去にどれ程信仰深い人がいようと、その人の神様を借用するわけにはいきません。また、あなたが信じなければ、あなたにとって神様は存在しないのと同様です。さらに、神様を信じなければ、その人は「生きている」とは言えません。神様に造られた人間は、神様なしでは生きられないからです。あなたは本当に生きていますか。(KE)

裏通り

2017-11-23 10:25:04 | 日記
「ダビデはその日サウルを恐れて、立ってガテの王アキシのところへ逃げて行った。」サムエル上21:10



まだ11月ですが、12月末の様な気のする日々です。慌ただしくないです。全て便利になった世の中でお歳暮も年賀の注文もおセチの小さい物も注文し、家の掃除だけかな?それも適当にしましょう。まだ大晦日でもないのに、私も年末商戦に巻き込まれたか。

京極から河原町通りに出たのですが、狭い道でやはり裏通りですね。京都ですから大都会の裏通りとはまた違うと思いますが、それなりに面白さを感じました。



お昼だけ食事が出来るのでしょうか。



色んな工夫がされています。



ビルと京町家。こういった組み合わせが至る所にあります。




上の言葉
ダビデは神様を信頼しているとき、どんなことをも恐れません。しかし、神様を離れると、心に「恐れ」が忍び込んできます。そのため、ダビデは敵であったペリシテ人の王に助けを求めました。人が恐れに囚われると、思いがけない行動に出ます。ついに、彼は気が変になったふりをするはめになりました。「恐れ」に打ち勝つには、十字架を仰いで、神様の限りない愛を信じることです。(KE)

紅葉の見頃

2017-11-22 20:04:38 | 日記
「主よ、わが口に門守を置いて、わがくちびるの戸を守ってください。」 詩篇141:3



今年の紅葉の見頃が早くて、京都市の寺の紅葉は殆ど見頃とのこと。
今日の私は眼科検診でした。近くなのに9時40分に家を出て、帰ったのは
2時半。何度も機械で検診も疲れます。視力が落ちたと思っていましたが、
良い方だったので安堵。早めに注射が大事な様です。しか~しこの注射が
高いのです。網膜注射ではありますが、どうしてこんなに高いのでしょう。
最新治療はなんでも高い様です。何故?



紅葉は最後に精一杯輝くので美しいのでしょうか。
人の心に迫るのでしょうね。



明日にでも近くへ行ってみたいです。

上の言葉
「口は災いの元」とも言われます。言い足りなくて失敗することは余りありませんが、言い過ぎて大火事になることが多いのです。しかし、人は口を制することが難しく、みことばのように、神様に守っていただく以外にありません。また、「物言わぬは腹膨れるわざ」とも言います。言いたいことを言わないでおくとフラストレーションが溜まります。そのとき、人に言わず、神様に心の全てを注ぎ出すのです。これは実に爽快です。(KE)

永観堂門前

2017-11-21 19:32:34 | 日記
「罪を犯す魂は死ぬ。子は父の悪を負わない。父は子の悪を負わない。義人の義はその人に帰し、悪人の悪はその人に帰する。」エゼキエル18:20



永観堂や南禅寺界隈は懐かしい場所なんです。父の叔父、といっても昔の事、年齢は余り変わらないのですが、この辺りに住んでいました。今も子孫が住んでいます。普通の民家ですが、よく行ったものです。分家になりますから。今も親しくして下さった叔父や義叔母の姿が目に浮かびます。



銀閣寺から南禅寺までの一帯は昔、日本の財閥がこぞって大きな別荘を建てたのです。疎水から水を引き、大きな庭園に池を作り、粋を尽くした家や庭園がTV等で放映したことも多いです。中でも野村別荘、住友別荘は知っています。



数多い別荘ですが、一つでも解放して見せて欲しいものです。でもいつまでも繁栄は続かなくて手放され、ホテルや施設になったものも多いです。決まって高い生垣で囲まれていますから、中はどんなものかな?なんて興味が。ホテルになった建物で団体で泊まった事がありますが、素晴らしい日本庭園でした。



ここは永観堂の門前です。紅葉が見頃でした。今年は早い見頃を迎えましたね。今から寒くて今年の冬は寒いのでしょうか。



上の言葉
 神様の裁きはどこにも曖昧さのない、きっちりしたものです。罪を犯すとき、神様との交わりが絶たれ、「魂」は死にます。また、人はそれぞれのしわざに応じて報われ、誰もそれに加えることも、引くことも出来ません。たとえ、親子、肉親同士であっても。そのような神様が御子を世に降し、贖いの犠牲としたのです。神様はあなたが救われるのを待って忍耐しておられます。(KE)