日々の思い

日常の出来事、思いを書き続けて、自分を見つめて行きたいと思っています。

憎しみを超えて

2017-11-20 18:46:31 | 日記
「わたしはわが名を呼ばなかった国民に言った、『わたしはここにいる、わたしはここにいる』と。」イザヤ65:1b



「トラトラトラ」を打電した真珠湾攻撃総隊長、淵田美津雄は、戦後キリスト教徒となり、かつての敵国アメリカに渡り、伝道の旅を続けた。アメリカ陸軍のジェイコブ・ディシェイザー。真珠湾への復しゅうに燃え、日本本土への初空襲を志願、名古屋に数百発の爆弾を投下した。彼もまた戦後宣教師となり自分が命を奪った名古屋を拠点に伝道を続けた。ふたりの物語は、憎しみの連鎖に覆われた今の世界に確かなメッセージを与えてくれる。

語り:髙橋美鈴

昨日は礼拝後、NHKスペシャルで放映されたDVDを見せて頂いた。何と真珠湾攻撃で生き残った日米の二人がクリスチャンになり、そして伝道者になったのです。憎しみに満ちた二人でしたが、和解したのです。
これは戦争だけでなく1度憎しみ合った者が和解に導かれるのは並大抵の事ではない。大きな憎しみから信仰に至った経験を生かし伝道者として大きな働きをされたのでしょ


世界は憎しみに満ちています。相手を知る事が大事ですし、正しく知って、赦す事が大事です。しかし諸々のものに影響され何と難しい事でしょう。私は人間の限界みたいなものを感じてしまうのですが。神の子キリストを知る事しかないと思うのです。



先日の宇治川べりです。ツタが紅葉しかけていました。



季節は正直ですね。特に今は急に寒くなって紅葉の見頃でしょう。



保育園児が可愛いです。

上の言葉
神様は私たちにご自身を知ってもらいたいと願っています。ですから、すべての被造物のなかに、神様は「ここにいる」としるしを残しています。まるで「かくれんぼ」をしているように。はやく気づいてほしいと待っているのです。しかも、すっかり隠れるのではなく、見つけやすいように隠れています。神様の霊に導かれて、こころの目が開かれれば、神様を見ることができます。(KE)

草多い丘

2017-11-19 08:18:54 | 日記
「苦しみにあったことは、わたしに良い事です。これによってわたしはあなたのおきてを学ぶことができました。」詩篇119:71



夏から急に秋を超え冬になってしまいました。日本も南北に長いので北国では雪でしょう。南国ではまだ陽春でしょうか。HPを始めて14年。1度もお会いしてなく今も文字だけですが、ネット友が北海道にも沖縄にもおられます。私は中間点の近畿。ネットで情報を多く知りました。近くの友は会った方もあり、色んな影響を受け感謝です。



村から小高い丘に上がりましたが、いつも草が一杯生えて鬱陶しい所です。今回はまだましでした。やはり茶畑が多くあり、柿もあります。宇治田原は何処まで行ってもお茶と柿でしょうか。



この場所も好きな小屋が2個壊され、古木の柿の木も無くなって良さが半減しました。この日は晴れていますが、霧の深い時はやはり幻想的です。



この道はいつか来た道~♪ そんな感じがします。最近では年に1度も来ない時もあります。





畑がトラノオに覆われて黄色が美しいでした。トラノオは雑草ですが、群生すると美しいです。

上の言葉
苦しみにあうことは、不幸なことであり、悲しむべきことだと世間の人は言います。しかし、ここには「良い事」と言われています。その本意は神様を知ることができたからです。神様に出会い、知ることができるのは、人にとって最高の恵みです。苦しみにあうとき、人は心砕けたものとなり、謙遜に神様を求めますが、順調なとき、幸いな時、神様を求めません。神様に出会う者となってください。(KE)

2017-11-18 13:37:35 | 日記
「しかし、イエスはすぐに彼らに声をかけて、『しっかりするのだ、わたしである。恐れることはない』と言われた。」マタイ14:27



もう早年賀状を作る時期になりましたね。諸々の用事も満載。色んな用事を済ませかえってホッ。正月なんて来てほしくないです。
高い所から今度は低い所へ来ました。ここは村で民家が多いです。



道にはまだ露があってこの日は早朝に出て車を避けて来たのでしょうか。めったに車も人も見ないです。



この辺りでは古老柿を作ってられるのをよく見かけるのですが。



私の生まれ故郷は宇治川下流ですが、ススキは余り見なくて、葦をよく見ます。川によくありますが、宇治川の畔には群生していて、圧倒されます。ススキは山手。葦は川の下流や、湖の畔が多いのでしょうか。



今日は土曜日。写真店では年賀状の客でいっぱいでした。家族の写真の年賀状も面白いですね。



5か所程行っても、アー忘れた、と。年ですね。

上の言葉
ガリラヤ湖で逆風にあい、進めずにいた弟子達の舟に、夜明けごろイエス様が近づいてこられました。彼らは幽霊だと怖じ惑いましたが、主は声をかけて彼らを元気付けました。イエス様はいつも私たちと共にいてくださる方です。それはどんな境遇・状況にあっても、私たちを助けてくださるためなのです。一人で悩まず、主を信じて祈り求めてください。必ず、主は答えてくださいます。(KE)

爽快なり

2017-11-17 13:54:08 | 日記
「目を高くあげて、だれが、これらのものを創造したかを見よ。」イザヤ40:26a



茶畑を南に移動しますが、遠くに杉林があり真ん中に道、左に柿が色を添える好きな被写体があるのですが、手前に雑草がびっしりで背の低い私は大変困るのです。



何とか避けてパチリ。さぁ、高いところへ登りましょう。エンヤコラと。茶畑は平たんな所はまずありません。



ここにも小屋があり、回りを360度見渡せ爽快です。広々した所に我一人。気持ちいいですね。



向こうの山も広大な茶畑の様です。1度行ってみたですが。まだまだ宇治田原で解らない所も多いです。



宇治茶のブームですから益々用いられる事でしょう。



昨日の京都の紅葉からまた宇治田原へ戻りました。

上の言葉
神様を信じると言いながら、どのような方だと信じているのでしょうか。聖書が伝える神様は天地万物の創造者、全知・全能なる神、時間空間を越えて存在しておられる方です。と言われても、具体的なことは何ひとつ分りません。人の知識では到底知り尽くせない方ですが、神様はご自分を知って欲しいと願っています。そのため、いろんな事件や事態、事柄の中にその片鱗を現しておられます。心の目をひらいて、神様を発見してください。(KE)

永観堂紅葉

2017-11-16 17:29:01 | 日記
「われらにおのが日を数えることを教えて、知恵の心を得させてください。」 詩篇90:12



今年の京都の紅葉は行けるかどうか?と心配してましたが、今朝永観堂へ行きました。曇り空でしたがピカ天よりましかも解りません。ガレージも近くは満杯で少し遠いですが仕方ありません。何故永観堂を選んだかといいますと、京都で最も早い紅葉だからです。本当は大原か嵯峨へ行きたいのですが。平日でも大勢の客で、外国語の方が日本語より多く聞こえます。



苔と紅葉は京都の寺の特色でしょうか。



スマホでパチリは楽で時代の流れの様です。





可愛い紅葉の葉です。



黄色い銀杏の絨毯が美しいでした。



疎水から水を引き、皆さん、美しい!と感嘆の声が。京都の紅葉は人工的ですが、赤、黄色。緑と色が鮮やかで人気です。TVで報道されるので益々人出が多くなりました。東北や信州等の紅葉はナナカマドやウルシの赤で自然ですから私はその方が好きですが、こうして京都の紅葉を見るとこれもいいですね。

上の子よば
この地上での生涯は永遠に続くものではありません。必ず、終わる時がきます。ただ、それがいつであるか、だれも知りません。そのため、いつまでも続くものと錯覚しています。始まりと終りを知って、今がどのような時であるかを自覚することが大切です。ある人の歌に、「今は人生の何章目だろうか」という言葉がありましたが、あなたはそれを知っていますか。(KE)