日々の思い

日常の出来事、思いを書き続けて、自分を見つめて行きたいと思っています。

里の秋

2017-11-05 08:28:37 | 日記
「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。」ローマ8:28




宇治田原へ来ますと、いかにも里の秋の赴きがあります。四季折々良いところは多いですが、秋は茶畑と柿のコラボが心惹かれます。柿は奈良や京都は豊富なんです。母の故郷の長岡京市も柿が多かったですね。屋敷の中や柿畑があってよく食べました。凄く甘い柿でした。今や住宅地になってます。しかし実家は今も藪に抱かれ山が直ぐ近くにあって、ノンビリしています。その藪の群れが嵐山まで続いています。



長岡は藪でタケノコの名産地。宇治田原はお茶の名産地です。長岡は西山ですが、田原は東山でしょうか。京都府南部はその中間が大きな平野で、私が生まれた地域があります。平野は山がないので美しさには欠けますが、お米は豊富に取れるし、農地は棚田等はなくて、大きな田んぼばかりで区画整理がされ、水路は普通の水道のネジで田んぼに水を引き便利です。しかし近年の農業政策により豊かさがなくなりました。



土地に合った産物が起こされ皆生きて来たのですね。そこに住む人達は山の人は気質が穏やかに思えます。ゆったりしてらっしゃる。人間ですから底にあるものは同じですが。我々パチリに寄せて頂き恩恵を受け、里の秋を満喫させてもらってます。



この畑にいつまでいるねん、と言われそうですが、飽きないのですよ。たまに来るのですからゆっくりしましょう。朝は車も人もめったに見ないです。



また霧が部分的に来たのでしょうか。光芒ですね。この日はパッと変わった風景になってびっくりします。

上の言葉
神様は救いを信じる者たちと共に生きてくださって、人生の隅々まで干渉しておられます。私達は無知蒙昧であっても、神様は全知全能な方、これ以外にないと言えることを備え導いてくださいます。ですから、失望したり落胆したりしないでください。失敗を成功に、悲しみを喜びに、つぶやきを感謝に、対立を和解へ変えてくださいます。(KE)

不思議な霧

2017-11-04 09:38:07 | 日記
「あなたがたが父に求めるものはなんでも、わたしの名によって下さるであろう。」ヨハネ16:23c



凄いゴーストが入るな、と思っていましたが、どうやら薄い霧ではありますが、刻々と変化し、部分的に濃い霧が来る様です。この場所ではいつも平面的な霧しか会った事がありませんが、どうやらこの日は違っていた様です。三脚も立てない、手抜きしてますから、ゴーストと思い避けるのに難義してましたが、この柿の部分に濃い霧が来た様です。



木が多い林なら光芒になるでしょうが、柿の木が数本ですから、そうはならないですね。



こんな狭い茶畑で刻一刻と変化ですから、呆気にとられてみる事が出来ました。



これは明らかに光芒でしょう。毎度毎度の場所で光芒に出会えるとは!



風景写真は気候、気温、場所、光の変化で移動等々。毎日来る人もありますが、納得します。そこまでは出来ないですね。私なんて月1度も出来なくなりました。トホホであります。

上の言葉
考えてみるとお祈りとは不思議なことです。世間でも神仏に祈りますが、祈りなさいと勧めて下さる方は聖書の神様以外にありません。しかも、漠然とした神様の話ではなく、神の御子であるイエス様が「わたしの名によって」と保証しているのですから、これほど確かなことはありません。祈りが、何かの、誰かの、功績やわざによってかなえられるとしたら、私達は絶望するしかありません。この言葉を信じて求めましょう。(KE)

いつものところで

2017-11-03 08:29:07 | 日記
「弟子たちは皆イエスを見捨てて逃げ去った。」マルコ14:50




柿の時期が来ますといつもこの場所へ来てしまいます。柿の向こうに崩れかかった小屋がポイントでしょうか。でも~宇治田原も変わって来ました。第2名神の工事が始まって平行して、撮影ポイントが5か所は何かの工事です。この茶畑と柿の反対側の大茶畑が昨年から手入れしてないな、と思ってましたが、何とブルドーダーが入って壊しています。何が立つのか?どこも変化は仕方ないでしょう。





枯葉が落ち晩秋ですね。ここは高い場所ですから寒いのか柿の葉が殆ど落ちています。



不思議な事ですが、今はお茶の花の最中なんです。余り目立たない白い花ですが、刈り込んでしまいますから中の方に入って、パチリはしないです。



この場面も霧は移動するので次々変わりますから、面白いです。霧は変化があって私は好きですねぇ。



今日は文化の日。3連休とか。連日休日の私も用事もあるので出なきゃ。

上の言葉
ゲッセマネの園で祈られたのち、イエス様は祭司長や律法学者らの手に捕らえられました。そのとき弟子達は皆逃げ去って、だれもいませんでした。あれほど慕っていた弟子達ですが、自分の身に害が及ぶことを恐れて、義理も人情もすべて吹っ飛んでしまったのです。しかし、私は彼らの弱さを非難できません。私も彼らの仲間です。どんな境遇・事態のなかでもたえず主のそばに留まる力と勇気を与えてくださるようにと祈るばかりです。(KE)

宇治川濁流

2017-11-02 02:02:48 | 日記
「またあなたがたの頭の毛までも、みな数えられている。」マタイ10:30



宇治田原より帰りに寄った天ヶ瀬ダムと宇治川には驚きました。台風21号はかなりの雨でしたが、22号はそう降らなかったのです。でもこんなに川幅が広がり、ゴーゴーと大きな音を立てて流れるのは珍しく、たぶん滋賀県に多く降って琵琶湖に集まったのかも解りません。TVでよく見る濁流など自然の猛威の怖さを覚えました。





川は曲がってる所があり急流がぶちあたり逆流するためでしょう、渦巻きになってる箇所が多くありました。



岸辺の木も水にうずもれています。





ダムの方へ来るとギョッとする瀑布!ダムの補強と3か所の水を噴出する箇所がありますが、雨量が多い場合、水がはけないので川底40m下に大きな土管を埋め込みもう1本の放水が出来るように工事が進められています。もう出来上がったと思っていましたが、まだ2年間はかかる様です。



琵琶湖も支流が多くありますが、宇治川に注ぐのが最も多いかも解りません。最近の集中豪雨の為には今までの
装置では災害になるのでしょう。





ゴーゴー流れる水の勢いに圧倒されるいつもの宇治川でした。

上の言葉
野鳥を観察する人たちは餌場に集まる鳥をすばやく数えます。しかし、彼らでも自分の頭髪が何本あるのか知らないでしょう。神様はそれを数えていると言うのですから、なんだか恐ろしい気がします。この言葉に続いて、「それだから、恐れることはない」とあります。確かに神様はすべてお見通しですから、安心だとも言えます。知られているのが怖いと感じるか、それとも安心だと思うのか、これは神様への信頼のバロメーターです。(KE)


茶畑の夜明け

2017-11-01 08:36:29 | 日記
「わたしはみ言葉を与えられて、それを食べました。み言葉は、わたしに喜びとなり、心の楽しみとなりました。万軍の神、主よ、わたしは、あなたの名をもってとなえられている者です。」エレミヤ15:16



やっと昨日宇治田原へ行けました。いつもいつもの場所ですが、丁度太陽が顏を出しました。この日は薄い霧があり快晴。やっと期待した天気です。



オレンジの光が茶畑を照らします。



ゴーストが一杯でますが、パチリ。



まだ光が入らないとこんなものです。



茶の木に陰影が出来ます。



やっと来れたお茶の里山の上で空気も澄んで心が広がる様です。感謝です。また徐々に更新します。

上の言葉
言葉を食べるとは奇妙な言い方ですが、本意は神様の言葉に自分をぴったりと合わせることです。聞いてやり過ごすのではなく、食物の如く、咀嚼し、飲み込み、自分の一部にするのです。体に入ったものは姿かたちがなくなってもエネルギーとなり、行動を生み出します。(KE)