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2010年2月15日配信
記事の紹介です。
中国言論封殺 日本も臆せず声上げよ
2010年2月15日
中国の政治体制をインターネットで批判した文芸評論家、劉暁波氏(54)に対する懲役十一年の実刑が確定した。欧米諸国は判決を言論の自由侵害と抗議している。日本も臆(おく)せず声を上げるべきだ。
北京市高級人民法院(高裁)は十一日、一党独裁終結などを呼び掛けた文書「〇八憲章」を起草したとして国家政権転覆扇動罪に問われた劉氏の控訴を棄却した。
中国は二審制のため、昨年十二月、同市第一中級人民法院(地裁)が言い渡した懲役十一年の実刑が確定した。
一審判決は、劉氏が民主的な立憲政治の実現や「中華連邦共和国建設」を主張したことを政権転覆を図る犯罪と認定した。これに対し「言論自由の範囲内」と控訴した劉氏は棄却決定後、「私は無罪だ」と大声で叫んだという。
判決も認める通り、劉氏が罪に問われたのは言論で具体的活動に従事したわけではない。重刑は中国も署名し批准を約束した国際人権B規約(市民的、政治的権利の保障)に反するばかりでなく、大国に躍進した中国の前途に対する各国の懸念を招くのではないか。
劉氏は一九八九年、天安門広場の民主化運動に参加し政府批判の一方で学生にも自制を求めハンストをしたが、軍による鎮圧で逮捕された。一年半の獄中生活後、ネットなどで発言を続けてきた。
劉氏の長期投獄をはじめ、最近、強化されている人権や環境、消費者運動への締め付けは中国社会の開放の流れにも逆行する。
ふがいないのは日本政府の対応だ。劉氏の公判には欧米の外交官が詰め掛けた。傍聴を拒否されても酷寒の中、屋外で待ち米国や欧州連合(EU)の代表は判決後、現場で抗議声明を読み上げた。日本の存在は全く見えなかった。
日本が天安門事件後、欧米の中国批判と一線を画し中国の国際社会復帰を進めたのは歴史的意義があった。靖国問題をめぐる対立の後、四年前には中国に主張すべきは主張するが相互利益を軸に協力も求める「戦略的互恵関係」を目指すことになった。
しかし、政権が交代しても「友好」のエールを交わすばかりで新規供与を停止した対中円借款に代わる新たな協力枠組みの検討は進んでいない。一方で対中批判の封印が、ずるずると続いている。
この間、日本以上に対中協力を深めた米欧は果敢に中国への主張も展開している。今では、日本が守る沈黙は中国の感謝より、かえって軽視を招くのではないか。
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