言い訳に聴こえるかもしれないのでおそらく言い訳なのだと思うのですが、
長い間海外で暮らしておりますと、日本の四季折々の行事などには
とんと疎くなってしまうという、久保田早紀さんに歌わせるところの、
悲しみをもてあます異邦人でありまする。つい先日も、
こちらに在住の日本人の友達からの電話で、
「ねぇ、今年は節分する?」とふいに尋ねられて、
「え、セツブン? それはもしや新種のカナブン?」
と言い返してあやうく電話を切られてしまいそうになってしまった
誰にいわせることもなくあほうな異邦人であります。
いかんいかんよ、
あほうはもう治らないかもしれないけれど、
しかしやはりどこに住んでいても
大和撫子魂は持ち続けていないとね。
ということで、
友達との電話をきった後でさっそく豆撒きをすることに決定。
よぉ~しっ、気合入れて豆まくぞうっ!!!
なんてたって気合だけで今まで生きてきたあたしなのだ、
鬼だって気合で退治してくれるぅっ、さぁ~いくわよっ、
鬼は~~~~~~~~~~~~~そ、
あ、
しまったぁあああ~~~~!!!!
豆がなかったわ。
あたくしとしたことが・・・・不覚でござんす・・・・・う~~~む、
どないしよー。
まく豆がなかったら鬼退治できなくってよ、んもうっ。
まさか豆といっても丸大豆醤油の瓶を庭にぶちまけるわけにもいくまい。
というかそれはただ名前の一部が、
「やぁ大豆です!」
って出生の秘密を打ち明けているだけなのであった。
ならば納豆ではどうだろう?
ちょっと発酵しているけど大豆だし、
固形だからつかめるし、
手のひらにぴったりくっつくし、
でもいざまいた時に、
鬼は~~~~~~~~そとぅわねばり~~~~~ん・・・だろ~ん・・・
ってなって歯切れがよくなくて鬼だって出て行く張り合いに欠けちゃうと思う。
鬼くんだって別れ際くらい爽やかに去って行きたいに違いないのだ、
何事も去り際って肝心よね♪ お、そうだ、それならば(←って何が?)
M&Mのチョコレートでカラフルに見送ってあげよう。
丸くて小粒だし、見ようによっては派手な大豆くんって感じでアメリカンだし、
中には甘党の鬼だっているかもしれなくってよ、それに私だって、
年の数だけ19粒チョコが食べれるしね、うっふ~。(←時々記憶障害をおこすらしい)
ささ、チョコらしき豆(←明らかにチョコです)もあるし、
さぁ今度こそいくわよっ、いよぉ~~~~~うっ、
鬼は~~~~~そと~~~~~
福は~~~~~~~~~~~~う、
ピンポーン♪
と玄関のチャイムが。
だぁ~~~~~っ、もう誰なのぉっ、
福を呼んでいる最中に邪魔をする不届き者はっ?!
とプンスカしながら玄関の戸を開けると、
そこには日本からの宅急便が。
箱にはアマゾンJPの文字。
ふむ、はて、こりは?
って、
ひぃやぁああああああああああああっ、
キネ旬だわ。
おおっ、神よっ、
マッハの速度で福到来っ!!!
時代はどこもスピード化してるのね。
ありがたや~、待ちに待っていたキネ旬がぁ。。。。
うぅ、おいどんはなにもせんとですがなんだか気分は
やりもうしたっ!!!
いえい。
ということでありまして手に取ったキネ旬。
ドキドキしながらページを捲ってみて、おわぁっ、よ、よ、よ、よ、
吉岡くんがぁ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っ、
いる。
ってそりゃぁ~そうなのよ、だから購入したのよっ、はいはいはいはいもう
ちゃんと落ち着いて見ないとであってよっ! ページ開いてっ、チラ、
っ、ふぁ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っ、
いたりする。
ダメだぁ・・・・また血圧が上300下299まであがってしまった・・・。
どうしていつもこんなにドキドキしちゃうのだろう。。。
でもこれが恋心ってやつなのよね、吉岡くん・・・きゅぃ
しょうがないから気持ちが落ち着くまで部屋の掃除をして、
川に洗濯に行き、山へ芝刈りをして、鬼退治は済んだし、あとは
桃太郎の学費の準備を・・・ってそんなんじゃないのだった・・・。
きちんと吉岡君の写真と対峙しなくちゃであってよ、そうだ、
なんてたって人生は、愛と勇気と気合なのだ、それでいいのだ。
ということで再びページを開いて、おおっ、すばらしいっ、なんとも
美味しそうなカレー。印度カレーかしらん? それともジャワ?
って反対のページ見てどうすんのおっ!!!
なんてなことをほぼ半日繰り返した挙句に、やっとこさ拝見できた
吉岡くんのお姿。
なんか渋い。。。。
うっすらと伸びたお髭のせい?
いやそれだけじゃないぞう。
なんかもう全体的に、
渋いぞな、吉岡殿。
洋装だけど、
なんだか、どことなく、武士っぽい。
というか、
武士の精神の雰囲気がする。
それは吉備真備を演じていた最中だからなのかな・・・。
でももっとなんというか、
武士道の精神っぽい・・・。
身体はカメラのすぐ前に立っているのだけれど、
でも心は凛として一定の遠距離をレンズへと保っているというか・・・、
己を主張することなく己でいる、というか・・・、
かっこええ。
渋し、吉岡っ、
極上だぁ~!
今回の写真を見て、更に頭の上でファンファーレが鳴ってしまったのが、
その立ち姿・・・・。
吉岡君が両手をズボンのポケットに入れている、
という姿勢が昔からものごっつう好きでありまして、
とても細身な体躯なのだけれど、
だけど肩幅がしっかりとしていて広い、
というそりゃぁ~もうブラボーな体型が、
その立ち姿でいっそう強調されるというか、
とにかくもうその姿を文学的に表現いたしますると、
す・て・き。
んはっ となりまして大いにクラッ、
でありまする。
それに服~~~~~~~~~~っ!!!
このチョイスはもう、
ちょっと間違ったら、
紫な気分のルパン三世となりかねない。
しかしさらりんと着こなしてしまうのだ、はぁ吉岡君ったら
さすがのレインボーマン、とれびあ~~~~~んっ!!!
無敵じゃ。
紫は人を選んでそこから個別色を発光するのだ、吉岡君の紫は、
気品。
たまらんぜ、吉岡、って何度も呼び捨てにしちゃったわ、ふふ。(←なにやつ?)
しかしその姿もさることながら、
今回のインタビューでの彼の言葉を読んで、
さらに惚れ直してしまったでありもうす。
いつものことだけど。。。
吉岡君のインタビューを読んだり聴いたりするたびに思うのが、
どうしてこの人の世界はこんなにも素直なんだろう、
ということでありまするだ。
その目、眼差しが、心のまっすぐ中心から開いている、
という感想をいつも受けるとです。
そして逞しい。
その魂のありようが、
とても逞しいと思うとです。
演じるにあたって、しいては生きることに対して、
悩んで悩んで悩みまくるのだろうけれど、
けれども吉岡君はそれを試金石として
いつでも己の原点に戻れる、白紙になれる強さがある。
それはすなわち常に真新しい勝負に真っ向から立ち向かえるという
潔い逞しさがあるのだと思うです。
一つの作品に出る。
それは一つの勝負に出るということで、
まったくのゼロからの始まりであり、
例えばその前の作品でどんなに高評価をとったとしても
それはその時の勝利の喜びであり評価なのであって、
次の仕事の結果には実際には関係してこないわけで、
だからその都度やってくる好結果は、
「これからの」自分に自信を与え、後押ししてくれる力とはなっても、
それは自分のあぐらの下に積んでいく賞賛として、
山田君に座布団を重ねてもらうことではないと思うわけで。
埃と誇りは溜めすぎてはいけないものですよねい。
でも誰だって座布団を重ねてもらうのは嬉しいですだ。
ふかふかして暖かいし、重ねた上に座る座布団からの視界は高く、
そしてなにより足元がやわらかい。
だからもっともっと座布団が欲しくなる。
しかし直にあぐらをかいているのは積み重ねられた布団の上であって、
しっかりと踏み固められた大地の上に直に立っているのではないわけで。
自分は一体どこに立っているのか、
どこに立つべきなのか、
そこから何を見つめるべきなのか、
何を見出すべきなのか、
生きていく、ということは、
一体何を意味しているのか。
吉岡君は、その立ち位置を、その先に広がる視界を、
しっかりと自然に認識できる人なのかもしれないですだ。
かっこいいとか、素敵とかって、
自分の既成の理想にあてはまっているような人だからそう思うのではなくて、
生き方に触れ、その言動を見続けていくうちにこれが理想なのだと気付いていく、
その旬の瞬間に感じとる姿こそが、まさにかっこよいのだと思うわけであり、
そして素敵なのだと思うですばい。
吉岡君は、常に旬の人。
べらぼうに、
かっこええ。