今日は渋沢栄一だ。
たしか、次のお札の顔になるらしい。
彼の「論語と算盤」に、こんなくだりが。
◆ある地点から先は、人の力には頼れない
かくお膳立てして待っているのだが
これを食べるか否かは箸を取る人のいかんにあるので
御馳走の献立をした上に、それを養ってやるほど
先輩や世の中というものは暇ではない。
わかりやすく言えば、誰かが料理を作ってくれたとしても、それを実際に食べるかどうかは自分次第。
御馳走を用意して、さらにそれをを食べさせてくれるほど先輩も世の中も暇ではない。
世間や世の中は、それほどお人よしではないということだ。
まあこれは、仕事でも趣味でも生活でも同様なのでしょうね。
先輩や周囲が、ある程度までは準備をしてくれるかもしれません。
でも、そこから先は、自分でやらねばなりませんよね。
箸は、自分の手で取らなければ、おいしい御馳走も食べることはできないのです。
そして、ここにはもう一つの意味も含んでいるようです。
自分に自信があり、自分はもっと大きなことをやり遂げる人間だと思ってはいても、その大きなことに至るまでには、
大勢の人々の協力や、努力や準備の積み重ねがあるのだということです。
我々凡人は、そういったことを肝に銘じたうえで、堂々と据え膳に臨むこととしましょうか。
たしか、次のお札の顔になるらしい。
彼の「論語と算盤」に、こんなくだりが。
◆ある地点から先は、人の力には頼れない
かくお膳立てして待っているのだが
これを食べるか否かは箸を取る人のいかんにあるので
御馳走の献立をした上に、それを養ってやるほど
先輩や世の中というものは暇ではない。
わかりやすく言えば、誰かが料理を作ってくれたとしても、それを実際に食べるかどうかは自分次第。
御馳走を用意して、さらにそれをを食べさせてくれるほど先輩も世の中も暇ではない。
世間や世の中は、それほどお人よしではないということだ。
まあこれは、仕事でも趣味でも生活でも同様なのでしょうね。
先輩や周囲が、ある程度までは準備をしてくれるかもしれません。
でも、そこから先は、自分でやらねばなりませんよね。
箸は、自分の手で取らなければ、おいしい御馳走も食べることはできないのです。
そして、ここにはもう一つの意味も含んでいるようです。
自分に自信があり、自分はもっと大きなことをやり遂げる人間だと思ってはいても、その大きなことに至るまでには、
大勢の人々の協力や、努力や準備の積み重ねがあるのだということです。
我々凡人は、そういったことを肝に銘じたうえで、堂々と据え膳に臨むこととしましょうか。