ここ東海地方では、やっと新型コロナが下火となってきた。
もちろん、まだまだ油断は禁物なのだろうが。
長引く自粛で、心も体も疲れ果てた方は多いのだろう。
心の疲れには、宗教が効くかもしれないと、ちょっと紐解いてみた。
◆人間は三つの時の中を生きているらしい
仏教では、「三世・さんぜ」と言い、過去・現在・未来のことらしい。
過ぎ去った過去に思いを寄せながら、未来への希望を胸に抱き、現在という時間を生きているわけだ。
また、ときに過ぎ去った自分自身に執着しながら、ときに未来への不安を抱えながら、今という時間の中に居るとも言える。
それが人生というものらしい。
ところが、禅の世界においては、過去と未来は存在しないという。
あるのは、ただ現在という時間だけなのだ。
存在しないと言い切ってしまったが、過去や未来に囚われるべきではないという教えなのかもしれない。
禅の中に存在している、この今という一瞬をいかに生きるのかという事のみを考えるべきらしい。
過ぎ去った過去をあれこれ思い起こすのではなく、未だ来てもいない未来に思いを寄せることなく、
今現在を一生懸命に生きつつ自分と向き合っていく。
そういった心の在り方にこそ人生があるのだそうです。
まあ、わかったようなそうでもないような教えですが、たしかに心の疲れはどこかに行ったような気がする・・・
もちろん、まだまだ油断は禁物なのだろうが。
長引く自粛で、心も体も疲れ果てた方は多いのだろう。
心の疲れには、宗教が効くかもしれないと、ちょっと紐解いてみた。
◆人間は三つの時の中を生きているらしい
仏教では、「三世・さんぜ」と言い、過去・現在・未来のことらしい。
過ぎ去った過去に思いを寄せながら、未来への希望を胸に抱き、現在という時間を生きているわけだ。
また、ときに過ぎ去った自分自身に執着しながら、ときに未来への不安を抱えながら、今という時間の中に居るとも言える。
それが人生というものらしい。
ところが、禅の世界においては、過去と未来は存在しないという。
あるのは、ただ現在という時間だけなのだ。
存在しないと言い切ってしまったが、過去や未来に囚われるべきではないという教えなのかもしれない。
禅の中に存在している、この今という一瞬をいかに生きるのかという事のみを考えるべきらしい。
過ぎ去った過去をあれこれ思い起こすのではなく、未だ来てもいない未来に思いを寄せることなく、
今現在を一生懸命に生きつつ自分と向き合っていく。
そういった心の在り方にこそ人生があるのだそうです。
まあ、わかったようなそうでもないような教えですが、たしかに心の疲れはどこかに行ったような気がする・・・