この清濁併せ呑む(せいだくあわせのむ)という言葉は何度も聞いたことがある。
なので、その意味もわかったような気になっていたが、どうやら本当にはわかっていなかったようだ。
些末なことにこだわらずに、良いことも悪いこともおおらかに受け入れる、なんて意味だと漠然と思っていた。
まるっきりのピント外れではないのだが、おいらの理解不足だったようだ。
◆清濁併せ呑むことに不器用な人は広い世界を狭く生き、知らず知らずに人生を不連続なものとする
合田周平氏の解説だ。
これは出来るだけ人の為(な)すことを褒めることに努め、みだりに人を批判しないように心掛け、
万一、人の失策を見出したらそれを許すと同時に、忘れることに努めることなのです。
そうすることで、我々の人生に幸福な時が訪れるということなのです。
中国の「論語」にも、世の安定は、その人の一善を見て、その人の百の過ちを忘却することだ、とあります。
いずれにしても、人生を全うするためには、常に清濁併せ呑むということを心掛け実践することが必要です。
人は、良いことばかり出来るものではないのです。
善を為しながら、時には悪を行いつつ、物わかりのいい人物を育むことです。
そうだったんですね、見て見ぬふりをするといった消極的なものではなく、もっと積極的に許す忘れるという意味合いなんでしょうか。
もう少し若いときにこれを知っていたら、おいらももう少し器用に生きてこられたのかも知れません。
なので、その意味もわかったような気になっていたが、どうやら本当にはわかっていなかったようだ。
些末なことにこだわらずに、良いことも悪いこともおおらかに受け入れる、なんて意味だと漠然と思っていた。
まるっきりのピント外れではないのだが、おいらの理解不足だったようだ。
◆清濁併せ呑むことに不器用な人は広い世界を狭く生き、知らず知らずに人生を不連続なものとする
合田周平氏の解説だ。
これは出来るだけ人の為(な)すことを褒めることに努め、みだりに人を批判しないように心掛け、
万一、人の失策を見出したらそれを許すと同時に、忘れることに努めることなのです。
そうすることで、我々の人生に幸福な時が訪れるということなのです。
中国の「論語」にも、世の安定は、その人の一善を見て、その人の百の過ちを忘却することだ、とあります。
いずれにしても、人生を全うするためには、常に清濁併せ呑むということを心掛け実践することが必要です。
人は、良いことばかり出来るものではないのです。
善を為しながら、時には悪を行いつつ、物わかりのいい人物を育むことです。
そうだったんですね、見て見ぬふりをするといった消極的なものではなく、もっと積極的に許す忘れるという意味合いなんでしょうか。
もう少し若いときにこれを知っていたら、おいらももう少し器用に生きてこられたのかも知れません。