つぶやき、遊び・仕事・日常

一日の出来事のあれこれを雑多に記録していきます

一休さん

2024-05-26 05:41:38 | 日記

とんち問答で有名な「一休さん」。

子供たちに人気の存在でもある。

今日は、その素顔と言うか、人となりにもう少し踏み込んでみた。

どうやら、機転の利く小僧さんではなく、なかなかひねくれた和尚さんだったようです。

 

門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし

 これは、誕生日(満年齢)を祝う習慣のなかった時代の話だ。

 数え年では、人々はお正月の一月一日に一斉に一つ齢をとる。

 つつがなく一つ齢をとれたことは喜ばしいことではあるが、同時にそれはまた、

 残された時間が確実に減ったことを意味している。

 

 つまりは、めでたいことに浮かれるのではなく、残りの人生を考えるべきという事なのだろう。

 我々は、年に一度死に近づくわけではない、それでも毎日毎日少しずつ死に近づいている。

 だからそれを、意識して生活していくべきなんでしょうね。

 

 →そんな気ままな生活や発言の根拠は、後小松天皇のご落胤だっという説もあります。

  それでも、臨終の言葉は「死にとうない」だったそうで、おいらたちとさほどの差はないようです。


修正力

2024-05-25 06:50:54 | 日記

この「修正力」なる言葉が、造語なのかそれとも普遍的な意味合いを持つものなのかどうかは知らない。

されど、作家にして人材育成コンサルタントの大西みつる氏の同名の書を読むと、

なんだかそれは、ビジネスパーソンにとって当たり前に求められるスキルのようにも感じた。

 

◆序文がこの書の集大成だと感じた

 序文とか、前書きだとか、あるいはプロローグとかを読んで、その書の仮評価をする方は、多いことだろう。

 おいらもその一人で、その序文に感心し、同書を読み込んでみた。

 ビジネスパーソンにとっては、この3つによって仕事の成果が最大化するそうだ。

 それは、①基本を見直す、②小さく変える、③できることをやる、だという。

 ①について差がつくのは容易に判断できるし、②での微調整が大きな差となることもわかる、

 ③で現実的にできることをやるのもその通りだろう。

 

 振り返ってみれば、ビジネスパーソンにとっての「仕事」とは、「問題解決をすること」にほかならない。

 これをすれば絶対だという正解はない、常に複数の正解があるものだ。

 だからこそ、正解だと思われる解を進め、それが正解でなければ修正を繰り返していくわけで、

 これこそが「修正力」であり、必要なスキルなのだ。

 世の中というものは、上手くいかないことの方が圧倒的に多く、それを解決していくことが仕事なのだ。

 

 →まったくその通りで、仕事の成果と氏の言われる「修正力」が比例するのは同意できます。

  でも、序文がこの書のピークで、本文はページ数を稼いでいるだけのような気もしました。


「豊か」という形容詞

2024-05-24 06:39:26 | 日記

神戸女学院大学名誉教授の内田樹氏、もちろん氏の発言や提言に全面的に賛同するものではない。

しかし、中日新聞へのこの寄稿文には心を動かされ、同意しかない。

我々一人一人の個人は、どう行動すべきなのかを教えてくれる。

 

「豊か」という形容詞は 私財にではなく 公共財についてのみ用いるべき

 構成員の誰かが多くの富を私有していても、「コモン」が貧弱ならばその集団は豊かではない。

 「コモン」とは、ヨーロッパやかっての日本にもあった村落共同体の共有地や入会地のことだ。

 囲いのない森や草原で、誰もが木材を伐採したり、家畜を放牧したり、鳥獣を狩ったり、

 果樹やキノコを採ったりすることができた。

 私財が乏しい人でも、豊かなコモンに属していれば健康で文化的な生活が送れた。

 

 だから、ある社会が豊かであるかどうかは、全資源の内どれだけコモンとして利用可能かその比率だ。

 その意味で時代は、私財を増大するよりも、コモンを優先するべき段階なのだ。

 だがこれは、公共のために身を削って私財を提供せよという事ではない。

 金持ちを貧乏人にしても、貧乏人が金持ちになるわけではない、旧ソ連やかっての中国がそれは失敗した。

 公共財を構築するためにまず身を削るのは、「おまえ」でも「やつら」でもなく、「私」からなのだ。

 

 →「私」から、できることを始めるべきなんだ・・・


格差を埋める

2024-05-23 06:33:18 | 日記

如何に感動したと言ってももう4回目なので、今日で打ち止めとしたい。

田内学氏の「きみのお金は誰のため」からだ。

格差を埋めるサービスを提供した人が、結果的にお金持ちになるという。

 

◆自分にではなく社会に貢献する

 グーグル・アマゾン・メタ・マイクロソフト・アップル・・・

 急成長した企業の数々、創業者や従業員はさぞかし大儲けしたことだろう。

 だがよくよく考えてほしい、彼らは皆世の中の格差を埋める(誰でも利用できる・アクセスできる)

 サービスを提供すること=問題解決することによって成長したのだ。

 言い換えれば、人々の生活の幸せを図ることによって成功したのだ。

 

 このことは、多くの示唆を含んでいる。

 格差のない豊かな生活を提供する人が、結果的にお金持ちになるということ。

 消費や投資、つまりお金の流れによってこそ、未来が選ばれるのだ。

 投資されたお金ではなく、それを受け取って研究した人たちが未来を創造するのだから。

 さらに言えば、現代社会は中世とは異なり、封建君主的ではない。

 税金は、支配者による搾取ではなく、不完全ではあるが富の再分配に使われている。

 分配に不満があれば、選挙の投票で意思表明をすればいいのだ。

 

 全編を通して言えば、お金が社会を作っているのではない。

 お金を通して、世界の人々が支え合って=問題解決をしあっているのだ。

 だからお金というものをうまく使って、世界中の共同体が全員で幸せになりたいものだ。

 

 →この読後感を、皆さんにも味わっていただきたいものです。

 

 

 


お金を貯めても問題は解決しない

2024-05-22 06:45:41 | 日記

今日も田内学氏の「君のお金は誰のため」からだ。

お金は大事だ、それを否定するものではない。

だがそれは、個人にとってのものであり、全体で考えるとそうではないという。

これは、意外な指摘だった。もう少し詳しく聞いてみよう。

 

◆少子高齢化とはこういうこと

 世界に100人の人が居る。

 人々は、毎日1個のパンが必要で、値段は1個100円だ。

 パンの生産量は一日に100個で、全体としてバランスがとれている。

 では何かの事情で、パンの生産量が50個になってしまったとしよう。

 その時には、パンの値段は200円になるかもしれないが、50人にしかいきわたらない。

 どう工夫しても、100人には行きわたらないのだ。

 

 少子高齢化というのは、これに似ている。

 パンを生産する人が減ってしまう、過日のお金を受け取って問題解決してくれる人が居なくなるのだ。

 将来、介護職員が3割も不足するらしい、仮にその人々を充足することが出来たならば、

 その他の問題解決をする人々が確実に不足することとなる。

 過日のラーメンの例で言えば、小麦粉を生産する人、味噌・醤油を作る人、豚を飼う人、

 それらを運ぶ人、ラーメンを作る人がいなくなってしまうのだ。

 

 だから、その日のためにお金を貯めておくということは、個人レベルでは多少意味があるが、

 全体での問題解決には全く意味がない。

 問題解決のためには、生産量を増やす=問題を解決してくれる人を増やすしかないのだ。

 もちろん、ITやらAIを用いて生産性を上げることも、生産量を増やすことに多少は繋がる。

 それでも、生産量を増やすしか=(問題解決する)全員にサービスを行きわたらす方策はないのだ。

 

 →個人レベルでお金を貯めておくというのは、他人に抜け駆けをするということなのでしょうか。

  そんなパンの奪い合いはしたくないものです。

  考えさせられました、皆さんにも一読していただきたいものです。