<2008年10月21日に書いた以下の記事を、一部修正して復刻します>
文世光事件・陸英修女史狙撃事件
若い頃は出張が楽しみだった。もちろんキツイ仕事で大変なものもあるが、まだ行ったこともない所へ出張するのは、どんな所だろうかと胸がわくわくするものである。出張先では地元の人たちと一杯やることも楽しみだし、まだ見たことのない風景や土地柄を探訪することもできる。国内出張も良いが、これが海外出張 . . . 本文を読む
<2012年5月に書いた以下の記事をそのまま復刻します。>
テレビ局時代に多くの失敗をしたが、中でも花火中継の失敗は忘れられない。もう40年近く昔のことだが、私がFテレビのローカルニュース担当デスクの時にそれは起きた。たしか東京の江戸川河川敷で花火大会があり、わが社の事業局や営業局などがそれに絡んでいたようだ。花火大会の数日前、社の関係者が集まり打ち合せを行なった。報道局から私が出席すると、ぜひ . . . 本文を読む
<2016年1月に書いた以下の記事を、一部修正して復刻します。>
先日、大学箱根駅伝で青山学院(青学)が圧倒的強さで優勝したが、ふと青学出身の人をほとんど知らないないことに気がついた。知っているのは歌手のペギー葉山ぐらいだ。そう思っていたら、私がテレビ局時代にお世話になった先輩・Aさんのことを思い出した。青学出身の知り合いは彼1人だけだ。Aさんは30年以上も前に他界しているから、急に懐かしくなっ . . . 本文を読む
<以下の文を復刻します。>
「地取り」は死語になったのだろうか。辞書をひくと幾つか意味があるようだが、私が若いころ、教わった意味はまったく別のものだった。それは事件や事故が起き、聞き込み捜査や聞き込み調査をすることを地取り(じどり)と言ったが、最近はあまり使われないようだ。この「地取り」は専門用語・業界用語のたぐいだが、私にはいまだに忘れられない言葉である。ここで、いつもブログでは“ . . . 本文を読む
<2016年2月に書いた以下の記事を復刻します>
会社に就職すると、たいてい新人研修というものが行われる。私の場合も某テレビ局に入社した直後、新人研修を受けた。50年以上も前のことだが、その中で今でも忘れられない“逸話”がある。それは、ある若い男子アナウンサーが懲戒解雇になった話である。新人研修で、人事部や総務部の話ほど面白くないものはない。会社の組織がどうのとか、就業規 . . . 本文を読む
〈2014年12月3日に書いた以下の記事を復刻します。〉
総選挙の公示で昔、テレビ局でいろいろな選挙報道を手がけたことを思い出した。大変だったが、今になれば楽しい思い出である。冬の選挙となると、雪の多い地域の取材は大変だった。ある時、たしか北陸地方や長野などを担当したことがあるが、短い期間に強行スケジュールで取材をしなければならない。ちょうどこの季節だったと思うが、長野県のある所で一泊し、北陸の . . . 本文を読む
〈以下の記事を復刻します。〉
サラリーマンとしてFテレビにいた時、最もやりがいがあったのは地方のテレビ新局づくりである。いつも失敗談ばかりしているので、たまには自慢話もいいだろう(笑)。しかし、これは本当の自慢ではなく、思いがけないことが幸いした話だ。やや専門的になるので、難しい話がいやな人とはここでお別れしよう。私は「小選挙区制」というのが嫌いで、今でもその思いは変わらない。できれば中選挙区制 . . . 本文を読む
<以下の記事を復刻します。>
新聞でもテレビでも、記者になったら一日も早く現場で仕事がしたいだろう。私もテレビ局入社後、報道に配属された時にそう思った。ところが、内勤の仕事などが長く続いてなかなか外へ出してくれない。早く記者クラブに出たいと希望を言うのだが、3年半ぐらい内勤の仕事をしていた。ようやく26歳になった頃、人事異動で「警視庁記者クラブ」への配属が決まった。私は嬉しくなって「よしっ、やる . . . 本文を読む
<以下の文を復刻します。>
下手なカメラマンとは私のことだ。もう50年以上も昔の話だが、私はフジテレビの報道局に入ってから記者の仕事をしていた。当時は内勤の整理記者だったが、ある時、報道局の幹部が「テレビ記者というのはこれから、書けて、話せて、写せることが出来なければならい」と訓示した。要するに記事を書くだけでなく、テレビの前でレポートをし、さらにカメラで撮影しなければならないというのだ。記事だ . . . 本文を読む
<古い記事ですが、以下の文を復刻します。>
1) つい先日、逸見政孝君のことを思い出した。逸見君と言えばフジテレビの元アナウンサーで、その後フリーになってテレビで大活躍した人物である。覚えておられる方も多いだろう。その彼が48歳の若さで、胃癌で亡くなった時は驚いた。もう20年以上も昔の話である。私もかつてフジテレビの社員だったから、逸見君のことはよく覚えている。一緒に仕事をしたこともある。そこで . . . 本文を読む
ソプラノ歌手の土居裕子さんと言っても知らない人が多いかもしれないが、私は彼女の歌声が大好きである。土居さんの声は明るく澄んでいて、聴いているといつも心が洗われる感じがする。私にとって、土井さんは歌う“やまとなでしこ”といった存在だろうか。土居さんは東京芸大の声楽科を卒業しているから、もちろんその道のプロである。私は顔見知りでもなんでもないが、20年ぐらい前に、ふとした切っ掛 . . . 本文を読む
書こうか書くまいか迷っていたが、やはり書こう。有馬真喜子さんと言ってもほとんどの人は知らないが、先日、たまたまテレビを見たら彼女が出ていた。有馬さんはフジテレビの番組審議会委員長だそうだ。私は急に懐かしくなって、胸に熱いものが込み上げてきた。それほど懐かしいのである。彼女は御年80歳になるが、相変わらず若々しくて愛らしい(笑)。とても80歳には見えない。なんだか有馬さんにゴマをすっているようだが、 . . . 本文を読む
きのう(2月1日)は故石川士郎さんのお通夜で忙しかった。といっても午後だが、妻と一緒に家を出る。電車に乗るのは、病気などのせいで1年有余ぶりだ。すっかり出不精になっている。駅の券売機で330円のキップを買う。西武新宿線の新井薬師前で下車、タクシーに乗って通夜会場に到着。すでに大勢の参列者が来ており、昔のフジテレビの先輩、同僚も数多くいた。中には変わらない人もいるが、ほとんどの人が老け込んだ感じだ。 . . . 本文を読む
石川士郎さんが亡くなった。享年87歳。自分がフジテレビに入ったのも、そこで報道に勤務したのも石川さんのお陰である。また結婚式の仲人もやってくれ、何から何までお世話になった。27日朝、亡くなっているのを娘さんが見つけたという。心不全ということだが、眠るがごとき大往生で立派な最期だと思う。私にとっては“巨星墜つ”という感じだ。石川さんとの思い出は沢山あるが、ここでは止めておこう . . . 本文を読む
今日は雑談になるので前もってお許しを・・・ つい先日、フジテレビ社長のT君の夢を見た。よく覚えていないが、けっこう長く夢を見ていた。Tの側に2~3人社員がいたように思うが定かでない。 それはともかく、T君は私より7年後輩だが偉くなったものだ。フジテレビで毎週1回アルバイトをしている自分と比べると、まさに“月とスッポン”の差である。彼が社長になるとは夢にも思わなかっ . . . 本文を読む