ちょうどそのころ、同僚の坂井則夫が婚約したと聞いて、啓太は多少うらやましく思った。相手は、日ごろ付き合っているSHIRAYURI(白百合)女子大卒のお嬢さんだ。
「則ちゃんは順調にいったね。おめでとう、うらやましいよ」
「いや~、僕は啓ちゃんより年上だからね。そろそろ年貢の納め時だよ、はっはっはっは」
「年貢の納め時か、よく言うね。いつごろ結婚式を挙げるの?」
「そうだね、秋口かな」
啓太と坂井のやり取りを聞いていた辰野が口を挟んできた。
「山本君はどうなんだ、好きな子がいるんだろ?」
「いや、僕はまだですよ。坂井君と違って相手がいないから」
「結婚なんて“出会い頭”にするようなもんだ。考えたって仕方がない。ヨーイドンで走り出すようなものさ」
「そんなものですか」
辰野キャップは2年前に結婚したばかりである。ごく若いころ女性問題でいろいろあったらしいが、2年前、見合いで一気に“ゴールイン”したのだ。結婚は“踏ん切り”をつけることだと日ごろから後輩の記者によく言っていた。彼なりの結婚観と人生観があるのだろう。
しかし、啓太は京子のことを思い出すと、そう簡単に踏ん切りをつけることはできない気がする。彼女がマレーシアから帰るのをじっと待つのか、それとも諦めるのかは成り行き次第のように思えてくるのだ。
自分は本当に京子を愛しているのだろうか。彼女が素晴らしい女性だから、ただ憧れ慕っているだけではないのか。彼女と人生を共にするとなると、人生観や環境があまりに違っているのではないか。
2年後に京子が帰国した時のことを、今からあれこれ想像することはできない。彼女は海外での経験で大きく変わっているかもしれない。啓太は結論を出せないことを自問自答している己(おのれ)を意識した。それでも、自分は京子に惹かれるのか・・・
このあと、5月の連休はできるだけ取ろうとみんなで調整した結果、啓太はまとめて4日休むことになった。彼は上旬に浦和の実家に帰り、2泊3日で秩父方面へ旅行することにした。秩父は久しぶりである。
相変わらずもやもやした気持だったので、手近な旅行でも啓太の気分は少しはやわらいだ。彼は正丸峠や秩父市、三峰神社などに足を伸ばしたが、いずれも以前 訪れたところである。
こうして記者クラブに戻った啓太は京子と連絡を取り、10日過ぎに霞が関ビルのレストランで落ち合った。彼女は明るいベージュ色のツーピース姿で現われたが、啓太は以前、木内典子が似たような装いをしていたのを思い出した。
木内の紹介で京子を知ったのだが、あれから1年以上が経つとは早いものだ。2人は食事をしながら最近の身の回りの出来事などについて雑談を交わしたが、ふと、啓太はこのレストランでの前回のことを思い出した。
「この前、ここで会った時に、あなたは初めて青年海外協力隊のことを話しましたね。よく覚えていますよ」
「ええ、ここで話しました。私も覚えています。あの時、友人の須藤さんのことを話しましたが、彼女も協力隊の試験に合格して、一緒にマレーシアへ行くことになったのですよ」
「そうか・・・須藤さんもね」
須藤弘美という友人の勧めで、京子は青年海外協力隊に応募したのだ。その話はもちろん知っていたが、啓太はあらためて2人の確かな友情を感じ取ったのである。食事をしながら、彼はひそかに京子の様子をうかがった。
彼女は間もなく25歳になる。色白の少しふっくらした顔立ちに、ぱっちりとした両目が輝いている。知的な美しさが匂い立つようだが、薄くルージュを塗った唇は“花びら”のようでどこか悩ましげな感じがする。
京子は2年間もマレーシアに行ってしまうのだ! その思いがまた啓太の脳裏に去来した。しかし、それを彼女に覚られてはまずい。彼はつとめて冷静さを装い、食後のコーヒーを飲み終わると明るい声で呼びかけた。
「京子さん、今夜はありがとう。あなたが元気に任務を果たされるよう心から祈っていますよ。僕も記者生活に全力で取り組むつもりです。お互いに健康に気をつけて頑張りましょう。月並みなことしか言えませんが、どうぞお元気でマレーシアへ行ってください」
そう言って、啓太は右手を差し出した。京子も自然に手を出し2人はしっかりと握手を交わした。啓太が彼女の手を握るのは初めてである。やわらかく暖かいその感触が伝わってきた。
「ありがとうございます」
京子はいくぶん頬を染めた感じで、心からの謝意を述べた。彼女も嬉しかったのだろう。啓太は次のデートの約束をしたかったが、互いに不確実で未定のことが多いため決めずにしておくことになった。だが、独りになると、彼の寂しさはまた募るばかりであった。
こうした状況が続く中で、マレーシアの方でとんでもない事件が発生したのである。
それは5月13日に首都クアラルンプールで、マレー人と中国人(華人)の大規模な衝突事件が起き、多数の死傷者が出たことである。最終的に死者は196人、負傷者は439人に上ったと言われるが、この民族衝突が数日間続いたことで、クアラルンプールの治安は極度に危険なものになった。
なんでも10日の総選挙の結果、マレー人と中国人双方の不満が爆発し大規模な衝突に発展したそうだが、啓太はむろんくわしいことは分からなかった。(参照→ https://ja.wikipedia.org/wiki/5%E6%9C%8813%E6%97%A5%E4%BA%8B%E4%BB%B6)
ただ、この5月13日事件で、啓太は京子が予定どおりマレーシアに行けるのか疑問に思ったのである。彼はさっそく京子に電話を入れたが、彼女ももちろん事態がどうなっているか分からず、結局、現地からの情報や外務省の判断に任せるしかなかった。
こうして京子らのマレーシア行きは未定のままとなったが、啓太の方はまた大学紛争や殺人事件などの取材で忙しくなった。 ある日、神田界隈の大学を回っていると、白鳥邦雄に出会った。啓太は取材現場で彼と時々顔を合わせるのだ。
「山本君、いろいろありがとう。妹からよく聞いていますよ」
「マレーシアが大変ですね。京子さんはいつごろ行けるのかな・・・」
邦雄が親しみを込めて語りかけてくるので、啓太も気持よく返事をした。最近は邦雄も啓太に好意的である。わだかまりがなくなったのだろうか。2人はしばらく立ち話をして別れたが、その日の夜に啓太は奇妙な夢を見た。
アパートでいつものように寝ていたら、明け方だったか、啓太は邦雄と共にクアラルンプールの空港にいる夢を見た。2人は京子が来るのを待っていたが、いくら待っても彼女は現われない。
日本からは次々に飛行機が到着し、搭乗客の中には若手女優の吉永ゆかりや栗橋小巻らの姿が見られ、啓太は嬉しくなった。しかし、いくら待っても白鳥京子の姿が見られない。
「どうしたのでしょうね?」
「さあ・・・」
啓太が不審に思い邦雄に話しかけても、彼は暗い顔をするばかりだ。ますます不安が募ってくる。やがて、その日の飛行機の到着便は終了した。諦めてふと横を見ると、邦雄もいない!
「白鳥さ~ん!」 啓太は大声を上げながら空港内を探した。しかし、邦雄は見つからない。やがて、探し疲れて啓太は空港内のベンチに倒れ込んだ。そのうち、ようやく目が覚めたのである。
「夢だったか・・・」 啓太は呆然とした気持で布団から起き上がった。
こんな夢を見るなんて自分はおかしいと思い、啓太は苦笑した。しかし、それだけ京子のことを想っているのだろう。彼は眠い目をこすりながら、洗面所へ向かったのである。そんな中、5月の下旬になって京子からアパートに電話が入った。
「ご心配をおかけましたが、昨日、海外技術協力事業団から連絡がありまして、来月上旬にマレーシアへ行けることになりました。いろいろありがとうございました」
「そう、よかったね。おめでとう」
啓太は素直な気持で祝いの返事をしたが、クアラルンプールの情勢はようやく安定してきたというのだ。もともとはマレー人と中国人の衝突であり、日本人にはもちろん関係ないことである。6月上旬にマレーシア行きとなると、もうあまり時間はない。送別会をやったというのに、啓太はもう一度 京子と会う機会を持とうと思った。
「それでは、近くあなたに会いたいですね。いいですか」
「えっ? はい」
京子は面食らったように答えたが、彼女の承諾の返事を聞いたので啓太は電話を切った。京子が非常に多忙なのは分かっている。そこで、啓太は思い切って彼女の実家の近くで会おうと思った。京子は杉並区の井荻(いおぎ)に住んでいるが、そこはあまり遠い所ではない。国電と西武新宿線を乗り継げば、啓太のアパートから1時間ほどで行けるだろう。
そう思っていると、また東京・目黒で殺人事件が起きた。当然、取材で忙しくなり5月中に井荻へ行く暇はなくなった。そのうち、京子が出立する日は6月9日と決まり、それまでにどうしても会わねばならないと思った。 啓太はそう決めて、6月初旬のある日 京子に電話をかけると彼女が答えた。
「そうですね・・・明日なら大丈夫ですが」
「うん、明日は泊まり(勤務)だから、昼過ぎに井荻に行けますよ」
「では、そうしましょう」
京子の返事を聞いて、2人は井荻で落ち合うことになった。
翌日の昼過ぎ、啓太が井荻駅に着くと京子がすぐ近くの喫茶店に案内した。ようやくマレーシアへ出立できることになった京子は、吹っ切れた感じですっきりした表情を見せている。座席に着くと啓太が言った。
「京子さん、これが最後ですね。僕はそう思いますよ」
「最後って、どういう意味ですか?」
「うん、なんと言っていいか、もうあなたに会えないような気がする。変なことを言ってすまない。もちろん、あなたや僕がこの世からいなくなるという意味ではないですよ!」
「・・・」
「ごめん、僕はどうかしてるんだ。あなたと2年も会えないと考えると耐えられないのだ」
啓太がそう言ってうつむくと、しばらくして京子が答えた。
「山本さん、そう思っていただけるのはありがたいのですが、どうぞ、もう私のことは構わないでください。山本さんと私はそれぞれ違う道を歩み始めています。2年後には私がどうなっているか、それも分かりませんから」
京子にはっきりと言われ、啓太は返す言葉がなかった。2人は気まずい雰囲気になったが、やがて啓太は気を取り直して言った。
「君は“やまとなでしこ”だな~。しっかりした信念を持っているし、献身的なところがある。僕なんかとても真似ができない。でも、マレーシアへ行ったら時々でいいから、手紙をくださいよ。僕も必ず返事を書きます」
「ええ、分かりました。必ず手紙を出します」
これで2人の気持がほぐれたのか、啓太がつい本音を吐いた。
「客も店の人も誰もいなければ、僕はあなたの前にひざまずくのに・・・それが本心ですよ。でも、まあいいか。こうして最後のお別れの機会をあなたがつくってくれたのだもの。京子さん、ありがとう」
啓太のやや勝手な言い草に、京子は特に反応を示さなかったが、微笑みを浮かべたようにも見える。啓太は彼女の様子をうかがってから言った。
「さあ、コーヒーが冷めないうちに飲みましょう。今日は泊まり勤務だけど、あまり遅く行くわけにはいかない。コーヒーを飲んだらここを出ます」
そう言って啓太がコーヒーを飲むと、京子もカップに手を出した。やがて、彼女は少しはにかみながらも美しい笑顔を浮かべて言った。
「今日は本当にありがとうございました。体に気をつけて行ってまいります」
京子は立ち上がると丁寧に頭を下げた。啓太も釣られるように立つと勘定を済ませて喫茶店を出た。初夏のまぶしい陽光が辺りを照らしている。2人はそのまま井荻駅へ向かい改札口まで来た。
見送る京子を見ていると、彼女の均整のとれた美しい肢体が目立つ。身長は160センチぐらいだろうか。今日も淡いベージュ色のツーピース姿だが、ふっくらとした胸元が啓太の目を引いた。
彼はしばらく見とれていたが、やがて京子に手を振って駅のホームに姿を消した。これが2人の別れとなったのである。(続く)
備考・・・JICA(国際協力機構)の記録によれば、この年・1969年度に派遣された青年海外協力隊員の数は233人で、うち男性は208人、女性は25人であった。女性の数がずいぶん少ないが、マレーシアには6人が派遣された。このうち、4人が日本語教育関係である。
(28)エピローグ
京子がマレーシアへ行ったあと、啓太は気が抜けたような日々を送っていた。仕事の方は警備・公安の取材が中心だが、殺人事件など捜査1課関係のものも入っている。仕事に没頭していると、京子のことを忘れることができ楽だった。
しかし、休日や夜一人きりになると侘びしい気分になってくる。そういう時は彼の悪い癖が出てきた。啓太はもともと風俗店などで遊ぶのが好きだったが、京子と別れてからその癖が余計に出てきたようだ。
暇を見てはバーやキャバレーで酒を飲んだり、繁華街の○☓風呂に出入りした。若いからエネルギーが余っているのだろうか。一人で遊ぶ時もあれば、坂井ら仲間と行くこともある。とにかく気晴らしになるのだ。
ある晩、新宿・歌舞伎町のゴールデン街で軽く飲んだあと、区役所通りをぶらついていると、風林会館の真向かいにあるビルの2階に、小さなバー『N』があるのを見つけた。物見高い啓太はすぐに入ってみようと思い店のドアを開けると、中年のふくよかな感じの“ママさん”が愛想よく迎えてくれた。
彼はママと雑談しながら飲んでいたが、彼女は話しぶりが気さくでとても穏やかである。啓太はウィスキーの水割りなどを数杯飲んだが、料金が安いので安心し、帰り際にママに声をかけた。
「いい店だな~、落ち着くよ。また来るね」
「ええ、どうぞ」と、ママが答えた。
啓太は店を出ると、真向かいの風林会館にある喫茶店に入った。彼はここでくつろぐ癖がついていた。今夜はこれで帰るが、明日はまた新宿駅へ取材に行かなければならない。というのは、毎週土曜日を中心に駅の西口地下広場で“反戦フォーク集会”が開かれるからだ。
この集会にはベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)などの団体や学生たちが参加して、ベトナム戦争反対や平和運動を呼びかけている。そして、その“目玉”はなんと言っても若者たちが歌う反戦フォークソングだった。
時には何千人も集まるこの集会は当然 駅の乗降客にとって邪魔なため、警察は道交法違反などの理由で規制や排除に乗り出したりしたが、集会は一向になくならなかった。いや、むしろ次第に盛り上がっていくようだ。
この背景には、翌年の「70年安保闘争」に向けて新左翼や過激派学生たちの運動があったようだが、取材をしているうちに、啓太はフォークソングを何曲も覚えてしまった。彼が特に気に入ったのは『友よ』である。
喫茶店でくつろぎながら、今夜も啓太はこの歌を口ずさんでいた。
(参考)・https://www.youtube.com/watch?v=XjBm-MsCJxI
そして翌日(6月14日)の夕方、啓太は反戦フォーク集会を取材するため国鉄・新宿駅に赴いた。西口地下広場には、いつものように学生らが大勢集まり、その数はこれまで最高の6000人ほどに達したらしい。人の熱気でむんむんしている。
集会はアジ演説に始まり、フォークソングを歌ったりシュプレヒコールを上げていたが、やがて1000人ぐらいの学生たちが表に出てデモ行進を始めた。この日は機動隊の規制がなくデモもわりと穏やかに済んだが、啓太はこれらの模様を原稿にまとめ電話で送稿した。
そうした日々を送っているうちに、6月下旬になって京子から待望の手紙が届いた。そのエアメールは速達便で、走り書きのようだが書体はとても美しく見えた。文字が下手な自分と違って、彼女はなんと上手なのだろうかと啓太は思った。
ただし、文面はごく普通のもので、クアラルンプールに着いてすぐに学校で日本語の授業を始めたというありふれた内容だった。啓太は少し期待はずれだったが、次の文面が妙に気になったのである。
「ところで、住まいは市内のアパートが用意されていて、そこに他の農業関係の青年海外協力隊員3人と一緒に暮らしています。いずれも男性の方ですが、なにかと親切にしていただいています・・・」
この文章を読んで、京子ならきっと“持てている”に違いないと思った。アジアの異国の地で、同じような志(こころざし)を持った男女が一緒にいれば、自然と友愛の気持が湧いてくるだろう。それがいつしか、恋愛感情に発展してもおかしくはない。
そう思うと、啓太は軽い嫉妬心を覚えた。自分はあいかわらず記者の仕事をしているが、京子は選ばれた日本の若者と異国で奉仕活動をしているではないか。そうした青年が何人も彼女の周りにいるとなれば・・・
想像するだけで啓太は、京子がまったく違った環境にいることを悟った。未練がましい気持にもなったが、啓太はすぐに彼女を賞賛し励ます返事を書いた。それを京子と同じように速達便で出すと、彼はなにか“区切り”がついたような気持になったのである。
そうしたある日、同僚の坂井則夫が一杯飲もうと啓太を誘ってきた。2人は新宿のゴールデン街へ行き、坂井の行きつけのバーに入って歓談した。啓太は彼から、この秋の結婚の日程などを聞いたのである。
それから1時間あまりたって、今度は啓太が2度行ったことのある歌舞伎町のバー『N』に誘った。
「ここのママは気さくで話も面白いよ」
「そう、じゃ入ろう」
啓太の案内で2人は店に入った。すっかり馴染みになったママは、飲むうちに良い話し相手になってくれる。坂井がハイボールが好きなので、啓太も同じものを飲んだ。彼は水割りでもハイボールでもどちらでも構わないのだ。
「彼はこの秋に結婚するんだよ。いいね~」
少し酔っ払った啓太がママに話しかける。
「いいですね。私なんかもう結婚した頃の感激は忘れましたよ」
「そんなことはないでしょ、ママさんの旦那さんはきっと素敵な人だ」
「まあ、よくご存知で、ほっほっほっほ」
「知らないな~、一体どんな人?」
啓太がしつこく聞くのでママが答えた。
「映画監督ですよ」「えっ、映画監督?」
「どなたです? 監督というのは」
隣で聞いていた坂井が口を挟んできた。彼は映画好きでもある。
「鈴本(すずもと)清順ですよ」「ああ、そうですか」
鈴本清順? どこかで聞いたような気がするが、啓太はよく知らない。すると、坂井が言った。
「鈴本さんはNIKKATSU(日活)を解雇されて問題になっているんだ。いま裁判で係争中だよ」
彼は司法記者クラブにも入っているので、裁判のことはくわしい。啓太にあれこれ説明したあとママに言った。
「では、NHKの鈴本健二アナウンサーは義理の弟さんに当たるわけですね」
「ええ、そうです」
ママは少しはにかんだように答えたが、ここで啓太は鈴本兄弟のことがようやく理解できた。鈴本アナと言えば、今やNHKの看板アナウンサーとして人気がある。兄弟そろって有名なんだと思うと、啓太は根掘り葉掘り聞きたくなった。
「じゃあ、ママはNIKKATSU映画のことはくわしいんだね」
「そんなことはないですよ。私はそれほど映画は見ません」
「鈴本兄弟のことをもっと知りたいな、兄弟の仲はいいの?」
啓太がいろいろ質問するので、ママは差し障りのないことだけを答えていたようだが、だいぶ閉口した感じだ。
「啓ちゃん、もういいじゃないか。ママさんも困っているよ」
坂井が中に入ったので啓太も質問するのを止め、2人でハイボールを飲みながら雑談を続けた。このあと、店を出た啓太は風林会館の喫茶店に寄ったが、坂井は夜も遅いのでそのまま帰宅した。
その翌日だったか、警視庁で警備部長の懇談が行われたあと、啓太は白鳥邦雄から声をかけられた。
「山本君、京子から便りはあったのでしょう?」
「ええ、もちろん、すぐに返事を出しておきましたよ」
「ありがとう。こちらにも手紙が届きましたが、元気にやっているようですね。母もほっとしています」
「結構ですね、京子さんはしっかりしているからまったく大丈夫です。次の便りが楽しみですよ」
そこで、邦雄は一呼吸おいて付け加えた。
「どうやら、向こうで親しい男友達ができたようですね」
「それは同じアパートに住む青年海外協力隊員のことですか?」
啓太は京子からの手紙を思い出して言った。
「そう、君への手紙にも書いてあったのですか。農業実習などをしている青年たちと仲が良いようですよ。早速、彼らの仕事ぶりを見学に行ったと書いてありました。勉強になったでしょう」
「そうですか・・・」
「海外へ行けば、いろいろ他のことも見聞して、視野を広げることが大切でしょう。京子は良い同僚にめぐり合いましたね」
邦雄の話を聞いていると、京子が兄にくわしく報告していることを啓太は知った。家族に丁寧に説明するのは当然だろうが、彼はなんとなく取り残され、疎外されているように感じた。京子が青年たちの仕事を喜々として見学している様が想像される。これは自分の“ひがみ”なのだろうか。啓太はそう思いながら邦雄と別れたのである。
それから間もなくして(6月28日)、また新宿駅の西口地下広場で反戦フォーク集会が開かれた。集会にはこれまで最多の約7000人が参加したが、警視庁はこの日を重く受けとめていたようで、2000人の機動隊が出動して規制に当たった。
そして、学生たちがデモ行進に移ると機動隊がついに催涙ガス弾を発射、地下広場は学生と機動隊の衝突の場と化し、激しい攻防戦が繰り広げられた。啓太は先輩の池永と取材に当たったが、それは夜遅くまで続いたのである。
「いや~、けっこう凄かったね、催涙ガスを久しぶりに浴びたよ。東大闘争以来かな」
池永がしきりにまばたきをしながら、用意した目薬をつけた。啓太も催涙ガスを浴びたが、少しぐらいのことなら慣れているから平気だ。ふと横の方を見ると、ヘルメットをかぶった白鳥邦雄が通り過ぎていく。
「白鳥さん、大丈夫ですか?」
啓太が声をかけると、彼はこちらを向いて軽く右手を上げそのまま立ち去った。結局、この日の衝突で学生ら60人以上が逮捕されたが、これを境に、反戦フォーク集会は徐々に勢いを失っていったのである。
7月に入ると、暑い日々が続くようになった。母の久乃が「もういい加減に、浦和に帰ったらどうなの」と言ってくる。
啓太もアパート暮らしに少々飽きた感じになり、実家に帰る気にもなってきた。アパート代や朝晩の食事代など、一人暮らしはけっこう出費がかさむのだ。
それに、会社の人事異動が近づいてきて、啓太は新たにできた“政経部”に移るらしい。それは石浜部長の日頃の言動で推察されるが、今度は警視庁クラブに残りたいとは強弁しにくい。もし政経部に移るなら、それを契機に浦和の実家に戻ってもいいと考えていた。
そんな折、啓太にとって思いがけない出来事が起きた。
7月上旬のある日、彼は仕事が終わると一人で新宿・歌舞伎町へ行った。そして、ゴールデン街で軽く飲んだあと、またもバー『N』へ向かった。すっかり親しくなったママと歓談していると実に楽しいのだ。
和服姿のママ(鈴本夫人)は知的だがどこか艶やかだ。鈴本監督はこういう人が好きなのかと思いながら、啓太は尋ねた。
「監督はどんなタイプの女性が好きなのかしら?」
「それはグラマーな女性でしょう」 そうか、自分と同じなんだなと思う。
「じゃあ、ソフィア・ローレンやシルヴァーナ・マンガーノみたいな女優だね」
「ええ、そういう人を映画館で観ていると、あの人は小さくなってシートにうずくまり、目を皿のようにして観ていますよ。よっぽどグラマーが好きなんですね」
ママは夫がするような動作を真似て見せたから、啓太は大笑いした。自分も肉感的な女優には、同じような反応をするのか。ということは、鈴本監督と自分は似ているんだなと思いながら、水割りのウィスキーなどをけっこう飲んだ。 すっかり楽しい気分になったところで、啓太はバー『N』を出た。
そのまま田端のアパートに帰ればいいのに、彼の悪い癖で○☓風呂へ急に行きたくなった。歌舞伎町の界隈には風俗店の○☓風呂がいくつもある。啓太は馴染みの店『K』へ向かったのだ。
彼は『K』で顔見知りの○☓嬢と戯れたあと外に出た。7月の夜、生暖かい空気が啓太の体を包んでいる。彼は新宿大通りに出ようと、裏道をぶらぶら歩いていた。すると、ある街角で、3人の男が若い2人の女性にしつこく話しかけている。
男たちはヤクザ風に見えたが、2人の女性は学生みたいだ。啓太はそれとなく耳をそばたてると、彼らは女性を無理やりある所に誘っているようだ。キャバレーかバーだろうか・・・ 啓太は彼女らを見てはっとした。1人が白鳥京子によく似ているのだ。(あるいは酒に酔っていたから、似ていると勘違いしたかもしれない)
啓太は思わず声をかけた。
「どこへ行くんですか?」
すると、3人のうちの中年の男が鋭い目つきで答えた。
「なんだ、お前は。なにか用か」
「別に用はないですよ。ただ、女の子たちをどこへ連れていこうとしているのか聞いているんだ」
啓太は少し声を荒げて言い放った。
「お前には関係ないだろ。邪魔するな!」
その男が近寄ってきたので、啓太はさらにはっきりと言った。
「あの子たちは嫌がっているだろ。誘うのを止めたらいいじゃないか」
「なんだと、余計な口出しをするな!」
男は啓太の胸ぐらをつかんで突き放そうとする。啓太もその男の腕をつかんで揉み合いになった。
「この野郎、おい、こいつに“焼き”を入れてやろうじゃないか!」
男は他の2人に声をかけた。
こういうトラブルは避けた方がいいのは、誰でも分かっている。啓太のいるテレビ局も、喧嘩やトラブルは極力 避けるようにと社員に指示していた。それは当然のことだが、開局以来10年がたち、こうしたケースで何人もの、いやそれ以上の社員が傷ついてきた。
啓太の先輩でアナウンサーのY氏も歌舞伎町で喧嘩に巻き込まれ、重傷を負って体が少し不自由になったばかりだ。だから、啓太もたとえ卑怯だと言われようとも、できるだけ「君子は危うきに近寄らず」「見て見ぬ振りをしよう」と心がけてきた。しかし、この日は違ったようである。彼はどこか気分が“高揚”していたのだろう。
中年の男の呼びかけに、若い屈強な感じの男2人が啓太を取り囲んだ。このため、2人の女性はその場を離れることができ、数メートル先から心配そうに見守っている。啓太は胸ぐらを強く締められたため、苦しまぎれに中年の男の脚を蹴り上げた。
「うっ・・・」
男がうめいた。その直後、2人の若い男が啓太に襲いかかり、殴る蹴るなどの暴行を加える。結局、3人の男たちにボコボコに殴られ、啓太はフラフラになってその場にしゃがみ込んだ。それでも男たちは手を緩めず、彼の喉を締め上げながら思い切り突き飛ばした。
このため、啓太はすぐ側にあるガードレールフェンスに頭を打ちつけて倒れた。
「ふん、馬鹿野郎」
男たちはようやく満足したのか、捨てゼリフを残して立ち去った。倒れた啓太は起き上がれない。うめいている。トラブルを目にした数人が彼の周りに集まった。
「救急車を呼ぼう」
誰ともなくそう言って、近くの公衆電話に向かった。やがて10分もしないうちに、サイレンを鳴らして救急車が現場に到着した。啓太の体は車に乗せられ、新宿区内の最寄りの病院に搬送されたのである。 (終り・2019年5月15日)
〈追記〉
あとがき・・・『啓太がゆく』3部作の執筆は、2015年10月4日より2019年5月15日までかかった。