去年、サハリン・樺太へ旅行した時は、稚内からフェリーでコルサコフ港(旧大泊港)という所に着いたが、私を迎えに来てくれたのが現地観光会社のBさんという年配の女性ガイドだった。彼女は率直な人で、すぐに自分は韓国人だと述べた。 実を言うと、私は初め嫌~な感じがした。というのは、サハリン旅行の前に、韓国や韓国人への非難をブログにさんざん書いていたからだ。
ご存知のように、イ・ミョンバク(韓国大統領)は竹島に上陸した後、天皇の「謝罪」を要求するなど目に余るものがあった。また、一部だろうが、韓国人や韓国のマスコミは日本を攻撃する発言をしていた。だから、嫌な感じがして当然だろう。 ところが、幸いと言うか(?)、Bさんは私と同行の日本人・Mさんのガイドだと聞いて、ホッと一安心した次第である。 Mさんと私は同じ車に乗ってホテルへ向かったが、同乗だと料金が割安になる。たしか4000円ぐらいだったか。割安になるので、2人とも事前に国内旅行会社に同乗を希望していたのだ。
さて、そんな話はともかく、ユジノサハリンスクのホテルへ向かう途中、私とBさんはいろいろ話し合った。同年輩だから話しやすかったのだろう。彼女は自分から昭和15年生まれだと言う。私より一歳 年上だ。「私の方がお姉さんなのね」と彼女は笑った。
Bさんに聞いたら、今は韓国のプサン(釜山)に住んでいると言う。さらに聞いたら、「子供や孫はみなサハリンに住んでいます」と言う。 へ~、それじゃ夏のシーズンだけサハリンに来て子供や孫に会い、その合間を縫って日本人観光客のガイドをしているのか・・・結構な生活ぶりだと思った。
さらに聞くと、Bさんのご両親は戦前、朝鮮本土から“徴用”で樺太に連れて来られたのだという。お父さんは炭鉱夫だったとか。徴用と聞いて少し複雑な気持になったが、彼女は恵須取(えすとる。今のウグレゴルスク)で昭和15年に生まれたのだ。 後で調べたら、朝鮮人への徴用令適用(強制連行)は昭和19年からだと思うが、まあ そんなことはいい。とにかく、Bさんは日本領だった南樺太で生まれ育ったから、日本語はペラペラなのだ。(こうして、サハリンに住み着いた韓国・朝鮮人はかなり多いようだ。現在、約4万人いるという。)
恵須取(えすとる)と聞いて、私は映画『氷雪の門』をすぐに思い出した。終戦直後、旧ソ連軍の爆撃などでこの地も徹底的に破壊され、大勢の日本人が殺された。その話をすると、Bさんはよく覚えていると言う。彼女が5歳ぐらいの時だが、戦争の惨劇をさらりと語った。
終戦直後の話になると、年寄りはすっかり打ち解けてくる。ソ連軍の一方的な「不法侵攻」に対しては、Bさんも私も共通の憤りを覚えるからだ。古い話ばかりして同乗のMさんには申し訳なかったが、私は1時間余りの間にBさんから多くのことを教えられた。そこには、日本人も韓国人も関係ない。彼女はとてもフランクで、人柄の良い“おばあちゃん”だったと思う。
こうして、Mさんと私はホテルに案内されたが、Bさんとは翌日もホテルのロビーでばったり会ったりした。彼女はMさんの世話をてきぱきやっていたが、それっきり会っていない。私はといえば、その後、絶世のロシア美人のガイドに恵まれ(?)・・・その話はさんざんしたから もう止めよう(笑)。
宿泊先のベルカ・ホテル