第2部
1)安らぎ
三学期の期末試験が目前に迫ってきたが、行雄はほとんど講義を聴いていなかったので、不安ばかりが募った。 最初の試験の前日になって教材に目を通してみたが、内容が良く理解できないので、苛立ちが高じてくるばかりである。
学生運動だけにのめり込んでいたのだから、仕方がないと半ば諦めたが、どうにでもなれ、なるようになれと思った途端、気持が少し楽になってきた。 どんな出題であろうとも、分からないものは分からないのだ。彼は教材を大ざっぱに斜め読みしただけで、初日の試験に臨んだ。
結果の感触はまったく自信のないものだった。不可でなく、可が取れれば上出来というもので、次の試験課目も更にその次も同様であった。 どのくらいの課目で落第するか見当も付かなかったが、行雄はとっくに開き直っていたので、それほど苦にならなかった。
とにかく試験を受けるだけでも御(おん)の字だと思っていたから、あとは堂々と教室に行けばいいのだ。それ以上、何があるというのか。 そんなことを考えながら、ある日のこと、今夜もゆっくり風呂に入ろうと思って、行雄は脱衣場で衣服を脱ぎ浴槽につかろうとした。
その瞬間、思いがけない発想が浮かんだ。 入学以来一度もしたことがない角帽を被り、大隈重信が着ているような長いコートを羽織って、試験会場に乗り込んでやろうというものだった。そう思った途端、彼の全身に力がみなぎり、身体中の筋肉が硬直してしまった。
暫くの間、身体の硬直が治らないので、行雄は浴槽の前で仁王立ちになっていたが、その内にようやく全身の力が抜けてきたので、浴槽に入ることができた。 彼は風呂からあがるとすぐに、母の久乃に長いコートがないかと尋ねた。
彼女の話しだと、父の国義が昔 着ていたコートがあるという。 それを納戸から出してもらうと、茶色の生地の分厚い真冬用のロングコートだった。とても春先に着用するようなものではなかったが、行雄はそれで満足することにした。
翌日から彼は、その分厚いコートと角帽を身に付けて試験会場へ行くことになった。 試験の中身には自信がなかったが、気持に張りが出てきた。そうすることによって、自分の存在を辛うじて保てるように思え、この格好で期末試験を乗り切ろうと考えた。
角帽などは普段、体育会系や右翼系の学生しか被らない“代物”なので、極左だった行雄が身に付けていることに、仏文科のクラスメートは不審に思ったようだ。二、三人が「おい、村上、君は右翼になったんじゃないだろうな」と声をかけてきた。
行雄は「そんなことはないよ」と答えて気にしなかったが、試験の方は苦戦の連続だった。 特にひどかったのは一般教養科目の「法学概論」で、一つの項目を除き全て白紙で答案を出さざるをえなかった。 一つの項目とは、憲法第九条と自衛隊のあり方についての設問だったので、彼は思いつくままに自説を大胆に披瀝していった。
「憲法九条によれば、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しないとなっている。 ところが、自衛隊は明らかに戦力を保持しており、『その他の戦力』に該当する。従って、自衛隊の存在は憲法に違反する。 それから言えば、自衛隊は廃止されなければならない。
しかし、唯物論的見解によれば、現実に存在する下部構造が、法律などの上部構造を変えていく歴史観を取っている。 従って、逆に自衛隊の存在を確認することにより、理論的に整合性を持たせるため、憲法九条の方を改正しなければならない」
行雄は自説を勝手に書きながら、「法学概論」を担当するS教授の顔を思い浮かべていた。 S教授はマルクス主義志向の人だったから、こういう答案は相当な“当てこすり”になると思い、内心ほくそ笑んでいた。
期末試験の結果は惨たんたるもので、「法学概論」を始め五課目が不可で落第となった。その他の課目もほとんどが可で優はゼロ、良が二つしかなかった。 しかし、行雄は試験が終ったことでようやく気持が落ち着き、春休みを楽しもうという心境になった。 冷たかった冬の空気が少しずつ和らいでいくと、すぐそこに暖かい春の訪れが待っているようだった。憔悴し切っていた彼の肉体も精神も徐々に回復していく。
行雄は早春の秩父の山々を見たいと思い、泊りがけで三峰山に登って自然の霊気に接した。 この後、ゆっくりと世界文学を味わおうという気持になり、シェイクスピア、ゲーテ、シラーなどの名作を読んで楽しんだ。
この中で特に惹かれたのはゲーテで、初めはその詩や小説など文学作品に魅了されたが、次第にこの文豪の世界観や思想に目が開かれていった。 ゲーテの世界観の根本は「汎神論」だと思った。
汎神論では自然即ち神だから、「神は万物であり、万物は神である」と言っているようだ。 神と万物は同一であり、従って、宇宙もこの世の全ての事象も神の“表現”ということになる。 全ての存在が神であるなら、自分も他人も何もかも神の表現である。
いや、目に見える存在だけでなく、目に見えないもの、即ち霊魂や思念や気なども全て神の表現なのである。 それならば、われわれ人間が考えたり行なうことは、全て妥当で許されることになり、あとは人間社会のルールや法律、規則などとの調整が残るだけである。
全てのものは有るがままで良いとするなら、道徳的な努力は必要ないということになるが、ゲーテの世界観では、自然の中に既に“神性”が宿っているから、道徳的に問題はないという見方になる。 人格は自然に育っていくという考え方なら、これは人間を肯定的、楽天的に見るものだろう。
いずれにしろ、行雄はそうした汎神論の世界観に魅力を感じ、自分が革命運動から離れたのも当然のことだと思えるようになった。 革命運動から“脱落”したのではなく、それを“通過”したと思えるようになった。(あるいはアウフヘーベン・止揚したとも受け止められる。)
こうした考えは、二ヵ月ほど前、新宿駅で体験した「全てが必然」という閃きにどこか通じるものがあるように思えた。 あれは運命論、決定論だったが、汎神論と何か共通するものがあるように思える。 行雄はゲーテの世界観から、自分がはっきりと救済されたという自覚を持った。あとは自分の好きなように生きていけばいいと思うのだった。
春休みの間に、行雄は友人の向井弘道の家を何度も訪れた。 学生運動をしていた時は彼を避けることが多かったが、今度は自分の方から積極的に行くようになったのである。 向井は、行雄が平穏で落ち着いた生活を取り戻したことを喜んでいた。彼から「だいぶ元気そうになったね」と言われると、行雄は照れくさい感じがした。
ある日のこと、行雄は向井に次のように話した。「ヒロちゃん、僕はプチブルを馬鹿にしていたが、プチブル的なものが一番人間的だと思うようになったよ。 些細なことにとらわれ、小心翼々として生きているのがプチブルだと言うなら、それはそれで結構じゃないか。それこそ最も人間的な生き方だと思うよ。
イデオロギーを振りかざし、やたらに大声で喚き散らしているのはごく少数の人間だけだ。 彼等は人間とはどういうものか、本当に分かっているのだろうか。分かっちゃいないはずだ。 実は僕もそうだったが、自己陶酔しているだけだね。自分に酔いしれているだけだ。
そんな連中に、人間とは何かが分かるはずがない。人生のことも世界のことも理解していない。 頭でっかちの理論家ばかりだよ」 行雄はそう言って、つい先日までの自分の生き方を否定した。 こういう自己否定の仕方は安易なのだろうが、行雄は過去の自分から一日も早く決別したいために、そういう言い方をしたのだ。
それから、行雄は挫折した時の苦い体験や、最近の汎神論の話しなどを向井にしていったが、彼はほとんど黙ったまま根気良く耳を傾けてくれた。 一時間ほど行雄が一方的に話しをした後、向井は気分を変えようと思ったのか「ちょっと、クラシックでも聞かないか」と言って、プレーヤーにレコードをかけた。
華やかで心地よい音色が流れてきた。「この曲、なんていうの?」と行雄が聞くと、向井は「モーツァルトのアイネ・クライネ・ナハトムジークというんだよ」と答えた。 春の息吹を思わせるような調べである。
曲が終ると向井が言った。「どう、この曲は。もっと聴きたいのだったら、貸してあげてもいいよ」 行雄は喜んで借りることにした。「きれいな音楽だね。うちには兄貴のプレーヤーがあるから、それで聴くよ。 モーツァルトのそれだけでなく、他のいい曲も貸してくれないかな」
行雄がそう頼むと、向井は借り手の希望を聞きながら、ラックからベートーヴェン、シューベルトなどのレコードも何枚か取り出して渡してくれた。 その中には、以前それを聴いて救われる思いがしたベートーヴェンの「田園」も含まれていた。
この後二人が雑談していると、向井が突然、森戸敦子の話しを持ち出してきた。「敦子さんは今どうしてるの? 君もようやく落ち着いてきたのだから、もう一度彼女と付き合ってみる考えはないの?」 行雄はもろに“古傷”に触れられたような気持になり、すぐに答えることができなかった。
敦子が一年遅れで今年の春、東京の国際基督教大学に入学したことは母から聞いており、行雄の両親からお祝い金が送られたことも知っていた。 しかし、彼にとって敦子のことは、もはやまったく他人事のように思われた。一年前は恋人だったろうが、彼女はすでに行雄から遠く離れた存在になっているのだ。
暫くして彼は答えた。「駄目だよ。今さら彼女に会うことなんかできない。とても彼女に合わせる顔はないよ」 向井は敦子のことでそれ以上話しをしてこなかったので、行雄はほっと胸をなで下ろした。彼はいま、敦子のことは忘れたいという気持で一杯だったのだ。
その日、行雄は自宅に戻ると、兄の部屋からプレーヤーを持ち出してきて、向井から借りたレコードを聴いた。 モーツァルトやシューベルトも素晴らしかったが、行雄にはやはり、べートーヴェンの交響曲第六番「田園」が最も心に残るものだった。 特に第四楽章の「嵐・雷雨」の激しい場面から、第五楽章の「牧人の歌」で、穏やかな喜びに満ちたものに移っていくところに感銘を受けるのだった。
それは激烈だった安保反対闘争と、その後の挫折、苦悩、絶望という“嵐”のような状況をくぐり抜けた自分が、生きることへの希望と心の平和を取り戻した体験を、跡付けているように感じられるからだ。「牧人の歌」の平和と感謝に満ちたメロディーは、なにか宗教的な喜悦を表わしているようにも思えた。
また、第一楽章から通して聴いていると、「田園」は自然や人々の営みへの讃歌とも感じられるのだ。 それは神と同一である自然、そして神の“表現”である人間を讃美する音楽のように思われ、自然と人間への温かい愛を歌い上げているように受け取れるのだ。
そこには真の安らぎと静かな喜びが満ちあふれている。行雄はベートーヴェンに感謝したい気持で一杯になった。 自分もいま安らぎを覚えている。この心の平和は決して破られたくないし、それを大切に守っていきたいと行雄は願うのだった。