毎日が山のこと

最近の山歩きの記録はもちろん、作ってみた山行プラン、過去の山歩きの記録も順次掲載中です。

五日市金比羅山ふたたび(2020年2月28日)

2025-01-22 15:35:18 | 奥多摩・奥秩父

先週の18日に奥武蔵の大持山に出かけたが、その後軽い筋肉痛になったのは久しぶりに6時間半も歩いたせいでそれは予測の範囲内なのだが、そのあとになって右ひざの裏側の筋が痛み出して、しばらくびっこを引くはめになった。

いやはや歳には勝てないな、あまり長くは歩けなくなったのかと悩んでしまったが、今朝になったら嘘のように痛みはなくなっていた。

まあ、一安心。

今回の投稿は、早春の計画を考えていた時、妻をさそって歩いた五日市の金毘羅山のことを思い出したのでそれを投稿することにした。

 

実は妻を誘って出かける2週間前に一人で歩いてみた。早春の里山、五日市金毘羅山(2020年2月12日)

その時のことはすでに投稿済みだが、季節的には少し早すぎた。

2月末のこの日ならいいだろうと妻を誘ったのだ。

 

武蔵五日市駅の裏側の高台にある住宅地の中を抜けていく。

梅が盛りだ。

 

三内川の流れにそった谷間へとすすむとそこも満開の梅の花が。

 

谷間の狭い畑と山里らしい赤いトタン屋根の家。

妻はこういう感じの建物を絵にかくことが好きだった。

 

ミツマタの花も咲いていた。

 

一人の時は、三内川をもう少しさかのぼって深沢の山抱きの大樫から尾根にとりついたが、妻は病気療養中なので、そこまでいかないでもう少し短いルートにした。

写真がそのルートの入り口。駅からここまで2.5kmくらいだ。

ここは南沢あじさい山の入り口でもある。

 

尾根に沿った歩きやすい道で、かたわらにアジサイが植えてあり、反対側にはツバキが咲いていた。

どちらも地元の方が植えて管理され、道路も整備しているらしい。

 

妻も元気に歩いている。

尾根を登りきると舗装された林道に出て、その道を少し歩くとその林道の上を登山道が橋で渡っているところに出た。

その登山道は、日の出山から麻生山をへて金比羅山まで続いているものだ。

登山道の入り口から途中の林道まで標高差で150mにすぎないので、元気な人には物足らないだろう。

でも今計画しているハイキングの会のメンバーはほとんどが70歳代なのでちょうどいいのだ。

 

その登山道をたどって金比羅山をまき、その先の金比羅神社へとすすむ。

金比羅山の山頂はなにもないし、展望もないので割愛。

その金比羅神社の裏にあるご神体とされる岩。

しめ縄がはられていた。

 

金比羅神社付近は公園として整備されておりトイレもある。

園地の先端にはすばらしい展望の東屋とベンチがある。

 

暖かな日差しを浴びながらゆっくりと休憩。

暖かいコーヒーもサービス。

 

休憩後はこれまたきちんと整備された歩きやすい道を五日市の町へとくだった。

 

途中の岩の上にはお地蔵さんなど石仏が。

 

これはなんの花だっけ?

マンサクやサンシュユみたいだけど花が少し違う。もしかしてこれもミツマタ?

 

山を下りたところにあるお堂。瑠璃堂という額がかかっている。

瑠璃光という言葉に記憶があったので調べてみたら薬師如来を薬師瑠璃光如来とも呼ぶようなので、このお堂は薬師様をまつっているのかもしれない。実は中まで見ていないのだが。

 

街へ出るまでの里でも梅が目を楽しませてくれた。

この時期の山里は花にあふれていて私は大好きだ。

 

旧五日市町役場の近くに設置されている五日市憲法の石碑。

明治憲法が制定される時期に民間でいろんな憲法草案が検討されていたが、ここ五日市で発見された憲法草案は、明治憲法と違って、国民の自由権や基本的人権の規定がある進歩的憲法案だったとして評価されている。

ここまでくれば駅まではもう遠くない。

 

2週間違いで暖かくもなり、梅も満開、春の花もたくさん見られてたのしいハイキングだった。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 名郷から大持山へ(2025年1... | トップ | 横瀬二子山へ(2025年1月24日) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

奥多摩・奥秩父」カテゴリの最新記事