先日投稿した百蔵山に登ったころの話し。
そのころ山に出かけるときは国土地理院の5万分の1の地形図を使用していた。
今はほとんど2万5千分の1を利用しているが、そのころは発行されているエリアも限定されていた。
百蔵山は5万分の1地形図の「都留」図幅にはいる。右上の隅の方だ。
私の図幅は、明治21年測量、昭和48年編集のものなのだが、この地図では百蔵山の百の字のふりがなが「とつ」となっていた。
拡大した写真をご覧いただきたい。
権威ある国土地理院の地図なので、私は歴史的理由があって「とつくらやま」と呼ばれているのかと思った。
でも、ほかではそういう呼び方を目にしないし、耳にもしない。
そのうち2万5千分の1が主流になったので「大月」図幅を買ってみたら、なんのことはない百の字には「もも」とフリガナがふってある。間違いだったのだ。
なんで間違えたのか推理してみた。
当時のことなので原稿は手書きだったろう。そしてひらがなの「も」は手書きすると「と」に見えることがある。
それから「もも」と書くのを繰り返しを示す「ゝ」を使って「もゝ」と書く場合がある。
すると手書きの「もゝ」を「とつ」と読み違える可能性がある。
おそらくそんなことがあって、校正段階で見落とされ「百(とつ)蔵山」となったのだろう。
この地図は今でも持っている。このころ歩いたルートが赤鉛筆で線引きされているので私にとって貴重な記録なのだ。
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