柚子の里、水尾を訪ねて 京都市
道路はすべてかなりの坂道
なので自転車がない町
柚子の畑がここかしこ
平安時代のお話、清和天皇陵
(この日記の掲載期間:2月19日~2月25日)
そこで今日は、水尾集落の清和天皇のお話です
清和天皇陵 宮内庁の下 管理がゆき届いています
山里 水尾、私には懐かしい、都会っ子には雑踏から解放されて
カメラ仲間と久しぶりに日帰りで、撮影と柚子風呂につかり、とり鍋に舌鼓を打って
きました。 山国育ちの私にはこの山里は見慣れた風景ですが 、水尾にもやはりあ
りました、郷土史。 この地の歴史をしっかりと見てきました。
ありました、当地、水尾の郷土史、清和天皇陵
柚子の里、といっても私は作品撮影はそっちのけで水尾の迷路のような坂道を駆け
巡り、その日の最大の目的、清和天皇稜とゆかりの神社仏閣 を訪ねてきました。
天皇陵は山の中腹にあり、登山では誰も付き合ってくれません(笑) 下山後、集落
の中にある神社、お寺を見学の後、複雑な、そして坂道の帰り道で迷った ことから
宴会ぎりぎりに民家に生還、柚子のお風呂はカットです。でも鍋とお酒の時間にはち
ゃんと着席です。 これが本当はこの日一番の楽しみなんですな~(笑)
第56代 清和天皇陵
出かける前にちょっと調べてみると、清和天皇の陵、霊廟がある。 これはまた皇位
継承に破れてこの地にと、陵のある清和山の中腹まで登山です。ところがこの天皇
の場合は後継争いとう程のことではなくて、病床にあった文徳天皇の後継に生母の
父、藤原良房の権威で3人の兄を退けてわずか9歳で即位させたとのことです。
850年頃、平安時代初期のお話です。
その後、清和天皇は27歳で第一皇子で9歳の陽成天皇に譲位して出家、畿内巡幸
の後、水尾に入りこの地を気に入り隠匿の場としたのだそうです。
大事な事を書き忘れてました。清和天皇は後世、武門の棟梁となる清和源氏の祖
なんですね。 ブログ仲間からコメントを頂き、急遽追記しました(2月20日)
清和天皇陵の全景
陵は円丘 (公式形式での分類だそうで)
菊の御紋
陵への道は完備、でも結構な登山です
水尾集落のメイン道路(府道50号線)から清和山に入ります
さすがは宮内庁、整備も見事です
霊廟(陵)がある中腹から集落を 柚子風呂、昼食の民家から約30分
清和天皇の解説:ウィキペディア
清和天皇社 清和天皇を祭神
清和天皇社
清和天皇社 解説 クリックの上、拡大してご覧下さい ↑
清和天皇社は水尾の氏神であり、境内には摂社として四所神社が祀られています。
円覚寺
もともとは鴨川の東(平安神宮あたり)にあり清和天皇も一時住んだお寺。 この地に移された
応永27年(1420年)に洛東の円覚寺が焼失すると、水尾山寺が円覚寺の名を継承し、
水尾の円覚寺は延宝7年の大火で焼失したが、約100年後の安永5年に再建された。
(ウィキペディアより)
円覚寺の解説 クリックの上拡大してご覧ください ↑
何々天皇がこの地に住まわれたとのお話ってたまに聞きますよね、
実は私が生まれ育った湖北、菅浦(滋賀県長浜市西浅井町)にも淳仁天皇のお話
があります。 ご参考までに私の過去のブログを引っ張り出しました。 ちょっと覗い
ていただければ幸いです。
私の過去のブログ: 淳仁天皇 管浦 (滋賀県 西浅井町) のお話
ここをクリックしてください ↑
柚子の里、柚子畑
確かに柚子の畑が広がっています。 栽培も日本1,2の歴史を有しているそうです。
そして水尾の民家で柚子湯、食事を用意して、山里でゆっくりとしてもらう憩いの場、
おもてなしをしておられます。 予約が必要です。 ところでなぜ水尾に柚子が?
柚子の畑
水尾へは、
JR嵯峨野線 保津峡駅 からバスで約20分
JR保津峡駅から公共機関(バス)の便は少ないです。 私達は今回お世話になった
「水尾荘」に送迎をお願いしました。
今日もご覧下さいましてありがとうございました