塩津港(しおつこ): 滋賀県伊香郡西浅井町にある港
琵琶湖の北、塩津。と言っても今はいち集落の名前とJR近江塩津駅の名前がかろうじて残っているだけで、
現在は西浅井町と言います。そこで私は生まれ育ちました。 11月初、故郷をしっかりと守ってくれている
T君宅で一杯やり翌朝、湖畔に向かいました。 兎に角寒い、そうですあの滋賀にも雪が降ったあくる日です。
午前5時30分、湖面は蒸気が立ち昇り、カモが朝食の時間で湖面で餌の魚を求めて泳いでいました。
塩津港の全景です
寒気が入り風流な光景となりました。
非常に寒くて、慌ててT君宅に戻りその日の予定の登山スタイルに変身を余儀なくされましたが、
日が出ると湖面の色が変わるんですね。
です。ありがとうございます。
写真仲間の何人かからメールを戴きましたが
少しほっとした気持ちになったとも。
どうかなとも思いましたが敢えて仲間に
ご指摘の通り自然の美しさ雄大さを伝えたく
て最近撮った写真を並べてみました。
これからもみんなで「写真仲間」として一緒
に写真を楽しみましょうね。よろしくお願い
します。
琵琶湖もそのロケーションによって、さまざまな表情を見せてくれて、まさに淡海の風情を感じます。
それに較べて、南や東の方は...と思う次第(笑)
末尾の写真は、光の屈折の予期せぬ効果でしょうか? おもしろいですね。
塩津って、かなり昔は陸の孤島のようなところだったなんてことをどこかで読んだ記憶があります。勘違いかな.....
観光シーズンには結構な人が訪れるようになったのでしょうか?
18歳までいた所なので、年に何回も帰り
(行き:笑)ます。T君始め同期が集まる
こともしばしばです。先にも今の野洲の方が
うんと長く住んでいるけど、塩津の方が云々とT君達と話しておりました。三つ子の魂・・
でしょうか(この使い方はOK?:笑)
陸の孤島、確かに18歳頃の特に冬は孤島に
なることもしばしばでした。豪雪地帯です。
しかし水上交通の要所、確か丸小船の船数は200隻以上(?)と琵琶湖で一番多かったと聞
いています。
塩津はその輸送に携わる仕事が盛んだったようです。我が家には馬の装備が残っていました。
上記内容は再確認無しで書いております。
湖北、特に伊香郡から見る琵琶湖は周辺に自然がバックに残って(悲しい表現)いますので
誰が撮っても心が休まる風景が撮れますね・
れております。この文章の方法で書くとOK
と分かっているのですが、一行が短くなり
ますし・・、です。
赤、緑のゴーストは内部レンズのいたずらで
すが、これも写真の撮り方として許される
らしいので試してみました。わいわい村の
11月後半に提出しておりますので、正し
くは先生の評をご覧下さいね。
最近はJR琵琶湖1周乗車で近江塩津駅が
北端になっており、構内(?)の駅のうどん
屋が人気やそうです。決してうどん、そば所
ではないのですが。
塩津街道や、山門(やまかど)湿原、丸子船
の記念館などに訪れる観光客も増えている
そうです。
ネットって、楽しい!
早速、検索してみたら、うまく丸子船全体図を解説してくれているホームページ(北淡海・丸子船の舘)をヒットしました。
http://www.koti.jp/marco/guide_top.htm
西浅井町大浦に、「丸子船の舘」というのがあるんですね。
江戸時代中期の最盛期で、琵琶湖の津全体で1400隻、塩津には、1677年に125隻、1696年に115隻だったということまで、分かりました。
kennyさんの文中の記念館というのは、この舘のことなんでしょうね。
行ってみたいところが増えるばかりです。
来年3月?でしたか長浜市と4町は合併して
新長浜市になります。
西浅井町でも観光を主に力を入れていろんな
行事をやってきました。
丸子船もその一環で西浅井町大浦の「丸子船の舘」がそうです。
他に合鴨も美味しいですよ。水の駅(来年かな道の駅に昇格らしいです)で確か売っていると思います。
ついでに奥びわこパークウエイをドライブして
月出半島(と言いましたかな?)の標高350
Mの展望台から琵琶湖の北端(北港)を見られるのもいいですね。今が丁度紅葉の真っ盛りかと思います。
春なら桜が綺麗です。パークウエイは無料です
ゴーストを「積極的に日の出を表現する材料と考えればどうだろう」というお考えになるほどなあと思いました。
自然という被写体はあくまでカメラを向けた人にとっての材料なんですよね。その対象に対して、撮る側の感性と構想がカメラのメカニズムを手段として、結果の写真のなかに定着したものであるかどうか、なんでしょうね。
構想として意図していたものが、光と手段のチャネルを通るときに、偶然にも付加されるものを、作家として受け止められれば、それは自己表現だということでしょうか。私はそのように受け止めさせていただきました。
焼成窯の中で火を浴びて、釉薬が絶妙に変容して器にかかった結果の陶磁器作品を、作者が選択するか、割って棄てるかという局面に通底するように感じました。
ので、敢えて提出しました。写真家によって
は嫌がる方もおられるが、八田先生は茲愉有人
さんの仰るとおりの考え方です。評を戴きその
後先生宅にお邪魔し時に再度伺い今後は入った
場合は積極的に生かすことにしました。
返事遅くなり申し訳ありません。どこにコメ
ントがあるのかなー?探しておりました。