故郷と現居住地には興味深い歴史が!
=その1:塩津(しおつ)港=
塩津港(滋賀県 西浅井町)、丸子船のふるさと
ここに登場する丸子船は琵琶湖特有の和船であり江戸
初期から戦前まで、特に北陸から都への湖上交通の要
衝であったこの琵琶湖で旅客や物資輸送の主役として
活躍した。その琵琶湖の北端塩津港は大津港と2大主
要港として君臨し、敦賀で陸揚げされた物資は塩津海道
を深坂峠を越えて塩津港へ、そして塩津港から再び丸子
船で湖上を運んだ。 丸子船の隻数は多い時で塩津港が
125隻、大津港が102隻だったと地元の道の駅でいただ
いた丸子船に関するリーフレットの中で述べられています。
塩津港、丸子船溜り場(大坪川)の様子(以下写真で)
琵琶湖の北端、塩津港の岸壁からの眺め
岸壁といってももう今では岸壁の跡としか表現のしよう
がない。しかし往時は丸子船(帆船)、そしてその後を
継ぐ蒸気船の琵琶湖北端の港として栄たことは紛れも
ない事実で、この塩津港は他の琵琶湖北端の2港、大
浦港、海津港とともに重要な湖上輸送の役目を果した。
梅雨空の大坪川船溜まり場跡
丸子船は蒸気船の登場でやがてはその歴史を閉じるが、
塩津港はその後も北国の諸藩に端を発して以降、明治
17年に敦賀ー長浜間にある柳ケ瀬にトンネルの開通を
見るまで重要な物流拠点として機能し、その後流れは鉄
道の利用に移り主要な港としての役目を終えて行きます。
船だまりに停泊中の丸子船(大坪川)
その日訪れたこの大坪川、蒸気船の登場までは船の溜ま
り場としてこの写真のように丸子船がずらりと並んで荷役
(にやく:荷物の積み下ろし)を待っていたのでしょう。
以下、塩津港の周辺
すみません、ちょっとカメラを持っての歴史探索でした
ので・・・。
丸子船の溜まり場、大坪川のほとりの園児
かわいい!、梅雨の風景を撮りに川傍の道を歩いてると現れました、
かわいい、そうです私の ”後輩ちびちゃん” なんです、思わず連写
です。 もう説明不要、どうかしばし眺めてくださいませ!
大坪川岸に茂る雑草
私にも名前がある!とこの草木怒ってるかな? でもKennyには
その知識はない。朝から梅雨の細かい雨が降り続いています。
葉っぱには水滴が・・・。
水面に水の輪が出来ます
当日大坪川は突然大雨にもなります。するとその大粒が水面に
いくつもの輪を作ります。
木から落ちるしずくが作る水面の芸術
この川の上には大きな木があります。その枝からしずくが落ち
て水面に円形模様をひっきりなしに作っていました。
丸子船の館に現存する「神興丸」が展示されている
補足情報: 丸子船の語源
丸太を2つに割って側面に取り付けているため、外から
見ると丸太が張り出して見える。この外観的な特徴から
丸子船は「丸太船」とか「丸船」とも呼ばれていました。
丸子船の語源はこの船の構造、概観から来ています。
(道の駅で戴いた丸子船に関するリーフレットより引用)
お断り: 丸子船の情報と上のモノクロの2枚の写真
現地の道の駅に置かれていたリーフレットにある写真の
使用と記載事項を元に書かさせて戴きました(西浅井町
総務企画課のご了解をいただいております)
アクセス
塩津港: 国道8号線を北上。 福井県と琵琶湖西岸(303号線)に
分岐する地点の約1KM手前、おおきくカーブして琵琶湖
から離れるところが塩津港です (地名:塩津浜)。 JR近江
塩津駅から 約3Km。
=そのー2:弥生の森歴史公園=
弥生の森歴史公園(滋賀県野洲市)の大賀ハス
その大賀ハスの種は2000年以上も前の物で、昭和26
年(1951)まで千葉県検見川遺跡の地下7mに眠って
いました。ハスの権威故大賀一郎博士によって3粒採
取され後に鳥取県林業試験場にも譲渡。更に当公園が
同試験場に依頼し入手の上栽培するという経緯を辿り
昭和63年(1988年)から毎年淡紅の優美な大賀ハス
として私達の目を楽しませてくれています。まさに世界
最古の生命の発露だと言われています、とはこの公園
にある大賀ハス生い立ちの案内版にある記述を私、
Kennyの言葉で簡略して書かせて戴きました。
大賀ハスー01
大賀ハス-02
大賀ハスー03
アクセス
弥生の森歴史公園:
国道8号線から(野洲市内)希望が丘文化公園 西ゲートに向
かう方向。8号線(道路標識あり)を降りてすぐ(右)に銅鐸博
物館があります。 当公園は同じ敷地内にあります
今日もご覧くださいましてありがとうございました
3粒の種が、今はどれだけに増えているのでしょう?少しずつ増殖しているのでしょうか。
ハスの花の淡いピンク色がきれいですね。
丸子船。実物の船があると、写真だけで想像するより、往時のイメージを具体的に膨らませやすくなりますね。
それにしても、交通手段の発展・変遷は、その船が活躍していた事すら、忘れ去らせるだけですか・・・・
こういうご紹介がなければ、その存在すら一部の人に知られるだけに留まりそう。
ところで、丸子船の名称の由来は何でしょうか?
京都の「高瀬船」は、高瀬川を往来し曳航された船としての名称でした。
この実物も今は、河原町二条近くの高瀬川の船留まりで見られるだけのようですが。
お尋ねの件:野洲市の当公園では大賀ハスの花はかなりの数です。増えつつあるのか、増殖は?に関しては現時点情報は持っておりません。ごめんなさい。
丸子船の語源は、日記に追加記載しました。