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丸子船、大賀ハス:塩津港と弥生の森

2010-07-13 15:22:14 | 塩津港、神社遺跡

故郷と現居住地には興味深い歴史が!
    その1:塩津(しおつ)港

塩津港(滋賀県 西浅井町)、丸子船のふるさと

ここに登場する丸子船は琵琶湖特有の和船であり江戸
初期から
戦前まで、特に
北陸から都への湖上交通の要
衝であったこの琵琶湖で旅客や物資輸送の主役として
活躍した。その琵琶湖の北端塩津港は大津港と2大主
要港として君臨し、敦賀で陸揚げされた物資は塩津海道
を深坂峠を越えて塩津港へ、そして塩津港から再び丸子
船で湖上を運んだ。 丸子船の隻数は多い時で塩津港が
125隻、大津港が102隻だったと地元の道の駅でいただ
いた丸子船に関するリーフレットの中で述べられています。

塩津港、丸子船溜り場(大坪川)の様子(以下写真で)

     
      琵琶湖の北端、塩津港の岸壁からの眺め

岸壁といってももう今では岸壁の跡としか表現のしよう
がない。しかし往時は丸子船(帆船)、そしてその後を
継ぐ蒸気船の琵琶湖北端の港として栄たことは紛れも
ない事実で、この塩津港は他の琵琶湖北端の2港、大
浦港、海津港とともに重要な湖上輸送の役目を果した。


      
           梅雨空の大坪川船溜まり場跡

丸子船は蒸気船の登場でやがてはその歴史を閉じるが、
塩津港
はその後も北国の諸藩に端を発して以降、明治
17年に敦賀ー長
浜間にある柳ケ瀬にトンネルの開通を
見るまで重要な物流拠
点として機能し、その後流れは鉄
道の利用に移り主要な港として
の役目を終えて行きます。 

 
                      船だまりに停泊中の丸子船(大坪川)

その日訪れたこの大坪川、蒸気船の登場までは船の溜ま
り場としてこの写真のように丸子船がずらりと並んで荷役
(にやく:荷物の積み下ろし)を待っていたのでしょう。

以下、塩津港の周辺
すみません、ちょっとカメラを持っての歴史探索でした
ので・・・。

 
          丸子船の溜まり場、大坪川のほとりの園児

 
かわいい!、梅雨の風景を撮りに川傍の道を歩いてると現れました、
 かわいい、そうです私の ”後輩ちびちゃん” なんです、思わず連写
 です。 もう説明不要、どうかしばし眺めてくださいませ!


              大坪川岸に茂る雑草

 私にも名前がある!とこの草木怒ってるかな? でもKennyには
 その知識はない。朝から梅雨の細かい雨が降り続いています。 
 葉っぱには水滴が・・・。


            水面に水の輪が出来ます

 
当日大坪川は突然大雨にもなります。するとその大粒が水面に
 いくつもの輪を作ります。

 
       木から落ちるしずくが作る水面の芸術

 この川の上には大きな木があります。その枝からしずくが落ち
  て水面に円形模様をひっきりなしに作っていました。

         
     丸子船の館に現存する「神興丸」が展示されている

補足情報: 丸子船の語源
              丸太を2つに割って側面に取り付けているため、外から
       見ると丸太が張り出して見える。この外観的な特徴から
       丸子船は「丸太船」とか「丸船」とも呼ばれていました。 
       丸子船の語源はこの船の構造、概観から来ています。
       (道の駅で戴いた丸子船に関するリーフレットより引用)

         
   
 お断り: 丸子船の情報と上のモノクロの2枚の写真
       現地の道の駅に置かれていたリーフレットにある写真の
             使用と記載事項を元に書かさせて戴きました(西浅井町
             総務企画課のご了解をいただいております)

 アクセス
 
塩津港: 国道8号線を北上。 福井県と琵琶湖西岸(303号線)に
             分岐する地点の約1KM手前、おおきくカーブして琵琶湖
             から離れるところが塩津港です (地名:塩津浜)。 JR近江
             塩津駅から 約3Km。

     =そのー2:弥生の森歴史公園=

弥生の森歴史公園(滋賀県野洲市)の大賀ハス

その大賀ハスの種は2000年以上も前の物で、昭和26
年(1951)
まで
千葉県検見川遺跡の地下7mに眠って
いました。ハスの権威故大賀一郎博士によって3粒採
取され後に鳥取県林業試験場にも譲渡。更に当公園が
同試験場に依頼し入手の上栽培するという経緯を辿り
昭和63年(1988年)から毎年淡紅の優美な大賀ハス
として私達の目を楽しませてくれています。まさに世界
最古の生命の発露だと言われています、とはこの公園
にある大賀ハス生い立ちの案内版にある記述を私、
Kennyの言葉で簡略して書かせて戴きました。

 
                  大賀ハスー01

 
               大賀ハス-02

 
                  大賀ハスー03

アクセス

弥生の森歴史公園:
国道8号線から(野洲市内)希望が丘文化公園 西ゲートに向
かう方向。8号線(道路標識あり)を降りてすぐ(右)に銅鐸博
物館があります。 当公園は同じ敷地内にあります



今日もご覧くださいましてありがとうございました

    

   

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2 コメント

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3粒が今はどれだけに・・・ (茲愉有人)
2010-07-23 00:51:07
ハスの種の生命力にはビックリです。自然の力って、すごいですね。
3粒の種が、今はどれだけに増えているのでしょう?少しずつ増殖しているのでしょうか。
ハスの花の淡いピンク色がきれいですね。

丸子船。実物の船があると、写真だけで想像するより、往時のイメージを具体的に膨らませやすくなりますね。
それにしても、交通手段の発展・変遷は、その船が活躍していた事すら、忘れ去らせるだけですか・・・・
こういうご紹介がなければ、その存在すら一部の人に知られるだけに留まりそう。

ところで、丸子船の名称の由来は何でしょうか?
京都の「高瀬船」は、高瀬川を往来し曳航された船としての名称でした。
この実物も今は、河原町二条近くの高瀬川の船留まりで見られるだけのようですが。


返信する
丸子船の語源 (kenny)
2010-07-25 22:05:34
ありがとうございます。
お尋ねの件:野洲市の当公園では大賀ハスの花はかなりの数です。増えつつあるのか、増殖は?に関しては現時点情報は持っておりません。ごめんなさい。

丸子船の語源は、日記に追加記載しました。
返信する

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