集福寺
お寺の名前ではありません
滋賀県北部にある小さな集落です
8月半ば、稲は実り、ミンミンゼミが元気に鳴いていました
のどかな 集福寺 集落です
滋賀県北部の集落、集福寺
琵琶湖の北端から国道8号線を福井県敦賀市に向かい北上し、JR
近江塩津(しおつ)駅を過ぎて最初の集落が今日の話題の集福寺です。
本当に長閑、新鮮な空気、自然が一杯残る雰囲気、いいですな~
セミが賑やかに、小川のせせらぎ、稲穂が。また小さな集落にも必ずと言
っていいほど村の鎮守様があります。この集落のお宮は 下塩津神社(しも
しおつじんじゃ)です。
この神社、延喜式にもありちょっと取り上げてみました 拡大できます
(クリックしてください)
集福寺、行市山の所在地 (Yahoo 地図から引用)
ところでまたどうしてこの集落を?、目的は?
実はこの小さな集落、集福寺を今から430年前に柴田勝家の軍勢が
隊をなして、背後の行市山からそれも夜半に通り過ぎていったのです。
それは 賤ヶ岳の合戦 です。
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柴田勝家の武将、佐久間盛政の軍が行市山からこの集福寺を通りました
(賤ケ岳山頂にある案内板から)
知る人ぞ知る集福寺。 しかし「賤ヶ岳の合戦」が話題になって
もこの集落の、このお話はまず出てはきません。そこでちょっと
立ち寄って来ましたので紹介したい、が郷土史に興味のある爺
さんの意図です。 実は、旧伊香郡西浅井町(現長浜市)は私の
故郷なんです。夏の故郷を味わいに帰省の途中 訪ねてきました。
佐久間盛政の陣地、行市山 集福寺集落から
もっとも、今それを伺い知るものがこの集落に残っている訳では
ありません。そこに立って見て、思いを馳せる、ロマンですな~。
集福寺をビデオに収めてきました (1分)
当時を語る合戦の舞台に今ある案内板から
(大岩山に設置の案内板から)
行市山 佐久間盛政の砦 (撮影:2006年4月)
佐久間盛政の 大岩山(中川清秀)奇襲のルート
(同、案内板から)
(備忘録) ところで集福寺
この集福寺と言う名称、この集落には多くのお寺が存在していたと聞いたことがあります。
そしてここからは私の邪推ですが、名残なのか、この集落には何々坊という幾つかの山の
名前が今も残っており、宿坊だったのか。 その谷からは何体もの地蔵さんが出てきます。
坊を調べてみると、大寺院に属する小院、僧侶の住居(宿坊ですね)とあります。 と言うこと
は、その谷にはお寺があった。 最近ではあるが、利用した宿坊は真言宗、金剛峰寺(高野
山)の末寺で、宿坊でありお寺でした。
今日もご覧くださいましてありがとうございました
(9月15日、18 UP)