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Kennyの郷土探訪:信長の家臣たち

2016-05-25 05:19:11 | 郷土史

     こんな古文書が保存されていた!
                   そうか
430年以上も前のこと、でも実際にあった事なんや
          滋賀県野洲市安治(あわじ)
                         Kennyの滋賀から情報発信
                          (この日記の掲載期間:5月27日~6月2日)

「信長の家臣たち」の特別展、講座に参加して
6月5日まで滋賀県立安土城考古博物館で
この特別展が開催されています。
               詳細は主催者のHPを:春季特別展:信長の家臣たち
                              ここをクリックしてください ↑


                      私の今日のブログの舞台、 滋賀県野洲市安治の田園風景

        
                            野洲市は親切な市、各集落に名称が (全国どこでも同じ?)

どうして400年以上も前のことが分かるの?
信長が室町時代に、どうしたこうした、と実しやかに語られているけど・・・、私、
どうしても素直に受け入れられないんです(笑)


すんませんね~、そんな400年も500年も昔のことが2,3年前に起った事件
のように語られていますね、(学者さん、ごめんね)でもほんまかいな~と、どうして
もすんなり入って行けない、私、Kenny爺です。 もっとも、例えば信長公記
んて超一級の手がかりはあるんですが・・。 

ところが、自宅すぐ近くの安治区で見つかった古文書を特別展で見て!
地元、野洲市安治区で保存されていた信長時代の古文書の実物に接しその
400年前の事は事実だったんだ、と思えるように。
また今回の古文書も含め、
その時代を語る貴重な資料を見る機会が増え、最近では私、少しづつ素直さが
身に付いてきたようです(笑)


                           琵琶湖に近い安治区   左は野洲川

そんなことで、今日は、
特別展の本来の趣旨からかなり外れてこんな事に関心を抱きましてね・・・・、

地元野洲市のお話、そして信長ってそんなにリッチマンだったの? これだけ
の家臣を従え、天下人となり、あんな金ピカの安土城なんかも建ててね。 の
二点が今日のブログの話題



             石高の高い近江平野  戦国大名の主要な財源

 まず、その古文書は、
博物館で見てきた古文書はこの野洲市の安治(あわじで400年も前に信長
直轄地で奉行衆が安治村に出した書状です。 指出(さしだし:検地に関するも
ので入作・出作(いりさく・でさく)関係や荒地
などが書き上げられています。 (末尾
に指出、入作・出作については用語説明があります)

その古文書は正にその時代の実物なんですって。 写本や史実に基づき複製
されたものではなくて(江戸時代に結構複製されていますね:Kennyの印象)。 これはも
疑う余地はなく、現実味があります!

その他、租税徴収の基礎台帳となる土地調査や人口調査の関係書類も保存
されています。(現在は当考古博物館で展示中)


        展示の古文書の一例     当館で購入の冊子 「信長の家臣たち」からコピーで拝借
                           (館内での撮影は許されていません)


 
                                         冊子の表・裏面

当特別展では、信長、細川藤孝、その他の書状、歴史上の人物の肖像画など
が多数展示されており、これだけまとめて一度に見られる機会は初めてです。

 次に 信長はあの地位を築いたのだが、財力はあったの?
織田信長は、室町時代中ごろから津島神社の門前町である、
津島背景に尾
張を統一したといわれています。その上、伊勢湾周辺を中心とした貿易・流通
の掌握が、まずは織田政権の主要財源。


                    信長の台所、津島   津島神社
 愛知県津島市 HPより

そしてなんといっても農業生産力が圧倒的で、濃尾伊勢平野をほぼ手中に入
れて150万石レベルとか。さらには近江・越前など石高の高い所を勢力下に
納め
ていきます。

どうやら信長の財力の背景はこんなところにあるようです。これらのことについ
ては過日、滋賀県
の研究員さんもお話になっていました。

なので、安治区での指出は戦国大名の資金面で大仕事、なんだか目に浮かん
できますね。


                    滋賀県立安土城考古博物館    当館HPより    


                    ***************

 


(ご参考:メモ)

当特別展、「信長の家臣」の趣旨は:

織田信長が尾張国守護代の重臣から戦国大名、そして天下統一をめざす
天下人へと成長
したのは、信長自身の能力に負うところが大きいですが、
その信長の意を汲み、縦横無尽
に奔走した家臣たちの働きを忘れることは
できません。信長の発展・膨張に従い、家臣団
もまた変化を遂げていく。信
長の元を支え活躍する武将や吏僚がいる一方で、権力と組織
の変化につ
いていけず、追放・離反・没落する者たちもいました。

本展では、信長政権を支えた多彩な家臣たちとその働きを、肖像画や発給
文書を中心とし
た関係資料で紹介するとともに信長の人材登用術や組織の
運用法その結末を考えます。

(以上、冊子「信長の家臣たち」から引用)

用語:
指出(さしだし)
戦国時代から安土桃山時代に行われた検地の一方法。大名が検地を行わ
ず、
給人、寺社などに知行地の面積、作人、収穫量などの報告書を差出さ
せることを指出といった。戦国大名も、織田信長も総じて豊臣秀吉以前の検
地ではこの方法がとられ、秀吉の検地(太閤検地)においてもこれを提出さ
せて検地の基礎とした

出作・入作でさくいりさく)
近世において、百姓が他村・他領に田地をもち、その村へ出かけて耕作す
ることを出作といい、田地のある村のほうでは、これを他村より入作といっ
た。なお、小作のことを入作という場合もあり、さらに、他村に塩浜を有する者
が、その村へ行って製塩することを出作という場合もあった

                      ******


              今朝の三上山(6月1日、2016)


           今朝は少し気温が低め  最近にはない澄んだ空気で比良山系がくっきりと
       眼下は野洲市 野洲川が写真中央に  三上山山頂近くから撮影  

  
 

           今日もご覧下さいましてありがとうございました

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