老農
大岡利右衛門(1832~1912)
(現)滋賀県野洲市比留田出身
こんな偉大な人物が野洲市に
Kennyの滋賀から情報発信
(この日記の掲載期間:8月19日~8月25日)
老農(ろうのう)とは
老農は明治時代に活躍した在来農学を研究しこれに自らの体験
を加えて高い農業技術を身につけた農業指導者のことです。 明
治10年代半ば、明治維新政府の勧農政策により農業は大きな
転換を。 (ウィキペディアより部分引用)
その老農の一人が現・野洲市比留田出身の大岡利右衛門です。
大岡利右衛門肖像画 大岡家蔵 (野洲市HPより拝借)
どうして知ったの?
過日、野洲市歴史民俗資料館で特別展と講演があり、鑑賞、拝
聴した次第です。 老農とは、も、この人物さえ野洲市に居ながら
全く知りませんでした。
大岡利右衞門と功績
(以下の各項目はウィキペディア、 野洲市HP、当日のレジュメより部分引用)
1832(天保3年)~1912(明治45.大正元年)
野洲郡比留田村(現・野洲市比留田)に生まれ、近代の老農とし
て活躍し、明治29年(1896)に緑綬褒章を受賞しています。
比留田集落は水田の多い農業地域で「大岡、新日光」などの稲
の新品種改良に取り組む他、稲苗の「正条植」や「排水」の奨励
、野菜草花の種子分与、等々九項目におよぶ農業改良に尽くし
たと、当博物館発行の会報「流水紋」にあります。また比留田地
区以外の地でも農事改良に努めています。
西村 卓 教授 (同志社大学) 野洲市歴史民俗博物館での講演
老農は各地にいました。
野洲市には大岡利右衛門という老農がいました。そして老農は
その他にも各地にいました。 老農は明治維新後に農業の生産
性向上のために重用されたのです。
老農時代
明治10~20年代です。この時代の老農は農業で苦労している
人達の役に立ちたいという、私利私欲のない人物だったとのこと
です。
農作業風景: 四季耕作図屏風・個人蔵・部分 (野洲市HPより拝借)
その時代の三老農
群馬県の船津伝次平、奈良県の中村直三、香川県の奈良専二の
3人は明治の三老農と呼ばれ、彼らに次いで福岡県の林遠里、秋
田県の石川理紀之助が知られていました。
比留田地区 大岡利右衛門の出身地 8月6日撮影、もう穂が垂れていました
(写真右上に妙光寺山、三上山が見えています)
このように今、稲はよく実り、首を垂れています。 今日の米作は、
今日の主人公、大岡利右衛門の苦労が実った賜物ともいえるん
でしょうね。
老農時代の終焉
明治10年代半ばから20年代にかけては、老農たちの時代であ
った。招聘の外国人教師を通じて欧米の近代農学を学んだ農学
士たちは、老農たちとの交流の中で、初めて日本農業に関する
発言力を獲得していく。 わが国における近代農学の誕生にとっ
て、老農たちは欠くことのできない存在でした。
ところが時代は変わり
時代は、官主導の各試験場体制に移り、農学校が拡充。卒業生
は農学者となり更なる研修を重ねて学者(教授)、技師などになり、
老農時代は終焉を迎え、近代農学者の時代が始まるのです。
(東京農業大学教授 友田清彦氏 の論文から抜粋、Kennyの言葉で記載)
さて、老農時代と、特別視される時代は終りましたが、その後も
老農は各地で活躍、農業の発展に寄与されたことは言うまでも
ありません。
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私の車の後部座席に積み込んだ大きなスイカ
余談として: どえらい硬いお話の後に、スイカの話題
どちらから? と年齢はうんと先輩のおばーちゃんが息子さん
と思われる方とスイカの収穫中で軽トラに積み込んでいました。
”大岡利右衛門さんに関する記念碑かなんかこの比留田にあ
りませんか?” とお尋ねした後、スイカ談義に。
「一つ持っていかんせ~」と。只であげると仰ってくださいまし
た。でもそこは農家の出の私、農作業の苦労は知り尽くして
います。
志をお渡しして、胴回り90cmの大きなスイカを持ち帰り、なん
せ大きいスイカでして・・・、近所にお裾分けしました。(笑)
今日もご覧下さいましてありがとうございました