趣味・興味プラス挑戦

郷土史、登山、スキーなどを写真と共に書き綴っております

Kennyの城歩き:小谷城は燃えなかった

2012-02-21 07:48:19 | 小谷城

そうだったのか !  お城のお話です
         
=小谷城は燃えなかった
            (この日記の掲載期間:2月26日ー3月1日)

砦の館がプレハブで?
中井 均先生
の独特のお話です。戦国時代は戦場を転々とします。
勿論持久戦に備えて玄蕃尾城のような立派な砦もあったのですが、
大抵は緊急事態に対応すべく不要になった砦の建物をバラして次
の合戦場所に運んで組み立てると云う手段を取った
まさに今風に
云うプレハブの館です。

それは事態が何時、また突然起きることもあるわけでのんびりした
対応は敗戦に繋がります。それにしても風雲急を告げられて当時、
バラした建物や物資の輸送はどのように進められたのかふと現役
時代に戻って、納期、工期が気になります。

   
      玄蕃尾城の堀切:堅固な砦だったそうです

小谷城は燃えなかった!
そうやったんか! でもNHKの大河ドラマではお市さんと3人の
娘達が城を出た後燃え盛る場面がありました。柴田勝家の北の
庄城や大坂城も多くのドラマで燃えるシーンを見てきました。では
NHKではな
ぜ?となりますがそこはドラマ、物語です。燃えないと
落城の衝撃的なシーンが演出出来ないと云うことなんでしょうね。

          
     
安土城跡から発掘された焼けただれた瓦
上の瓦の写真:滋賀県安土城郭調査研究所、同安土城考古博物館
編 「安土城・1999」より

         
               
礎石の火災による柱跡:安土城天主跡

  
           大火の熱でひび割れができた石垣:安土城跡
   

しかしこの小谷城は燃えなかったことで見解は一致しているようです。
それは小谷城からは焼土が検出されていないことが決めてだそうです。
確かに安土城の天主のあった
からは今も焼土が素人にも確認でき
ます
(専門家にこれが焼土だと説明をいただけばですが)。また火災時
の高温で周辺の石垣にひび割れが見られます。

 
         
小谷城大広間から本丸跡
          
中井
均先生の講座、講演
昨年、一年を通しての主催、各自治体の主催先生のお話を拝
聴させて頂く機会が沢山ありました。縁があって私もすたこらとお
城歩きを初めて3年を過ぎますが、
お城を歩いている方で先生の
お名前を知らない人はいないと思います。現在は滋賀県立大学で
教鞭を取っておられます。
      
       
              
小谷城本丸跡

お城を歩くことが一番
中井先生は戦国時代を知るにはお城を歩くことが一番だと常日頃
仰っておら
れます。実は私は同じことではありますがその反対方向
からのアプローチでして
ある機会を得て城を歩くことになり郷土史、
特に戦国時代を知ることに興味を抱き今楽しんでおります。日頃は
先生が編集された「近江の山城」という書を片手に城跡歩きをして
います。 現地で専門の方に案内頂いているような感じで一人でも
気軽にお城を訪ねることが出来ます。

 
       堂木山砦(賤ケ岳の合戦の砦・余呉町)を案内される中井先生

いつも目からウロコのお話が
今回の日記では冒頭に二つの面白いお話を紹介しました。城歩き
をして本当によかったと思います。こんな面白いお話が専門の先生
から手軽にお聞きできるのです。ちなみに滋賀県には1300ケ所の
城館跡が1981年から
10年の調査であきらかになった
そうです。
甲賀だけでも200箇所以上の城
があります。
滋賀県は日本でニ、三
番目に多く最も多い県は岩手県だそうです。

       
               
小谷城黒金門跡

お断り:*
中井先生からは今までに拝聴したお話の感想をこの日記
      (ブログ)で記載することの了解を頂いております。今になり
      ましたが今日ここに取り上げさせて頂きました。

         これはKenny(野洲市在住)の私的なブログです。
     

     今日もご覧くださいましてありがうございました

                 **********************

                    郷土史関連の講座情報
 
                     大溝城と城下町をゆく
       
       日 時:3月10日(土)13:30-16:00
        集  合:JR近江高島駅東口 13時より受付
        申し込みが必要です
       主 催:
滋賀県教育委員会文化財保護課
            電 話:077-528-4644

                         E-mail ma07@pref.shiga.lg.jp
 
                         高島市教育委員会事務局文化財課

         お申込みは滋賀県の方へ(e-mailが好都合との事です


                         滋賀の陣と城郭

       日 時:3月17日(土) 10:30ー16:30
       主 催:滋賀県教育委員会文化財保護課
            
近江八幡市安土町下豊浦6678 
             
電話:0748-46-6144
                              FAX:0748-46-6145
             E-mail ma16@pref.shiga.lg.jp
         集 合:大津市民文化会館
        見  学:宇佐山城跡

        *ご参加の場合は事前に必ず主催者にご確認ください

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雪景色、わが町の三上山

2012-02-20 09:27:15 | 三上山


2月18日、野洲市内にこの冬一番の深い雪

   =近江富士・三上山、その日の登山道から=
      この日記の掲載期間:2月20日-2月25日)

滋賀県南部にも今年は雪が
北陸から東北、北海道と連日の大雪でこの冬は世界的にも異常な事態に
なっています。心配なことですし雪国生まれの私にとっては対応のご苦労が
身に沁みて解ります。野洲市では近年は雪がこれだけ積ることはほとんど
なかったのですが2月18日の朝窓を開けてびっくりです。これも記録してお
こうと自宅周辺と三上山を歩いてきました。


        20Cm前後の積雪です。三上山の樹木も薄らと
私は自宅から近いこともあってこの地点から三上山を眺める機会が多い
です。三上山と右に女山があり美しい姿を見せています。三上山は標高
432mで近江富士とも呼ばれています。40分位で山頂に辿れますが、
山頂付近は岩場を這って登るに等しい結構本格的な登山気分を味わえ
る山です。


           その日の山頂からの雪景色です
野洲市南部の野洲川沿いが見えています。川向こうは守山市です(霧の中)。
山頂からは樹木が生い茂り
360度の展望はありません。独立峰ですが残念
です。二方向の琵琶湖と比良山系、湖南アルプスが望めます。


                駐車場と登山口


                 妙見堂跡
登山口から5分程で広場に出ます。どうやらその日、表登山道の2,3番目
の登山客だったようです。江戸末期に旧三上村の三上藩、藩主遠藤氏が
三上山に勧請したものですが、三上藩は明治4年に廃藩となりました。


          同、妙見堂跡:下山時には日が射していました


      この辺(登山口から30分弱)から岩場となります
やや雪が多くなり細心の注意を要します。岩も凍結しています。私は当日は
スリップを防ぐためゴム長靴で登りました。 



               赤いリボンの道しるべ
この山では迷うことはありませんが、落ち葉の頃や雪の季節には広い
大きな山々ではこの有色のリボンを見てほっとすることが度々です。
普段は気がつかなったのですがこの日は瞬時に目に入りました。



                    岩場です
写真では傾斜が分かりませんが、この日は特に四つん這いで登りました。








                御上神社奥の院
この場所ほぼ山頂で奥の院の祠、鳥居があります。下からは日の丸の旗
が見えるところです。 実際の山頂は後10mほど上りを先に進みます。




           


             この山の代表的な春のお花です




               妙見堂への石段
往時の姿を忍ぶ一番しっかりと残った遺跡です。三上山を愛する方々
が散らばった灯篭の一部などを整理されてこの様に形を保っています。
もう一つこの山にはほとんどゴミが落ちていません。 三上山の登山者
の心配りと日頃この山にお世話になっている方々
の感謝の証です。 

        今日もご覧くいださいましてありがとうごいました

                 **********************

                    郷土史関連の講座情報

                 縄文人の祈りと造形
              (講座)

       主 催: 滋賀県教育委員会文化財保護課
      
日  時: 2月18日(土)、2012 13:30~16:30
      会 場: 東近江市埋蔵文化財センター

     ②日 時:2月25日(土)、2012 13:30~16:30
      会 場: 米原市伊吹山文化資料館

            問合せ: 電話:077-528-4674 
               FAX:077-528-4956

                     野良田合戦と肥田城水攻め
                           (講演と現地見学)

         主 催:滋賀県教育委員会文化財保護課
               日 時:2月25日(土)13:00~16:00
       
         
       問合せ: 電話:0748-46-6144 
                          FAX:0748-46-6145
                    E-mail ma16@pref.shiga.lg.jp
 
 

                     大溝城と城下町をゆく
       
       日 時:3月10日(土)13:30-16:00
       集 合:JR近江高島駅東口 13時より受付
       申し込みが必要です

       主 催:
             
滋賀県教育委員会文化財保護課
        電 話:077-528-4644

                 E-mail ma07@pref.shiga.lg.jp
 
                 高島市教育委員会事務局文化財課

         お申込みは滋賀県の方へ(e-mailが好都合との事です
                
                    

           *ご参加の場合は事前に必ず主催者にご確認ください

コメント (9)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Kennyの郷土史:野洲市内の遺跡を訪ねて

2012-02-12 06:48:33 | 古墳

   発掘調査報告会に参加して
 =我が家はひょっとしたら遺跡の上にある?=           
              
(この日記の掲載期間:2月17日ー2月23日)

              今週も再度遺跡のお話です:滋賀県野洲市

発掘される遺跡のここがわからん?
市内を歩いていると地面を掘り返しているのをよく見かけます。時にはその
発掘で見つかった遺跡の歴史的価値が高くて記者発表ということもあります。
それらの発掘はどんな背景で行われているのか? なんで大抵の遺跡には
あれだけ沢山の穴があるのかなどこの際ちょっと勉強させて貰おうかと過日
野洲市歴史民俗博物館(銅鐸博物館)で開催の標題の会に参加しました。

          
             住居跡が出てきた発掘調査の現場

この土地(上の写真)は埋め戻されて既に民家が完成し入居されて
いる。後方に見える住宅も地下は同様に住居跡が有ったのだろうか。

個人の家が遺跡の上にあっても不思議ではない
遺跡が出てくるのは全てが特別な事ではないんやそうです。つまりそこに
縄文時代や弥生時代、その後もと人が住んでいたことの証というわけです。
例えば私の家の場所にその時代の人が住んでいてその後建物がなくなり
長い年月で土砂が堆積して隠れていただけだった。その遺跡の住民と私は
たまたま同じ場所に住んだという偶然です。
そうやったんか! ちょっとでも遺跡が出たら全て
一大事かと思っていました。


             市立野洲図書館横の発掘現場

上半分が円形になっています。これは円墳の跡だと考えられています。
古地図にもその場所が古墳であったことが示されている(下の写真)。


      古地図:矢印の丸いところが古墳(この注釈はKennyの記載)
 
         
この地図にはほかにもお墓が二つありますね
      

住宅跡だけとは限らない
お墓、古墳の場合もあるとの事です。今、市立野洲図書館のJR線よりが
発掘されています。どうやらそこは古墳があったのではと最近分かったよう
です。その近くにはあと二つ古墳があります。また土器を作る粘土の採取
場であったりもします。さらには神社、お寺。それが都や国府跡(国司)と
なると大騒ぎになり記者発表となります。大津市の瀬田付近は今盛んに
発掘調査が進んでいます。国府跡が出てきました。
(過去に発表会に参加)

 
          お墓の跡                  棺の一部(杉材)

こんな時に発掘される場合が多い
大抵はその土地が造成される場合です。住宅団地、公共施設や工場など
です。工事開始前に必ず調査します。趣旨は文化財保護でしょうね。そして
前述の都跡や歴史上貴重な史跡で、これは最初から手がかりな内容物が
出て来ないか期待されての発掘です。

竪穴式住宅は室町時代でも
縄文、弥生、古墳時代そして室町時代に至っても竪穴式住宅が主だったそ
うです。土地に穴を掘って柱を立てると云うやり方です。今のように礎石の
上に柱を置くという建築方式はもっと後になってからの事だそうです。発掘
現場のたくさんの穴は、その場所で建物が何度も建て替えられた事による
ものだと今回知りました。

     
                  出土した埴輪

素人でも簡単に見つけることが出来る場合も
土器や遊具、瓦などは見れば分かるでしょが、あの穴や溝はどうして見つ
けるの? を聞きましたがその穴や溝の土の色が違うので素人にも簡単に
わかるのやそうです。でも熊手やこてなどの道具でしゃがんでの作業は腰
や足が痛いことでしょうね。どん百姓出の私にはよくよくわかるんです


     
                 出土のかめ

野洲市には遺跡が多い?
野洲市には古墳、銅鐸そしてこのような住宅跡が多く発掘されているよう
に思えますが銅鐸以外は特別な事ではないそうです。質問をしましたら隣
りの守山市も草津市も同じとの事でした。それは発掘の頻度、その時の
発掘の必要性の問題だそうですが、銅鐸がなぜ野洲にだけ出てきたかは
もう一つ分からないところがあるようです。ただ銅鐸は祭儀で使われるとい
う位置づけでポイ捨てが出来ず周辺の集落からも当の大岩山に埋めたの
ではないかとも考えられるようです。

野洲川や水量の多い川を挟んで遺跡が多い
これは理解がし易いですね。どんな国でも民族は農耕が主な仕事、生活
の糧です。必然的に川の傍に住むことになります。

     
             神社などのひさし屋根の柱礎石?

今、当館二階の資料スペースが面白い
今回は三か所の発掘調査成果報告でした。地名を上げても野洲市民以外
は興味がないでしょうから省略しますが、JR野洲駅北側の京セラ、オムロン
などの敷地もその発掘対象地でした。発掘された土器や琴の一部などが
資料室に展示されており、解説文書も用意されています。 一見に値する
と思います。国道8号線沿いにあり、8号線上に同館への標識があります。

お断りこのブログはKenny(野洲市在住)の私的な日記です。
         ここに記載の文言は当日三人の先生方がお話下さった内容を
     私の理解、言葉で書き綴りました。聞き違いによる間違いなども
     あると思いますが、素人の日記とご容赦ください。
     また掲載の写真は当日パワーポイントなどで用いられたもの

     私がその場で撮影して使わせて頂きました。

    今日もご覧くださいましてありがとうございました。

                   ****************************

                   郷土史関連の講座情報

                 縄文人の祈りと造形
              (講座)

       主 催: 滋賀県教育委員会文化財保護課
      ①
日  時: 2月18日(土)、2012 13:30~16:30
      会 場: 東近江市埋蔵文化財センター

      ②日 時:2月25日(土)、2012 13:30~16:30
      会 場: 米原市伊吹山文化資料館

            問合せ: 電話:077-528-4674 
               FAX:077-528-4956

                     野良田合戦と肥田城水攻め
                           (講演と現地見学)

         主 催:滋賀県教育委員会文化財保護課
               日 時:2月25日(土)13:00~16:00
       
                問合せ: 電話:0748-46-6144 
                          FAX:0748-46-6145
                    E-mail ma16@pref.shiga.lg.jp
 
 

                     大溝城と城下町をゆく
       
       日 時:3月10日(土)13:30-16:00
        集 合:JR近江高島駅東口 13時より受付
        申し込みが必要です

       主 催:
             
滋賀県教育委員会文化財保護課
         電 話:077-528-4644
                 E-mail ma07@pref.shiga.lg.jp
 
                 高島市教育委員会事務局文化財課

         お申込みは滋賀県の方へ(e-mailが好都合との事です)                                    

           *ご参加の場合は事前に必ず主催者にご確認ください

 

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Kennyの郷土史:塩津港遺跡

2012-02-01 18:57:35 | 塩津港、神社遺跡

  平家滅亡の年、琵琶湖を津波が襲った
=私の故郷、塩津に津波で沈んだ神社があった=
   滋賀県教育委員会文化財保護課主催の講座に参加して
        (この日記の掲載期間:2月10日ー2月16日)

 
         発掘された神社の遺跡

上の写真で見るように発掘された柱が北の方向に傾い
ています。琵琶湖の南部から押し寄せた津波で神殿な
どが押し流された証拠ではと考えられています。

今日の日記は:
琵琶湖でも(大海原ではなく)大昔に津波が起こりました。
その津波が琵琶湖の北端にあった神社を押し流します。
琵琶湖に津波があった
。またその事を実証する被害を
受けた神社の遺跡を滋賀県主催の講座で聞いてきまし
た、と云うお話です。

  

塩津港遺跡の講座 (於:県立安土城考古博物館)
琵琶湖の北端、塩津の港に平安時代の神社の遺跡が見
つかったと以前に
聞いておりました。詳細を
是非知りたい
と思っていたところこの度その後の発掘調査結果を踏ま
えて県主催の講座が開催されました。

 

その場所は私のふるさとです
私はその神社があった旧名塩津村(現長浜市西浅井町)
で生まれ育ち、当時今日の話題の神社があったその場所
ですぐ近くの家に住む悪ガキ(今彼を殿と呼んでいる、Tさ
ん)の家来として遊んでいたんです。神像、起請文木簡、
土師器皿、神殿や鳥居の柱など神社の存在を立証する遺
物が埋もれていたほんの1~2mほど上の当時田んぼだっ
たか畑だったかその場所で何も知らずに遊んでいたとは!

 
             このような神像が五体、堀から出土

その神社が琵琶湖で起こった津波で流された!!
神社が有った場所はかつて北陸と京都、大阪をつなぐ
湖上交通の要衡として、また江戸時代から昭和30年
ころまでは
丸子船の活躍で栄えた塩津港(琵琶湖の
北端)です。ところが元暦2年(1185)に琵琶湖で大
地震
による大津波が起こり当の神社が押し流されまし
た。
それは当時の公家の日記に記録されており、
塊記」
には琵琶湖の水が北に向かって流れたと記さ
れているそうです。


                 直径50cmの鳥居の柱

 これを見てもいかに大規模な神社であったかが伺えます。
 ちなみにこの神社は50m四方の周囲に堀を巡らせた敷
 地であったとの事です。

ところでこの神社は
私の理解ですが、発掘の起請文木簡の文面は今風に解
釈すれば
「コンプライアンス
を順守し商品を安全、確実に届
けます」といった内容
のものもあり航行の安全を祈願してい
るようで、地元の住民だけではなく
物流関係者も当神社を
崇拝していたようです。

発掘調査には層となった地質そして・・
神社の標高と琵琶湖の水位、さらには何度も発生したであ
ろう洪水などが大きな決め手となったようですが、私には直
ぐに理解するのは難しいです。この点は末尾に書きました
主催者のHPを是非開いてみて下さい。


神社のあった地層を説明の当日の資料です。 堆積層云々と・・


  
          塩津港の湾          神社のあった大川の西側

上の二枚の写真は現地を訪れた時のものです。このように
(左)湾になっており過日の震災での教訓の通り、より大き
な津波となったのではと思います。

滋賀県教育委員会の連続講座に感謝して
昨年末に発掘調査の新聞発表がありました。是非見てみた
い知りたいと帰省時に覗く事も考えましたが、お城跡でも同
じで一人で現場に立ってもどうしようもありません。今回待ち
にまった講座に恵まれました。講座名はこの日記の主題
平家滅亡の年、琵琶湖を津波が襲った」でした。
その年
は源平最後の戦い
壇ノ浦(現山口県)で平家が滅亡した元
暦2年(1185)です。

なお、詳細は下記にありますアドレスの滋賀県文化財保護
協会
のHPをご覧ください。
                  ↓

http://www.shiga-  bunkazai.jp/download/pdf/081115_shiotsu.pdf

お断り: このブログはKenny(郷土史に興味を抱く野洲市内
          の老人)の
私的な日記です。
          
     当日記の掲載は当日の講師、横田洋三先生のご了
         解を頂いております。また掲載の主催者の写真は当
         日会場で映し出された資料を私が撮影したものです。

     今日もご覧くださいましてありがとうございました

 

コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする