【人権侵害されて、加害者側にまわって、この世の春に酔いしれて】
単純に遠い記憶すぎて前前前世くらいおぼろげですが…。
小学校~高校の途中くらいまで?の私は
「ふつうの女の子」
にすらなれなかった。
(これ打ちながら、
「女の子」
じゃなくて
「子ども」
じゃダメなのか?と思ったんだけど、後者じゃ当時の感覚に全然しっくりこない。
だから性差ってすごく大きいんだなって思った。
生物学的性なのか社会文化的性なのか、あるいは圧倒的な男尊女卑なのか…)
学校での地位はとても低く、いつも自分をダメだと思っていたし恥じていた。
そう思わされたからなんだけどね。
先生達も何割かの学生も喜んで弱者いじめを楽しんでいたからさ。
私はいつもやられる方だった。
運動も勉強もコミュニケーションもルックスもダメダメだったもの。
これが今を生きる幼い人だったら、
「この子が運動と勉強とコミュニケーションが苦手でも、外見磨きに興味がなくても、周りがいじめていいわけないだろ!!!」
と思えるけど…当時は弱きはいたぶられて当然って空気がすごかったんだよなあ。
あの辛さは経験したことない人にはわからないと思う。
昭和時代どころか、明治大正の文学・日記にすら
「日本人は弱者とみなした相手をとことんいたぶり殺すのが大好きだ」
と記されていて、人の業を感じる。
大河ドラマで今年注目されている『紫式部日記』でも、宮中の壮絶ないじめ・人権侵害がしょっちゅう出てくる…さらっとだけどたくさん記録されているのだ。
身も心もボロボロになるまで追い込まれて宮中を退出する被害者達が…。
外国でも同じなんじゃないか…というのは映画からも文学からも記録からも容易く予想できるので、もうこれは人類の業でありサガなのかもしれない。
多分そうだろうな。
加齢のおかげか努力(勉強と外見磨き)のおかげか環境との相性か、私は大学生になる頃にはすっかり
「ふつうの子」
枠に入れて、本当に生きやすくなった。
当時は意識してなかったけど、笑われず攻撃される登校できるのは予想もできなかった楽園だった…当たり前のことなのになあ。
本当に、いじめられっ子よりはるかにいじめっ子が有害なのだから、そっちを学校・組織から追い出すべきなのにと思う。
悪い先生だって処罰すべき。
私は志が低かったので、この“ふつう”で充分すぎるほど満足できたが、
「ふつうなんかじゃ嫌!!!
チヤホヤされたい!!!
マウント取りたい!!!
他者の人権侵害しまくりたい!!!
この世をば我が世とぞ思って傲慢にうぬぼれて生きていたーい!!!」
と、言葉にできずとも切望しているとたいてい悲劇が起こる。
「新しい価値観!!!
素晴らしい世界!!!
みんなが幸せになれる世界!!!」
こんな御題目(=口先で唱えるだけで実行できそうにない項目)を並べる人がその舌の根の乾かぬうちに自分を全面肯定しない者・異論を唱える者に
「差別主義者!!!!」
「滅びろ!!!」
「地獄へ落ちろ!!!」
「悪魔めーっ!!!」
って攻撃しまくるのはよくある話です。
お前さまのその矛盾こそ差別主義じゃねえの、というね。
こういう人達はたいてい、集団での地位が低かった人だと私は思う。
実体験から多くそうだ、と考えている。
その中でも
「迫害されたくない」
でとどまらず
「迫害したい」
と思ってた人たち。
だから新しい武器を、力強い仲間を欲してる。
馬鹿にされて辱められてる…と思ってた世界から、真実に目覚めて選民思想にひたって逆にマウント取って殴れる立場への大逆転。
一発逆転への切望。
それが叶ったような錯覚をくれる場所に、取り込まれてる。
残念ながら迫害する人たちは利用するだけなんですよ、そういう人をね。
カルトもマルチも差別主義者達もよ。
どこまでもお金を絞り取ったり、家族や友達と絶縁させたり…。
悲しいことだけど、女子どもは性的に搾取されたり…。
束の間の
「一発逆転叶っちゃった…」
錯覚を対価にしてさあ。
昔からよくある悲劇だけど、最近は
「君は他の子と違う、特別な女の子だって言われたい思われたい」
そんな純粋で頭の悪くない女子がよくやられてんなと気付く。
彼女らのこの願望だって男尊女卑構造からの女嫌い=ミソジニー。が思考させたものだろうからね。
「性別は関係ないでしょ!」
って時点で女性を下げてみてるのだ。
女の体に生まれても。
何種類かあれば差別が生まれるのは世の常で、身体的性別はふたつしかない(例外はごくごく少数派。社会文化的ジェンダーじゃないからね)から、あるのだよ、差別って。
あー。
利用されるんだな、また、幼い人が、女子が。
大人の私は悲しいよ。
でも、依存症の一種みたいなものだから…私がどんなに話しても渦中の人には届かない。
自分自身が底つきして
「もうダメだ。
変わりたい、変わらなきゃいけない」
と思うまでどうにもできないから。
あー…。(エミー風)
単純に遠い記憶すぎて前前前世くらいおぼろげですが…。
小学校~高校の途中くらいまで?の私は
「ふつうの女の子」
にすらなれなかった。
(これ打ちながら、
「女の子」
じゃなくて
「子ども」
じゃダメなのか?と思ったんだけど、後者じゃ当時の感覚に全然しっくりこない。
だから性差ってすごく大きいんだなって思った。
生物学的性なのか社会文化的性なのか、あるいは圧倒的な男尊女卑なのか…)
学校での地位はとても低く、いつも自分をダメだと思っていたし恥じていた。
そう思わされたからなんだけどね。
先生達も何割かの学生も喜んで弱者いじめを楽しんでいたからさ。
私はいつもやられる方だった。
運動も勉強もコミュニケーションもルックスもダメダメだったもの。
これが今を生きる幼い人だったら、
「この子が運動と勉強とコミュニケーションが苦手でも、外見磨きに興味がなくても、周りがいじめていいわけないだろ!!!」
と思えるけど…当時は弱きはいたぶられて当然って空気がすごかったんだよなあ。
あの辛さは経験したことない人にはわからないと思う。
昭和時代どころか、明治大正の文学・日記にすら
「日本人は弱者とみなした相手をとことんいたぶり殺すのが大好きだ」
と記されていて、人の業を感じる。
大河ドラマで今年注目されている『紫式部日記』でも、宮中の壮絶ないじめ・人権侵害がしょっちゅう出てくる…さらっとだけどたくさん記録されているのだ。
身も心もボロボロになるまで追い込まれて宮中を退出する被害者達が…。
外国でも同じなんじゃないか…というのは映画からも文学からも記録からも容易く予想できるので、もうこれは人類の業でありサガなのかもしれない。
多分そうだろうな。
加齢のおかげか努力(勉強と外見磨き)のおかげか環境との相性か、私は大学生になる頃にはすっかり
「ふつうの子」
枠に入れて、本当に生きやすくなった。
当時は意識してなかったけど、笑われず攻撃される登校できるのは予想もできなかった楽園だった…当たり前のことなのになあ。
本当に、いじめられっ子よりはるかにいじめっ子が有害なのだから、そっちを学校・組織から追い出すべきなのにと思う。
悪い先生だって処罰すべき。
私は志が低かったので、この“ふつう”で充分すぎるほど満足できたが、
「ふつうなんかじゃ嫌!!!
チヤホヤされたい!!!
マウント取りたい!!!
他者の人権侵害しまくりたい!!!
この世をば我が世とぞ思って傲慢にうぬぼれて生きていたーい!!!」
と、言葉にできずとも切望しているとたいてい悲劇が起こる。
「新しい価値観!!!
素晴らしい世界!!!
みんなが幸せになれる世界!!!」
こんな御題目(=口先で唱えるだけで実行できそうにない項目)を並べる人がその舌の根の乾かぬうちに自分を全面肯定しない者・異論を唱える者に
「差別主義者!!!!」
「滅びろ!!!」
「地獄へ落ちろ!!!」
「悪魔めーっ!!!」
って攻撃しまくるのはよくある話です。
お前さまのその矛盾こそ差別主義じゃねえの、というね。
こういう人達はたいてい、集団での地位が低かった人だと私は思う。
実体験から多くそうだ、と考えている。
その中でも
「迫害されたくない」
でとどまらず
「迫害したい」
と思ってた人たち。
だから新しい武器を、力強い仲間を欲してる。
馬鹿にされて辱められてる…と思ってた世界から、真実に目覚めて選民思想にひたって逆にマウント取って殴れる立場への大逆転。
一発逆転への切望。
それが叶ったような錯覚をくれる場所に、取り込まれてる。
残念ながら迫害する人たちは利用するだけなんですよ、そういう人をね。
カルトもマルチも差別主義者達もよ。
どこまでもお金を絞り取ったり、家族や友達と絶縁させたり…。
悲しいことだけど、女子どもは性的に搾取されたり…。
束の間の
「一発逆転叶っちゃった…」
錯覚を対価にしてさあ。
昔からよくある悲劇だけど、最近は
「君は他の子と違う、特別な女の子だって言われたい思われたい」
そんな純粋で頭の悪くない女子がよくやられてんなと気付く。
彼女らのこの願望だって男尊女卑構造からの女嫌い=ミソジニー。が思考させたものだろうからね。
「性別は関係ないでしょ!」
って時点で女性を下げてみてるのだ。
女の体に生まれても。
何種類かあれば差別が生まれるのは世の常で、身体的性別はふたつしかない(例外はごくごく少数派。社会文化的ジェンダーじゃないからね)から、あるのだよ、差別って。
あー。
利用されるんだな、また、幼い人が、女子が。
大人の私は悲しいよ。
でも、依存症の一種みたいなものだから…私がどんなに話しても渦中の人には届かない。
自分自身が底つきして
「もうダメだ。
変わりたい、変わらなきゃいけない」
と思うまでどうにもできないから。
あー…。(エミー風)