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『そぞろ歩き韓国』から『四季折々』に 

東京近郊を散歩した折々の写真とたまに俳句。

読書感想193  真田太平記

2016-03-09 20:31:45 | 小説(日本)

読書感想193  真田太平記

著者      池波正太郎

生没年     1923年(大正12年~平成2年)

出身地     東京、浅草

出版年     1974年~1982年 週刊朝日に連載

文庫版     新潮文庫12冊。

☆感想☆☆☆

信州の小県郡真田郷(現在の上田市)の国人領主だった真田一族の戦国末期から江戸初期までの物語。

物語は武田信玄の五男の仁科盛信が守る高遠城が織田信忠率いる織田軍によって全滅するところから始まる。若武者の向井佐平次は、真田家の忍びの手で救い出される。別所温泉で療養していた佐平次は16歳の真田幸村と出会い、生死を共にする従者となる。佐平次を助けた忍びのお江は、もともと甲賀から派遣されて武田信玄の忍びを務めていた父親が、甲賀の頭領の撤収命令に背き武田信玄の下に残ったという因縁から、甲賀の忍びから裏切者としてつけ狙われている。真田家の当主真田昌幸は武田信玄亡き後、武田の忍びを真田家に取り込む。お江も真田家の忍びの一員となる。物語は徳川方について真田家を残した真田信之が、真田昌幸、幸村親子によって関ケ原の戦いに遅参を余儀なくされた2代将軍秀忠によって上田から松代に転封され、上田城をあとにする場面で終わる。

真田家の人々は智謀あふれる戦略家ぞろいだし、実に強い。命を懸けて戦うときに人間的な好悪の感情というのは大きいのかもしれない。それに大きく足を掬われたのは真田昌幸。関ケ原の戦いのときに、上杉景勝という武将に感謝の念とその人間的な魅力に惹きつけられ、味方しようとする。また欲もある。しかし、石田三成は命をかけて戦ってきた武将たちを統率できる器ではない。文官だからだ。豊臣秀頼はまったくもって総大将になれる器ではない。育ちといい教育といい。文武の文は優れていても、武士としての修養が何もない。大阪城から出たこともない箱入り息子にすぎない。真田幸村は関ケ原でも大阪の冬、夏の陣でも命を懸けるに値しない総大将のために戦っている。一か八かの賭けだったのかもしれない。武将というのは戦場では常に一か八のようなところがある。これに対して真田信之は徳川家康やその家臣団をよく見ている。

登場人物も多彩。

樋口角兵衛   真田昌幸の隠し子だが、表向きは信之と幸村の従弟。怪力無双だが半ば狂人。

猫田与助    甲賀の忍び。お江をつけねらう。

向井佐助    向井佐平次の息子だが、幼いころから忍びの訓練を積んで、幸村の下で働く。

鈴木右近    上州の名胡桃城主の息子。信之の側近。

山中大和守俊房 甲賀忍びの頭領。

壺谷又五郎   真田の忍びの頭。関ケ原では徳川家康を襲撃。 

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