6月頃からしばらくは「チャングム=大長今」の韓国ドラマをGyao!で楽しんでいたのだが、それが終わると、次に「朱蒙― チュモン」である。Gyao!で30話頃から見始め、現在64話まで話が進んでいる。
先日、民放で日本語吹き替え版を放送していることに気が付いて22話を見た。映像はハイビジョンなので美しいのだが、感じる違和感は朱蒙王子の声が妙に若すぎるように思えて仕方がないことである。
それでも30話頃までTVによりGyao!で見落とした部分を見て、残りの部分はGyao!で楽しもうと思っている。(Gyao!の方が映像ははるかに悪いのだが、韓国語セリフ・字幕の方が雰囲気をより正確に伝えているので、こちらの方が小生には好ましいのである。)
それにしても高句麗という国の地図を見たのだが、満州までも含めた超大国といっても過言でない国であった。(地図を頭に入れて観ると、ドラマが一段と判り易い)
次のおまけにも書いてあるように“・・・今でも高句麗は韓国朝鮮の人々の憧憬の的であり、「ああ、高句麗」と溜息をつかせます。後には遼東半島、満州まで領土とした広開土王(在位391-412)を輩出し、・・・”とあるように、初代高句麗王「朱蒙」は民族の誇り高き英雄なのだろうと思った。
おまけ;朱蒙に関する神話の一説(インターネットより引用文)
紀元前1世紀ごろから、朝鮮半島(韓半島)は高句麗、百済、新羅の古代国家からなる三国時代を迎えます。 中でも、高句麗は遼東半島や満州など現在の中国の領土にも及ぶ広大で強力な古代国家を建設し、歴代の中国政権に対して命運を分ける程の影響力を与えましたが、668年、中国の唐と連合した新羅によって滅亡しました。
唐と連合し結局、韓国朝鮮民族の領土を狭めてしまった新羅に比べ、今でも高句麗は韓国朝鮮の人々の憧憬の的であり、「ああ、高句麗」と溜息をつかせます。後には遼東半島、満州まで領土とした広開土王(在位391-412)を輩出し、早くも
4世紀には仏教を受容するなどその活力と前衛性は目をみはるものがあります。 また、高句麗の文化は日本に対しても大きな影響を与えました。
紀元前37年、その高句麗を建国したとする人が「朱蒙=チュモン」であり、王名を「東明王」といいます。神話では東扶餘の地で、水神・河伯(ハベク)の娘「柳花(ユファ)」は天から降りた強い光によって身籠もり、不思議なことに大きな卵を産む。卵がかえり、男の子が産まれ、武芸に優れた凛々しい若者に成長する。この若者が後の高朱蒙(東明王)となります。