最近、私は「水のいのち」という合唱組曲のあることを知った。これはとても有名な曲で、水とは何かという意味で懐の深い詩を歌で表現しているそうだ。
11月からこの歌の練習をするので、あらためて彼女のコトバを思い出した。
だが、私はひねくれ者だから「水のいのち」という題名に若干の違和感を持った。
「水にいのちがあるの?」という無機的反応だった。「水がいのち」なら分かるんだけどさ。その題名なら身も蓋もなさそうだ。そうだ、実は「水がいのち」の意味なんだと勝手解釈を決め込んだ。
我々は水は無機物の一つ、いのちではないというのが正答でなければならない。でもそれを言っても面白くもおかしくもない。情緒のかけらもない。
実は水をそう扱ってはならない。
私は彼女には何も言わなかったが、水についていつも心に思っていることがある。
181105 朝の散歩 昼の散歩(163)愛 LOVE 友・・・水のいのち♪ (2)
それは、今、命を成り立たせている場所、住んでいる場所が、既に水浸しなんだということだ。自分の体も3分の2が水だし、草木も8割方は水分だ。田や畑、よく考えれば土も水浸しなんだ。そうでなければからからの砂漠だから。森の木々の大半も水が成分だし、河川や海は文字通り水だ。水あってのいのち、文明なんだ。日本は細長い列島国、おかげで海岸線の長さが世界第三位の水にアクセスが恵まれた大国、森林の率が世界一、二の70パーセント、いうなれば水の資源大国だ。中東アラブは水が欠乏していて、面積は大きいが大半は砂漠。石油大国でも水がないので命の維持に辛い国。アラブの国々は石油は宝の持ち腐れ。だから原油を売るしかない、ある意味可哀想だ。
私たちが住む場所にそびえ立つビルや工場も実は水資源大国のおかげなんだ。
鉄、コンクリート、プラスチックス、燃料、食料、飼料などありとあるものは、水が原料・・・といえば受験戦争では落第だが深く考えるとそれが事実なんだ。
ある人がこう言っている
「今の日本は石油を燃やして、それを水で冷やすこと」(これを近代工業という)を基本として成立している。「諸々は石油を燃やして水で冷やし続けることで原材料を加工してかろうじて成り立っている」
そびえ立つビルや工場、道路、港湾、空港、電車、バス、乗用車、動力の燃料、食料すらも。そしてコンピュータだって・・工業の力は水の力」
「工場用水というのは、石油などで熱したものを冷やす冷却水」・・そう言えばそうだ。水は冷やすのが目的か。工場は必ず海や川の傍にある。
「下水処理場も、石油を燃やして電気を作り、水に廃棄物と廃熱を吸わせて、薄めて海(水)に捨てる装置だ」
「石油は水と結婚しなければ使い物にならない」
「そうだね、石油を使えるようにするにはその15-20倍の水が傍になければどうにもならない。」
「石油は水の浪費家なんだね。原子力も同じだね」
「原子力発電所はもっとも水を愛している、水がちょっとでも切れると大惨事が起こる」
「都市ではみんながエアコンを使い熱を排気する。」
「それを一斉に止めれば廃熱は出ない。夏は暑いが夕方は涼しくなるのでは」
「自動車も廃気、廃熱装置だね、石油と水で作られている機械だからね」
「物を作るのにも、動かすのも、壊すのにも、捨てるにも石油、裏では水」
「これから時代は、作るよりも壊すことの方が動力、つまり水を余計に使いそうだ。事態は深刻」
「再生エネルギーの重要さが分かるね」
「バイオマスエネルギーもね、原子力発電を速く止めなけりゃ」
「生活も産業もすべて水の浪費で成り立つ、・・・裏返せば日本は水の浪費大国」
「産業ゴミ、生活ゴミの多発、処分に水の大量消費、どうすればよい?」
「今の経済成長は作ることと捨てることのスピードを上げると言うこと。それを効率という。そのピッチでは水需要が無限大になる。」
「捨てる手段としての水が足りない」
「水資源、無限にありそうだが」
「これでは救われない」
「アベノミックスでは、水が負け続け。作る熱より捨てる熱が多く廃熱が増える。」
「温暖化ガスが増える。地球温暖化が止まらない!」
「水も、台風や洪水を見ていると暴走気味だし」
「水のコントロールにも石油(熱源)がいる」
「ますます水需要が増える」
「わけが分からなくなった」
「水について、我々は勉強が足りないんだね」
「”水のいのち”の歌をどう歌おうかな」
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます