、開国近代化の流れに乗って少なからぬ日本人がアメリカ(ハワイ)、ペルー、ブラジルへ移民したこと、特にブラジルでは各地に展開した日系人が140万人にもおよび、あらゆる分野で国作りに貢献していることは、映画や小説を通じて、あるいは貿易などを通じでより詳しく、よりリアルに知るところとなっている。 今年は日伯修好条約締結120周年に当たる。また初めての移民船笠戸丸がサントス港に接岸して107年になる年である。この間日系移民においては第二次大戦で敵国同士であった関係や、ブラジル国の移民政策の変化、同じく移民国家の形成途上における政治・経済の不安定、民族間の文化摩擦など、内に外に困難を抱え、翻弄されながらも忍耐と勤勉によって打開し信頼を確立して今日の良好な日伯関係の基礎を構築した。 ブラジルはどれほど広大か、そしてどれほど多様な自然を持ち、それに応じた人々の暮らしや文化があるのか、言葉では言い尽くせぬ奥行きと拡がりがある。 そして本書で紹介されているセラードとはなにか?この言葉は今後、日本国民も度々耳にすることになろう。セラードは、熱帯に属するブラジル中央部のサバンナ地域でブラジル全土の24%を覆い、日本の約5.5倍の広さをもつ。その中にゴヤス州、ミナス・ジュライス州、マットグロッソ州、ピアウイ州、マラニオン州が収まり、各州にそれに応じた特異な生態系があり、北に位置するアマゾンや南につながるパンタナル、北東部に広がるサンフランシスコ川の水源地帯でもある。1960年に、その中心に首都ブラジリアが開設されて本格的に開発が始まった。ブラジル政府は、セラードのうち、5000万haを農業開発の対象地とし、1975年に法的裏付けを与えミナス・ジュライス、マットグロッソ、ゴヤスの3州370万haの農用地開発を構想した。 セラードに行き、立ち止まってあたりを見渡せば、その光景に息を吞まぬ人はいないだろう。まずその植生に驚かされる。見渡す限り成長を止めたような、矮化した灌木、低木が群生する疎林である。景観に区切りがなく、距離ボケが起こる。この地の特異な生態系が、穀物や野菜、牧草を作ろうとする農業の成立の壁になってきた、不毛の大地とされたのは宜なるかなと思われた。 少し高所からのランドスケープは、更に圧巻である。見渡す限りの広大な空間の中に、盆を伏せたような丘陵が右手、左手に展開する。上空から見れば、この扁平な丘陵が島宇宙のように無規則に蝟集する。この島宇宙の天頂面積は30~40万haに及び、真っ平らで灌木、低木がまばらに生い茂る。 ブラジルに「緑の革命」を起こしたといわれるのがセラード農業開発である。ブラジル政府が国家プロジェクトとして着手してからわずか20年余りで、不毛の大地は南半球最大の農業地帯に生まれ変わった。 セラードは、年間降雨量が1200から1800㎜、きびしい乾期が4~9月、養分欠乏の酸性土壌、しかし地形は平坦、排水性もほぼ良好という農業開発には長短を兼ね備えた地域として特徴づけられる。 セラードが、世界有数の農業地帯へと変貌を遂げるには、事業計画の段階から資金、技術の両面に大きな課題が横たわっていたのはいうまでのなかろう。ここに日本の協力がもとめられた。セラード農業開発は「20世紀の農学史に輝く偉業」と称されるが、日本政府の協力が大きな役割を果たしたことをもっと知らねばならない。しかしそれ以前に、チャレンジ精神を持った、日系農民とその組織である日系人農家の組合の存在を忘れてはならない。これが日伯協力事業の導き手であった。すなわち先駆的にブラジルにおける研究者や計画当局の大いなる熱意を受容し、セラードに挑戦する日系人農家達がいた。 1974年、田中角栄首相(当時)がブラジルを訪問し、セラードの開発支援を表明した。同年設立されたJICAは、日本の民間企業と共同で「日伯セラード農業開発協力事業」のための出資会社を創設した。以降、日伯の協力事業は、21の開発拠点を創設し、2001年まで続いた。 爾来わずか40年、広大なサバンナ地域は一大穀倉地帯に変貌し、大豆の生産量は、43万トン(1975年)から、4,000万トン(2010年)と、飛躍的に増加した。セラードで生産される農作物も大豆にとどまらず、トウモロコシ、野菜、果物、畜産物、綿花、コーヒーなどに広がっている。まだ成長途上ではあるが、セラード開発の成果は「農学史上20世紀最大の偉業」、あるいは「奇跡」とさえ評価される偉業と称揚されるようになった。 本書は、田中角栄首相の訪伯に時を同じうして、ブラジルに赴任し、セラード農業開発のあらゆる場面に立ち会った海外移住事業団(後にJICA)に所属の本郷豊氏のお話である。セラードの日伯農業開発協力事業がどのように行われたか、そしてなぜ20世紀最大の偉業といわれるようになったかを、同氏の経験を土台に細野昭雄氏によって農業経営、栽培、作物選定・品種の改良、土壌酸性矯正などの技術開発、それに平行した経営に対する融資制度、関係者の意識の変化、評価のなど各面において、最初から最後まで克明に記述した貴重な記録である。さらにドキュメンタリーな筆致での関係者の奮闘ぶりが伝わるので、ドラマとしても読む者を飽きさせない。 セラード開発は日本の中で十分伝わってきていない現在、我々にとっては遠い国における国際協力の単なる記録ではなく、農業とは何か、食糧とは何か、農村とは何か、国際協力とは何か、そしてそれぞれがどうあることが諸国のそして世界の幸せに通じるのか、合わせて日本の農業はどうあるべきか等を考える上でも参考となる情報が満載されている。更に付言すれば、この大開発がRio+20においても環境に配慮した持続可能な農業プロジェクトとして報告されている。ここにも注目である。 次回の山代ブラジル会には、本郷氏を招いてお話を聞くことになっている。ご出席を予定されている皆様には事前にぜひ一読をお勧めしたい本である。
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