中国、朝鮮を軍靴の下に置き、国内は民主主義的権利のかけらもない天皇親政(軍国主義政体)下にあった。マスコミは完全に麻痺。それがどんなものだったか、どんな時代であったか? 並べてみると驚嘆するが、当時の人々は完全にたぶらかされていた。欧州ではヒトラーが荒れ狂う。4月。ドイツ、電撃作戦。デンマーク、ノルウエイ占領。5月。オランダ、ベルギー降伏。6月パリ陥落。仏、独に降伏、イギリス本土爆撃開始。日本はヒトラーに呼応して太平洋制圧(大東亜共栄圏構想)をもくろむ。
〇1937年。朝日新聞トップ。(中国に)に断固自衛権を発動す。(中国に)反省を促すため、内鮮、関東軍より派兵(近衛首相談話)、東京日々新聞12/8、世界戦史に燦たる南京攻略、没落急転の蒋介石、抗日牙城もろくも壊滅。このごろからマスコミに皇軍という新語が登場。天皇機関説への攻撃以降。
〇1941年戦陣訓の歌(梅木三郎作詞:須磨洋朔作曲)=(歌唱;徳山漣)
日本男児と 生まれ来て、戦さの場(にわ)に 立つからは、名をこそ惜しめ 武士(つわもの)よ、散るべき時に 清く散り、御(み)国に薫れ桜花、情けに厚き丈夫(ますらお)も、正しき剣(つるぎ)とる時は、千万人も 辞するなし、信ずる者は 常に勝ち、皇師(こうし)に向かう 敵あらじ、五条の訓(おしえ) かしこみて、戦野に屍(しかばね)さらすこそ、武人(ぶじん)の覚悟 昔より、一髪(いっぱつ)土に 残さずも 誉れに なんの悔(くい)やある、山ぬく威武(いぶゐ)も 騎(おご)るなく、海をも出ずる 陣をもつらぬく大義 三千年、大和心の ひと筋は、これこそ軍の大精神
〇1940年、国家総予算110億円。軍事費55億円。
〇朝日新聞「八紘一宇の大理想のもと父祖の大業を継ぎ……」警察庁「居るぞ!不逞鮮人「朝鮮人は民族性がいじけている。これをよく見ることが出来なければ観察、取り締まりは困難」
〇7月4日。フランスがヒトラーに降伏したのにつけ込み、陸軍がアジア制圧南方作戦立案。海軍は対米戦争を含めた南方作戦準備ほぼ完了。
『決定要項は、①戦争準備8月一杯までに②、フランス領の太平洋植民地を日本領へ編入する処理をする。南進作戦にフランス領インドシナ(ベトナム・ラオス・カンボジア)を協力させる。③対英戦争決断時は香港占領へ。④オランダ領インドネシアには当面資源確保交渉をする。⑤南方への武力行使時期、方法、範囲を情勢によって決める。』フランス降伏の1ヶ月後、米国領である比国(フィリピン)以外は、太平洋諸島の制圧作戦計画。(米国を避け英国をたたく)。
〇外務省事務局、日独伊連携強化案。欧州でヒトラーに降伏相次ぐ中で宗主国の太平洋植民地の独による権利継承(奪取)を懸念。分け前を模索。
〇東亜新秩序(日本)、欧州新秩序(ドイツ)の---なわばりの相互容認をねらう。
① インドシナ、インドネシアが日本の生存圏内であることの確認を求める。第、新体制運動。国民統制組織の大政翼賛会成立。政党解散、産業報国会、翼賛壮年団、大日本婦人会を統合、部落会隣組を末端化。
② 9月。日独伊軍事同盟条約。11/30王兆銘政府傀儡政府と日華基本協約。
③ 基本国策要項。「八紘を一宇とする」精神にもとづき「先(ま)づ皇国を核心とし、日満支の強固なる結合を根幹とする大東亜の新秩序を建設する」
〇9/1興亜奉公日制定。毎月一日を勤労奉仕、一汁一菜、禁酒禁煙、日の丸弁当奨励、10月。国民登録制(16から20歳までの男子)。
〇西日本、韓国大干ばつ、米受給逼迫。日本農民組合、総同盟解散。全ての情報が検閲。戦争賛美のものだけ放送、上映許可。
〇昭和16年12月8日、開戦。
〇12/9朝日新聞社説「今度の対米英戦争を支那事変をも含めて大東亜戦争と呼称する。大東亜戦争と呼称するのは大東亜新秩序の建設を目的とする戦争であることを意味する。」「帝国の真意を理解せず、みだりに事を構えて東亜の平和を攪乱し、ついに帝国をして干才をとるに至らしめ・・・。」
〇昭和17年。文部省「臣民の道」(6年生の児童宛) 我らの生活はすべて天皇に帰一奉り、国家に奉仕することによって真実の生活となる」。
〇6月。欠乏時の食料。備荒動植物の調査概要、雑草は1000種、動物は100種。ゲンゴロウの天ぷら、トンボの佃煮、イナゴのコロッケ他。
〇10/1乗用車のガソリン使用禁止。「ほしがりません勝つまでは」
〇昭和19年、朝鮮に徴兵制度実施。兵力不足を補う目的で。弾よけの役割。
〇5/10朝日新聞。朝鮮での徴兵実施について「澎湃たる民意に応えて」。「総督府発表。半島同胞の光栄とその満足や実に察するにあまりあり、朝鮮、徴兵制に感激の波高し」
〇昭和19年の教科書。「昭和16年12月8日、陸海共々にハワイ、マライ、フィリピンを目指して一斉に進攻を開始しました。勇ましい海の荒鷲が御国の命を翼に賭けてやにわに真珠湾を襲いました。水づく屍と覚悟を決めた特別攻撃隊も、敵艦めがけてせまりました。・・・・・。この日米英に対する宣戦の大詔がくだり、一億の心は打って一丸となりました。二重橋のほとり、玉砂利にぬかずく民草の目は、決然たる輝きを見せました。」
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