実を言うと、私は戦後すぐは広島県の離島に住んでいました。当時の日本はお米などを求めることはできず、食卓はサツマイモが中心でした。サツマイモはどこでも採れる、誰でも作れたと思います。私も作ったのですから。来る日も来る日も母や祖母は、いろいろな形にして、つまり雑炊などにして食べさせてくれました。例えば、小麦粉とカットしたサツマイモを混ぜてこね、ガーゼの上に生地を乗せて七輪の上で蒸してパンにしていました。私の一家は、離島のサツマイモで命をつないだわけですがこのような人は日本中至る所にいたことでしょう。今日は、令和天皇の大嘗祭が営まれます。これはある意味で「食」のお祭り、五穀豊穣の祈願のお祭りだと思いますが、皇孫とされる天照大神の神話時代は既に稲作が定着していたのですから、それ以前は、おそらくどんぐりが一般食でサツマイモとかヤマイモとかがエリート食だったんですね。その後、お米はスーパースターだったんだ。これが日本国を作ったといえるでしょうね。だが、お米には難点がある、それは豊凶が極端だということだった。争いも起こる。だから豊作祈願のお祭りがお祭りのすべてだった。税金ということばの税は「お米を喜んで提供する、またはお米をもらう喜び」という意味らしいという人がいました。税とは「禾」(つまり稲)と「悦」(つまり喜び)が合併した概念で、「和をもって尊しとなす」日本では、豊作の人が不作の人を助けるために集めるものだというのでした。お米はお金と一緒で貯められるし、配れるし、運べるし、便利なもの、次第に豪族が支配することになりますが、初期には納税は平和の行事だったんでしょうね。イモはすぐ腐るからそうはいかない、その代わり土の中で太るから。どーんと太っ腹、救荒作物だった。どこでも生産地が直消費地になり飢餓を救えました。北東日本がジャガイモ、南西日本がサツマイモ、その他,山国の日本には多くのイモ類がありますが、イモ類は気候変動にも強いし、栄養生殖しますから、日本にとって最大の生命資源かもしれませんね。お米は自由化に弱い作物で、投機で翻弄され、種でも支配されそうです。かつては買い占めで米騒動も起こりました。これからも下手な外交をすると、国を滅ぼしかねません。私が自由化に反対する理由は食糧安保(国防)のためが一つの理由ですが、それはともかくとして、小春日和に集い、大嘗祭や新嘗祭(収穫祭)などの伝統行事を外国の人にもお話し、「負け組」のひねくれサツマイモを賞味してもらうトークサロ ンを楽しみにしています。
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