大村益次郎は明治の元勲の一人、日本国帝国陸軍の基礎を作った人と言われ、靖国神社に大きな銅像があります。1869年、すなわち明治2年に一部の士族の反感に襲われて46歳でこの世を去っています。
ところで、1980年亡くなった祖母の家は山口県の萩市にありました。祖母の姓はS. 家主は下級藩士で歴代武道に秀た藩士だったそうです。そのためか、藩から大村益次郎の護衛?の仕事を托され、明治維新にかかる彼の進軍には身近の世話をしていたと祖母が語っておりました。ところが。
「何?こんなでたらめ!!」と祖母が怒っていた事実がありました。「S が裏切って逃走した!!」、司馬遼太郎は大村益次郎が殺害された理由が、Sが敵に通じたか何かで大村益次郎を裏切り、その暗殺を手助けをしたといわんばかりのストーリーを書いています。
祖母は言いました。「進軍中、大村は、Sに頼んで自分の愛妾に何かを渡してほしいと頼み、そのためSは隊を離れた・・のだ」と。さらに言います。男尊女卑の当時、さらには武家での男の浮気は、家格の恥辱で、ごく身近なものにしか妾の存在は知らせられない。そこで、信頼できるSにこっそりと愛の手紙?を托したのだと。それは人間くさい動作です。Sは、愛の密使?となって隊を離れた、と祖母は言いました。そこに根拠があるの?という問いに対して、祖母は言いました。祖母の住むS の家は、今現在でも存在し、当時の証拠書類が残されている・・その際の時のもあるという風でした。私は、過去に幾度も祖母の家に泊まりましたが、家中古書類や調度類や道具類が残っていて、触れてはいけないと思いそのままにしておりました。
ともかく、S の娘だった祖母は、何かの証拠か証言を示し司馬遼太郎に抗議文を送り訂正を求めたのですが、司馬遼太郎からはナシの礫だったとか。
何事にも裏面史があるのでしょうかね。ことの真偽はともかく、歴史のエピソードは面白いですね。ご紹介しておきます。ただし文責はごめんこうむります。
221007 身近な歴史散歩(2)・・ 司馬遼太郎へ猛抗議した祖母
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